簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

四国遍路 23番札所・薬王寺

2009-12-29 | Weblog
夜中に雨が降っていたらしい。
朝、カーテンを開けると目の前の木々がしっとり濡れ、道路には水溜りが出来ていた。
幸い今は降ってはいない。
どうかこのまま小康状態で持ってくれと、予定より少し早めに宿を発つ。

 【写真:JRの田井ノ浜臨時駅】

ナビソフトで調べると、旅館から薬王寺までは、県道25号を15キロほど歩く事になる。
シーズンだけオープンするJRの田井ノ浜臨時駅、木岐の低い町並みを抜け、木岐漁港を左に見て、
の先のヘンロ小屋で休む。

 【写真:木岐の町並み】

 【写真:木岐漁港】

 【写真:ヘンロ小屋】

案内板を見ると、薬王寺まで7.7キロと有る。
「アレッ?もうそんなに歩いたかな?」「そんなには歩いていないはずだが・・・」
疑問は直ぐに解けた。
海岸伝いにうねうねと曲がりくねって進む県道とは別に、遍路道は所々でショートカットしているらしく、
その分距離が随分と短くなっているのだ。

これからその短絡ルート、山座峠越えに入る。
北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)とはここまで前後して歩いて来た。

 【写真:遍路道 山座峠越え】

何となく、同行するような形になっている。
峠道で雨が降ってきた。幸い木立に遮られ濡れる心配は無い。
峠を降りると雨も止み、やがて恵比寿浜。

 【写真:遍路道 恵比寿浜】

薬王寺までは残り4キロほどだ。いよいよ近づいてきた。
緩やかに登る峠道を登り切ると、カーブの先に恵比寿洞が見える。

 【写真:遍路道 恵比寿洞】

目を前方に転じると遥か先の小高い山の上に日和佐城が、その視界の右端に薬王寺の赤い
瑜祇塔が見える。

 【写真:遍路道 日和佐を望む】

北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)とはここで別れ、途中、恋人岬から、海がめの産卵で
名高い大浜海岸に立ち寄り道草。

 【写真:恋人岬】

 【写真:大浜海岸】

暫く海岸で波と戯れた後再び県道25号に戻る。
日和佐の町に入り、厄除け橋を渡ると薬王寺の伽藍が間近にはっきりと見て取れる。

 【写真:遍路道】

 【写真:遍路道 厄除け橋】

門前通りの突き当たりに仁王門が建つ。
背後の山の斜面を巧に利用して、四段に伽藍が配置されている立派なお寺だ。
さすがに観光地・日和佐の厄除け寺だけあって参拝者も多く、門前は賑わっていた。

 【写真:23番札所 薬王寺】

三十三段の女厄坂、四十二段の男厄坂を登り、本堂にお参り、納経を済ませると「発心の道場・
阿波23ケ寺」を無事打ち終えたことになる。
苦しい山登りも、急で長い下り坂も、単調なアスファルト道も、長閑な田舎道も、マメだらけの
足の痛みを堪えて歩いた事も、今になれば全てが思い出。
そして、苦楽を共有した多くの遍路達、お接待をしてくれた善意の人々、親身に世話をしてくれ
た宿の主、これらの多くの人々との出会い、これも今は思い出。
そんな思い出を沢山頂き、試練の道場をどうにか乗り越える事が出来た。





日和佐駅近くの喫茶店に入る。

 【写真:日和佐の喫茶店】

道中、遍路道では中々飲む場所も無かっただけに久々のコーヒーが、胃に沁みる。
幸いと言うか、店には他のお客も居ないので、店主に断りここで着替えさせてもらう。
汗に濡れた白衣、シャツ、下着を脱ぎ、身体を拭いて、真新しいそれに着替えると、何処から見ても
ごく普通の、日和佐に遊びに来た観光客だ。

 【写真:道の駅 ひわさ】

「道の駅ひわさ」で店を覗き、冷やかしながら電車を待つ。

昼過ぎ、JR日和佐の駅に、また見慣れた顔が揃った。

 【写真:JR日和佐駅】

北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)は、これから鯖大師をお参りすると、牟岐行きの電車に
乗り込んだ。
「まだ陽が高いから、歩けるよ~っ・・」と冷やかすと、窓から出した顔の前で手を左右に振った。

