簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

道後温泉(四国遍路)

2012-07-30 | Weblog
 多くの観光客で賑わう湯の町・道後にあって、“道後温泉本館”はシンボル的存在だ。
明治27年に建てられたという木造三層構造の建物は、大変珍しい建物として完成当時
から人気の的で、平成に入り、国の重要文化財に指定された貴重なものである。





 入浴はいろいろなコースが用意されている。
湯につかるだけから、大広間や個室での休憩付き、館内のや浴衣、お茶のサービス付き
などあるので、目的と時間を相談しながら好みのコースを玄関先の窓口で購入する。



 階下の神の湯は一番お手軽なコースである。
時代かかった木製の下足箱に靴を預け、これも木製の脱衣箱に服を収め、浴室に向かう。
男湯は二室あるが、何れも浴室は同じような作りで、僅かにぬめりのあるアルカリ性単純
泉の湯も同じらしい。



 浴槽はやや深め、丸い蒲鉾形をした縁、その下の腰掛の幅は狭いので、湯につかって
のんびりと言う体制は取り辛いが、これが昔の佇まいを残している。
 入浴に時間制限があって慌ただしいが、至福の湯であることは間違いない。



 温泉前の商店街は、この日が一斉清掃の日らしい。
各店舗から人が出て、自店の前を湿らせたモップで拭き、デッキブラシでゴシゴシと
擦り、踏みつけられたガムなどを削り取っている。

「通行のお客様にはご迷惑をかけるが、綺麗にしてお客様をお迎えしたいのだ」と言う。
こうして有名な観光地ならではの地道な努力が重ねられている。(四国遍路・完)



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伊予名物の“鯛めし”(四国遍路)

2012-07-27 | Weblog

 
 商店街入り口にある観光案内所に立ち寄り、近場で、地元の名物が味わえるところを
訪ねると、すぐ前の食事処の名物を教えてくれた。
温泉の前に先ずは腹ごしらえ、案内所で教えられた名物の“鯛めし”を味わってみる。



 “鯛めし”に南予風と中予風があるらしい。
南予風は、刺身にしたタイをお重のご飯の上に並べ、山芋とねぎやゴマを混ぜた特製の
出汁をかけて食べるもので、中予風はタイ一匹を丸ごと釜飯として炊き込み、炊き上がっ
たらタイの身をほぐし五目飯に混ぜ込んで食べる。





 どちらも捨て難く、両方と欲が出たが、散々悩んだ挙句、中予風を注文した。
「炊き上がるまで暫く時間がかかります・・」と言われ、待つこと10分、ようやく目の前に
鍋が運ばれてきた。



 「さあー」と思ったら、炊き上がるまでもう10分ほどお待ちくださいとのこと。
鍋の下では、まだ青白い炎を上げて固形燃料が燃えている。
「10分後に、吸い物をお持ちします」とのことだ。

鍋蓋の隙間から薄い湯気が上がり始め、いい匂いが漂ってきた頃合い、吸い物が
運ばれてきた。「もう良いですよ」蓋を取ると湯気が一気に立ち上がり、タイの蒸せた
潮の香りが辺りに漂う。



 鍋から慎重にタイを取り出し、丁重に身をほぐし炊き上がった五目飯に混ぜ込んで、
お茶碗に移し、一気にかきこんでみる。
 薄い醤油飯に甘いタイの身がからみ、おこげの香ばしさも絶妙で、何とも言いようの
ない美味しさに大満足、20分待ったかいがあった。(続)



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温泉が待っている(四国遍路)

2012-07-25 | Weblog


 当初の予定では、この先52番、53番と打ってそのあと、JR予讃線に沿って歩ける
ところまで、出来れば伊予北条あたりまで行ければと考えていたが、相棒に翌日抜け
られない所用が舞い込み、今回の歩きはこの道後温泉で打ち切ることにしていた。