 【写真:JR日和佐駅】

我々は、行違いでホームに入ってきた徳島行きに乗り込んだ。
結構混んではいたが、
幸い席は空いていた。
ベンチシートの車内では、対面の目が気になって何となく食べ辛かったが、空腹には勝てず道の駅で
仕入れた弁当を食べる。

 【写真:昼ごはん】

お腹も膨れ、多少の疲れも有ったのか、心地よい電車の揺れでいつしか眠り込んでしまった。
気が付くと徳島に到着していた。

 【写真:特急うずしお】

ここで、飛行機で帰るという東京の夫婦とは別れ、高松行きの特急に乗り込む。
座席を確保し、荷物を置いてホームの売店にビールを買いに走る。

車内に戻ると、座席の上に見慣れない袋が置かれていた。
「何かな」と訝りながら中を覗くと、海老せんべいが入っていた。
我々が売店にビールを買いに行くのを見て、件の夫婦が気を利かせ置いてくれたのだ。

心の中の思いこそ違え、遍路道を歩くと言う同じ目的を持った、見ず知らずの者たちが、
ある日、ある所で偶然出会い、僅かの出会いの中で、苦楽を通じて心を通わせ、
そして必然的に、当たり前に分かれて行く。
この先再び会えることも無いであろう、まさにこれが一期一会と言う事か。
なのに、十年来の知己のような心遣い、こんな小さなことがとても嬉しく感じられた。
        
                                       (四国遍路 完)
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四国遍路 特別料理

2009-12-25 | Weblog
由岐坂トンネルを抜けると、田井ノ浜までは3キロ余り、いよいよ海が近くなる。
道路脇には、「アカテガニの横断に注意」の道路標識が目に付く。
アカテガニは、この地の山林に住むカニで、夏の月夜に産卵のため海や河口に移動する。
そのカニの横断に注意を促す標識だ。

 【写真:カニに注意】

由岐町に入り、県道の急坂を下ると左手にJRの由岐駅が見える。
駅に併設された、由岐町の特産品の展示即売コーナーを覗いて再び県道に戻る途中で東京からの
夫婦に会う。この先に宿を取っていると言う。
「イセエビ、出ますよ」と別れ、駅を過ぎ、最後の坂を越えると田井ノ浜の海岸が目に飛び込んで来た。

 【写真:遍路道】

 【写真:JR由岐駅】

B&G海洋センターの向こうに見える赤い屋根の建物が今晩の宿だ。
「おお、ヤット着いた」「もう少しだ」

 【写真:田井ノ浜と宿】

ホッとしたその時、道端に佇んでいた老婆が寄ってきた。
「お接待です」と手に持ったものを差し出してきた。
何だろうと見ると、それは布の端切れで作った巾着。
「好きなのをどうぞ」と勧めてくれる。
気に入った柄を手に取ると、ポケットから飴玉を二粒取り出し、巾着にいれ渡してくれた。

 【写真:お接待】

お礼を言って宿に向う。
「いろんな接待が有るなあ」「今日は色々貰ったなあ」などと話をしているうちに宿に着く。

明日、薬王寺を終えれば、取り敢えずの区切り、「発心の阿波23ケ寺」が終わる。
今日はその前夜祭と言う訳で、夕食時、特別料理をお願いしていた。
6時からの夕食には、テーブルに刺身の盛り合わせが用意されていた。

 【写真:特別料理】

「おお~っ」「イセエビは・・・・」
残念ながらイセエビは無い。
しかしあわびの刺身が有り、あわび好きな相棒はこれだけで充分と満足な様子。

これまで泊まった宿での夕食時、好みの銘柄のビールが無く、些か欲求不満気味であった。
今日も半ば諦めながら「Kビールはありますか?」と聞くと「有ります」との返事。
「これでなくっちゃ」、ヤット本物のビールにありつけた。
美味しい刺身に好みのビール、北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)とも話が弾み、
遅くまで話し込んだ。
終わって見ると何時もの倍の空瓶がテーブルに並んでいた。(続)
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四国遍路 足が痛い

2009-12-22 | Weblog
甲府から来たと言う一人歩きの婦人。
今晩の宿は、薬王寺に一番近いという宿を取っていると言う。
しかし、足が痛くてとても日和佐までは歩けそうに無いから、どこかJRの駅が近くにあれば、
そこから電車に乗ると弱音の弁。
「折角ここまで来たのだから、もう少し頑張りましょう」

「そうね、あなたたち、ゆっくり歩いているものね。これなら付いて行かれるかも」
どうやら、我々は傍目から見るとのんびりと歩いているように見えるらしい。
確かにそうかも知れない。
宿を発つのは、何時も一番後だし、そのくせ宿に入るのは結構早い。
道中でも写真を撮ったり、休憩をしたりで、道草も多い。
行程もほぼガイドブックの所要時間通りで、ゆっくりとしたペースで歩いている。
これなら大丈夫そうだ、と件のお接待以降、ほぼ同行する形と成り、1時間近く共に歩いてきた。

 【写真:遍路道】

“JR阿波福井駅”の表示を見て「私はここから電車に乗るわ」と左に取って行った。
「縁が有ったら薬王寺で会いましょう」と右に曲がり県道を進む。
暫く行き、地道に入ると行き成り蛇の出迎えに、こんな道を行くのかと鳥肌が立つが案ずる事
はなかった。
直ぐ上の広い道に出る巻き道で、坂を登り切ると車が激しく行き交う道路に出会った。
国道55号だ。ここからは暫く国道を道なりに歩く事になる。

 【写真:遍路道 国道に合流】

 【写真:鉦打トンネル】

鉦打トンネルを抜けると福井のダム湖が見えてくる。
前から北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)が向ってきた。
「どうしたの?」と聞くと、「弥谷観音に寄って来る」と、足の痛そうな歩き方でダム湖の橋を渡っていった。
「足が痛いのにやるね~ぇ」

 【写真:遍路道 番外弥谷観音へ】

目の前にヘンロ小屋が見えた。少し足も疲れ気味なので休む事にする。

 【写真:ヘンロ小屋】

例の東京から来たと言う夫婦が食事中だ。暫く一緒に休憩し、同じく弥谷観音に行くという夫婦と
ここで別れ再び国道を歩く。
阿南小野で国道と別れ、県道25号に入り、田井ノ浜を目指す。
ここら辺りまで来ると由岐・田井ノ浜近辺の旅館や民宿の、大きなイセエビの踊る看板が目立つ。

 【写真:遍路道】

「晩飯にイセエビが出るかも・・・?」と、“にんじん”ならぬ“イセエビ”を目の前にぶら下げて歩くから
元気は良いが、やはり足が痛いことには変わりない。(続)
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四国遍路 お接待

2009-12-18 | Weblog
自転車を降りた婦人は、「お接待です」と言って、前籠から清涼飲料の缶を取り出し、
目の前に差し出してきた。
突然のことで良く事情が飲み込めずにいると「お接待です、どうぞ」と勧めてくれる。
「アッ、これはどうも・・・・」
良く冷えた清涼飲料の缶を受け取り、お礼を言って歩き始める。

 【写真:お接待】

暫く歩くと民家の軒下に自動販売機があり、その前が僅かばかりの日陰になっている。
恐らく、我々が歩いてくるのを見届けてから、この販売機で購入したものであろう。
折角だから冷えたうちに飲もうと、日陰に腰を下ろし、缶タブを開ける。
振り返ると、直ぐ後を歩いていた甲府から来たと言う一人歩きの婦人にもお接待している。

暫くして通りかかった婦人に「折角だから冷たいうちに頂きましょう」と声をかけると
「そうね、喉も渇いたし・・・」と傍らに腰を下ろした。
「いや~、びっくりした」「話には色々聞いていたけど・・・」「こんなの初めて」「どれぐらいの
人達にお接待しているのだろう」「毎日しているのだろうか?」などと、小さな興奮冷め遣ら
ずと言った感じで話が弾む。

見返りを求めない、全くの無償奉仕がお接待とは言え、並みの事では出来ぬ行為で、単に
親切心からと簡単には片付けられない何かを感じる。
今思うと、お礼の「納め札」を渡すのを忘れていた。申し訳ないことをした。



 【写真:遍路道】

そこから30分ほど歩くと月夜御水庵がある。
大師がこの地に宿をとったとき、加持によって湧いた清水が境内に有る。
その脇に有る杉は、別名逆さ杉と呼ばれている。
高さ31メートル、幹周り6メートル余り、樹齢1000年の大杉は、その枝が一度下を向いてから
上に伸びるという珍しいものらしい。