 境内の茶店で、“石手名物・やきもち”を求め、アツアツを食べながら、今回の最終地、
道後温泉までの1キロ余りを歩く。



 俳句の町らしく、用水の流れる道筋の植え込みの中には、子規や漱石、山頭火など
の句が立派な石に刻まれ、紹介されている。
 それを巡る観光客らしき姿もチラホラと散見され、観光地らしい。



 その温泉には、お昼過ぎに到着した。
「私も今日はここに泊まりました」、長珍屋で同宿であった一人歩きの男性と、エント
ランスに向かう坂の途中で出会った。



 あの日、お互いに宿の情報を交換し合ったとき、我々は道後が最後なのでゆっくり
する予定だと言うことで、この宿の名を伝えていた。
先着した彼は、「荷物を預けたところだ、温泉に行ってくる」と、紙袋を下げ、早々と町に
出かけて行った。



 折角道後に泊まるのだからと、少し奮発(と言ってもお遍路さんパックで格安)して、
温泉街の高台にあるこの宿をとった。
まだチェックインのできる時間でもないので、フロントに荷を預け、タオルと着替え一式
だけを持って彼の後を追うように、道後温泉に出かけてみる。(続)


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観光名所・石手寺(四国遍路)

2012-07-23 | Weblog


 コンクリートで固められた溜池を右に見て、坂道を下り、再び県道40号線に出て、
2キロほど歩いて広い通りを横切ると、周りの雰囲気が観光地らしく一変する。
 遠くには温泉旅館か、郊外のマンションであろうか、高層ビルも目立つようになり、
沿道にもしゃれた店や飲食店が多くなる。



 石手川に架かる橋を渡ると、正面に緑も鮮やかな森が見えてきた。
第51番札所・石手寺の森である。
さすがに観光地・道後温泉に近いだけあって、遍路だけと言うこともなく、大勢の
観光客で賑わっている。



 正面に幅2メートルにも満たない川(用水)が流れ、そこに架かる橋を渡ると、通路に
なった絵馬堂が境内に向かって伸びていて、両側には露店も並んでいる。



 納め札を用意していたら、「歩きですか?」と声をかけられた。「1週間の区切り打ち
です」と答えると「えらいですね~ェ」といたく感心した様子を見せる。
同年輩くらいの男性で、話を聞けば、「自分も歩いて回りたい気持ちはあるが、なか
なか決断が出来ない」のだと言う。



 一日にどのくらい歩くのか、どんなところに泊まるのか、道に迷うことはないのか、
費用はどれぐらいかかるのか・・・などなど、質問は多岐にわたる。
「歩くのはしんどいけど、結構楽しいことも多い」と言う話には、些か興味をひかれた
そぶりも見せた男性は、「いろいろと参考になった・・」と礼を述べて去っていった。
 また一人、歩き遍路が増えました(?)。(続)





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高台の繁多寺(四国遍路)

2012-07-20 | Weblog
 赤い鳥居の映える日尾八幡社の前を曲がり、県道40号に入る。
住宅や商店が立ち並ぶ狭い道なのに、行きかう車が多い。
時折歩道がなくなることもあるので、対向する大きな車が横を通ると恐ろしいほどだ。



 その県道を外れると道は、墓地の間を山に向かい緩やかに上っていく。
500メートルほど歩くと、簡素な作りの山門の前に広がる広場に着いた。
ここにもアイスクリン屋さんが暇そうに客を待っていた。



その駐車場にバスが一台停まっていた。先ほど浄土寺にいた団体であろうか。
ここは札所間が近いので、歩きもバスも大して変わらないようだ。

 第50札所・繁多寺は、「はたでら」とも呼ばれ親しまれている。
一遍上人が七年間ここにとどまって修行を積まれたというゆかりの寺で、かつては
末寺百寺以上、三十六坊を持つ大寺院であった。



 今、淡路山の中腹に建つお寺は、広い境内の正面に本堂、右に大師堂、左に庫裡を
持つ程度で、当時の繁栄を窺い知るようなものは何も感じられない簡素な札所である。
 ここでも静かな境内に、読経の声が大きな塊となって響いていた。