 【写真:月夜御水庵】

月夜御水庵を出て、良く手入れされた竹林を見ながら、車も少ない県道を40分ほど歩くとやがて
県道284号に行き当たる。

 【写真:遍路道】 

右に取ると室戸、左に取ると徳島。
道端にJR阿波福井駅へ1.2Kmの標識が有る。(続)
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22番札所・平等寺

2009-12-15 | Weblog
ヘンロ小屋を過ぎ、農道を歩き「平等寺まで4.5Km」の標識あたりで道は上り坂になる。



少しずつ登り道は厳しくなるが、山道にもすっかり慣れたのか、そんなに辛くは無い。



 【写真:平等寺へ】

宿を発って1時間半。切り通し道の僅かばかりの薄暗い平坦地に到着した。
標高288メートルの大根峠だ。
ガイドブックには2時間の行程と書かれていたから、我々にしては珍しく早く到着した。

 【写真:遍路道 大根峠】

ここを越えれば、平等寺へは後3キロほど、下るばかりで登りはもう無い筈だ。

暫くは竹林の道を下る。
枯れ笹の敷き詰まった道は、適度のクッションとなり、膝への負担も少ない。
陽も遮られているので、暑くも無く、寒くも無く、歩きやすい快適な下りが続く。
竹を揺らす風の音が、軽やかなリズムとなって足取りの歩調に合わせてくれる。

 【写真:平等寺へ】

やがて山道が切れ平地に出ると、牧場を右に見ながら農道に突き当たる。
ここからは左に曲がり、桑野川に沿って、今までとは打って変わって、明るく暑い日差しを浴びて歩く事になる。
1キロほどで平等寺に到着する。
門前の駐車場に停められた移動販売車の赤いのぼりに心を奪われて立ち寄ってみる。

 【写真:平等寺門前にて】

のぼりにはアイスクリームと書かれている。
1キロ余りの農道歩きで喉も渇いていたので、先ずはアイスクリームで一休み。
冷たさが、乾いた喉をヒリヒリと刺激する。この甘さが疲れた身体にはたまらない。
生き返った心地がする。

仁王門を潜り、小高い山の中腹に有る本堂への階段を上りお参りを済ませる。
納経を済ませると、これで22箇所を打ち終え、数の上では1/4済んだことに成る。
やっと来たかと思う半面、もう1/4済んだのかと感慨深い。



 【写真:平等寺】

昨夜、宿の女将が、道中食事処は無いので、門前の店で買うと良いと教えてくれた。
門前の橋を渡り、右に曲がり町中を暫く行くと小さなマーケットが有る。
北九州から来たと言う一人歩きの青年(かな?)も飲料水やらパンをしっかりと買い込んで、
「お先に」と言って発って行った。彼とは今晩も同宿だ。

 【写真:平等寺門前のスーパー】

後を追うように店を出て、再び遍路道に戻り、30分ほど歩いて生谷の集落に差し掛かったとき、
前から自転車に乗った婦人がやって来た。(続)
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四国遍路 四国八十八ケ所ヘンロ小屋プロジェクト

2009-12-11 | Weblog
人は見かけだけでは本当に解らないものだ。
山歩きを“鬼ごっこ”しながら、楽しんでいる風に見えた夫婦に、人知れぬ悲しみが秘められていようとは、
あの山道の様子から、想像は出来なかった。

 【写真:龍山荘の夕食】

食事をしながら、辛いで有ろう心情を吐露された。
最愛のお子さんを病で亡くされたとのこと。
お子さんの死に立ち会って、今その霊を慰め、自らの心の安寧を求める、そんな遍路旅であったのか。

翌朝、7時半前に宿を発ち、22番・平等寺から阿波最後の札所・薬王寺を目指す。
平等寺までは7.5キロ。そこから薬王寺までが21キロほど有る。
会わせて30キロ近く有るが、今日無理に歩く事は無い。
と言うのも翌日は昼過ぎの電車に乗れれば夜には家に帰りつけるので、午前中を歩く時間に充てる
ことが出来るからだ。
従って今日は少し手前の田井ノ浜に宿を予約しておいた。

宿を出て暫く行くともう一軒の民宿が有り、遍路が何組か出立するところであった。
その先で右に曲がると、そこからは加茂谷川に沿った県道を歩くことになる。
広い県道は殆ど平坦で、車も少なく歩き易い。
途中畑に植えられた鶏頭の花や畦の彼岸花が目を楽しませてくれる。



 【写真:平等寺へ】

40分ほど歩くと阿瀬比の集落で国道195号を横切る。
久し振りに賑やかに騒々しく行き交う車の光景を見たような気がする。

暫く行くと「ヘンロ小屋 第二号 阿瀬比」の看板が目に入る。
建築家の歌一洋さんが提唱する「四国八十八ケ所ヘンロ小屋プロジェクト」が地元の方々の土地提供、
資金集め、労力奉仕などの協力のもと建設した施設だとパンフレットに書かれている。

 【写真:ヘンロ小屋】

土地の形・大きさ・歴史・名物・名産品など地域の特性を生かした設計に基づき、それぞれの小屋には
「ストーリー」が込められているとか。
現在34棟が完成していると言う。
お接待の精神に基づいてこう言ったものが造られていることを初めて知った。
遍路は本当に大勢の善意に支えられ、守られているのだ。(続)
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四国遍路 思いがけない話

2009-12-08 | Weblog
ついさっき登って来た分岐まで戻ると、そこから右にアスファルト道が見える。

 【写真:遍路道 分岐】

暫くは、車で参拝する信者のための、この車道を下る事になる。
平等寺までは、11.3キロほどだが、今日はかなり手前の黒河で宿を取る。
この先、日和佐近辺まで宿が無いので、少し近いがこの地に泊まらざるを得ないのだ。
4キロ余りだから、1時間半も見ておけば大丈夫であろう。

 【写真:平等寺へ】

この道を1.5キロほど下ると、係員が一人暇そうに車を待っている専用駐車場に着く。
広い駐車場にはかなりの車が停められている。
車で参拝すると、ここから今降りてきた車道を、歩いて登ることになるが、これは結構辛い登りに成るだろう。
足の悪い信者も居るだろうから、もう少し上まで登らせても良い様な気もするが、随分と遠いところに
停めさせるものだ。
車の参拝は、ロープウェイの麓駅に停めて、往復2400円の大枚を叩かないと便利が悪いですよ、と言う
メッセージにも読み取れる。

 【写真:平等寺へ】

細い流れの渓流沿いに続く下りの車道。
時折参拝を終えた車が凄いスピードで駆け下りていく。
そんな道端を、膝の痛みを感じながら、とぼとぼと、ただ黙々と前を見て下る。

途中で休んでいると、夫婦連れと思われる遍路が通りかかった。
作務衣に脚絆で足元を固めた風体で、足取りも軽く山を下っているように見える。
「疲れますね」「足が痛くて」などと話すと、
「少しだけ前のめりで、膝を少し曲げ、弾むように歩くと膝の負担が少ない」所謂「猿の歩き」だと教えてくれる。

歩き始めてから試して見るが、なかなか上手くはいかない。
多少膝への負担が小さくなったようにも感じるが、気のせいかも知れない。
後から降りてきた、これも生名で同宿だった甲府から来たと言う一人歩きの婦人。
随分足が痛そうに歩いているので、さっき聞いた話を伝授する。

 【写真:民宿龍山荘】

歩き始めて1時間半、前方の山の斜面に白い建物が見えてきた。
今晩の宿、黒河の民宿「龍山荘」だ。
行程的には余裕を見ていたので、予定通り陽の高いうちに到着した。

夕食時、例の“鬼ごっこ”のご夫婦と同席になった。
ここで、ご夫婦から思いがけない話を聞く事になる。(続)
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西の高野・太龍寺

2009-12-04 | Weblog
アスファルト舗装されたその急坂は、山登りでダメージを受けている足腰には決して優しくは無い。
下が固いことも有るが、余りにも角度がキツイ。
前のめりになりながら、杖で身体を支え、手を膝に当て支えるようにして登ってはいるが、思わず
「よっこらしょ」とこんな言葉が口から零れてしまう。
途中、野仏に花を供える寺僧が「もう少しです」と教えてくれたが、その「もう少し」がなんとも遠い。

 【写真:太龍寺山門】

アスファルトがやがて緩やかな石段に変わるとその先に仁王門が有る。
21番・太龍寺の表玄関だ。
この仁王門は、太龍寺の建造物の中では最も古いものだと言う。
そしてこの中の巨大な仁王像は鎌倉時代の作で、徳島県下では最大で最古のものらしい。
そのためか、重厚な山門の周りにはやたらと防火用水が目に付いた。

 【写真:太龍寺山門】

門を潜っても鬱蒼とした林の中にまだ坂道が先へと延びている。
木立の隙間から護摩堂が見えるとやっと境内に到着する。
龍天井を覗き、納経所で納経を済ませ、境内のベンチに腰を下ろすと金木犀のふくよかな香りが
疲れを癒してくれる。
生名で同宿の、見覚えのある遍路の顔も大勢休んでいる。



 【写真:太龍寺鐘楼門】

左手の本堂へと続く階段の途中に立派な鐘楼門がある。
それを潜って登りきると右手に中興堂、大師堂、その奥に御廟があり、左手正面の弁才天に続いて
本堂がその大屋根を見せ、その奥に多宝塔が有る。
更には弘法大師修行の場とされる舎心ケ嶽が控えている。
齢を経た杉・檜の鬱蒼と茂る山塊に、なんとも広大で、立派な伽藍配置で有る。
それもそのはず、ここは「西の高野」と呼ばれ、古くから信仰を集めてきたらしい。

本堂の前には、長い石段がロープウェイの山頂駅へと下っている。
石段を降り、振替って見上げると、圧倒されるようなスケールでそれはそそり立っている。
ロープウェイで参拝する遍路はここが正面入口で、この急坂の石段だけは避けることも出来ず、大勢の
団体が、息を荒げて登っていた。

 【写真:太龍寺の正面石段】

22番札所へは今来た境内を少し戻り、山を下る12キロ弱の道のりを歩く事になる。(続)
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四国遍路 太龍寺道

2009-12-01 | Weblog
途中県道を横切ると、今までの遍路道からは考えられないような夏草の生い茂った道に入る。

 【写真:太龍寺道】

これまでは、どんな山道でも、厳しい登り道でも、急な下り坂でも、何処も良く手入れされ、
整備された遍路道が多かった。
何方かが、人知れず何時も手を入れてくれるから遍路道が維持されていると思うと、ありがた
いものだと多少なりとも感謝の念を持って歩いてきた。
しかし、この道だけはどうやら様子が違う。
「ボランテアで、道を整備する人も居なくなってしまったのだろうか」などと、話しながら暫く歩く。

1時間半ほど下ると人家が現れ、大井の集落に近づく。
ここの墓地で、墓参りの一団と出会う。

 【写真:太龍寺道】

お墓の先から良い匂いが漂ってくるので、てっきりこの一団が墓参りの後、焼肉パーテーでもする
のかと、中の一人に「この後は焼肉ですか?」と問うと、「いやあれは他のグループだ」「我々はこ
れからお弁当を食べる」
その中に混じり、そんな会話をしながら、狭い道を一列になって下るとやがて広い県道に合流する。
あの匂いに触発され、お昼には少し早いが、道脇の休憩所で昼食を摂る。

 【写真:太龍寺道】  

県道の先に“水井橋”の標識が見えた。
歩いていると橋の手前で土地のお婆さんが声を掛けてくれた。
土地訛りの強い言葉で、「今日は天気が良いから、歩くのには良いだろう」と言うようなことを言ったが、
文章には書き表せない。
確かに天気は良いし、風も強くないが歩いているとこの天気はかなり暑い。
幸いなことに湿度が低そうな事と、時折吹く風の爽やかさにだけ救われる。

橋の無い昔は、渡しが遍路を運んでいたと言う清流を見ながら橋を渡る。
初めのうちはのんびりとした、緩やかな農道或は林道と言う感じの道で厳しくは無い。

 【写真:太龍寺道】

舗装された道を1時間ほど歩くと、右に取る石段の遍路道が現れる。
ここからいよいよ最後の登りが始まる。
山道はその傾斜も次第にきつくなり、足元も悪くなる。
息も切れ、荒くなるが、多少山道に慣れてきたのか、まだまだ元気だ。

 【写真:太龍寺道】

鶴林寺から6キロ余りで平等寺への分岐道に到着する。
寺まであと0.4Kmの標識が立つ。
寺はもう直ぐそこだと思ったのに、この僅かな距離に苦しめられるとは思ってもいなかった。(続)
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