 寺は、松山市郊外の高台にある。
ここからは市街地が一望で、ひときわ高い勝山の頂上には、松山城らしい姿も遠望
できるが、その前に何か塔のようなものが立ち塞がり、こちらからは、お城が串刺し
されているように見え、はなはだ様が悪い。(続)





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男三人連れ(四国遍路)

2012-07-18 | Weblog
 お寺の真新しい休憩所で、男性三人連れの遍路とともに、八坂寺門前で買ったイチゴ
を食べ、しばし休憩する。
 この三人、もともとは全員が単独行の遍路であったが、意気投合したのか、どこから
ともなく三人連れだって歩いているようだ。



 我々と始めて出会ったのは下坂場峠の上り道で、息を上げて上っている時、突然の
ように姿を現し、追いつかれた。その後、鴇田峠越え以降の道では、後になったり、
先になったりと絡みながら、浄瑠璃寺では長珍屋で同宿になりここまでやって来た。



 歩きは、各人の体力と歩調が合わないと、何人かがつるんで歩くのは難しいと思う
のだが、この三人は余程波長が合うのか、そんな心配はいらないようだ。



 次の札所までは3.2キロほど、1時間足らずの工程だ。
遍路道の周りは、すっかり町中の様相を呈してきた。
交通量の多い国道11号線を越え、狭まった道の先で伊予鉄の線路を超えると、小高い
山を背にした第49番札所・浄土寺が建っている。



 境内は思いのほか広く、アイスクリン屋さんが一人、手持無沙汰に客を待っている。
正面には寄棟の屋根を被せた、どっしりと構える本堂があり、これは和洋と禅宗様を
折衷した建築様式で、室町時代の建造物であるとか。



 丁度団体の参拝客が着いたところらしく、その前で一塊になって、読経の大きな声を
上げていた。その右手の大師堂の前でも、何人かの参拝客が手を合わせていて、町中
に入って来たせいか、ずいぶんと賑わっている。
 件の三人連れも、付かず離れずの関係を保ったまま、其々がお経をあげている。(続)





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庭が美しい西林寺(四国遍路)

2012-07-16 | Weblog
 三郎ゆかりの札始大師を過ぎ、県道40号線に出てしばらく歩くと久谷大橋が
見えてくる。本来の歩き遍路道は、この大橋を渡らず手前から左折、土手から
河原に降りて、水量が少なく石ころだらけの重信川を渡る。





 対岸の河川敷にはゴルフ場があるのでどうするのかと調べてみたら、どうやら
そこを突き抜けて土手に上がるようだ。



 松山自動車道を潜り、住宅地の中の狭い道に入り込むと、丸い石橋の向こうに
第48番札所・西林寺の山門が見えてくる。



 お寺の少し手前に“杖ノ淵”と呼ばれるお大師様が発見した泉の遺跡があった
ようだが、残念ながら、見落としてしまった。

 丸く反った石橋を渡り、何段かの階段を下りる。
普通札所では、境内に行くには何段かの階段を上るところが多いが、ここは
道路より低地に立つ珍しい寺で、数段下りその先で山門を潜る。

もともとこの辺り一帯は田圃ばかりのところで、それに合わせてその中にお寺が
建っていたそうで、その後新しくできた道路が境内より高く作られたためらしい。



 落ち着いた良いお寺である。
境内はさほど広くはないが、綺麗に掃き清められていて清々しい。
緑も密生するほどの暗さはなく、明るい境内の一角ではアヤメが満開を迎えていた。



納経所のある庫裡の前の庭は、よく手入れが行き届き特に美しく、モミジの若葉が
一際映え、青葉の中で異彩を放っている。(続)


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衛門三郎のゆかりの地(四国遍路)

2012-07-13 | Weblog
 松山市の郊外に入った、とは言え市街地はまだまだ遠いが、周囲は田畑などの
緑も多く、道も起伏が無いので歩きやすく、気持ち良い。
加えて、札所間の距離も比較的短いのがありがたい。



 寺から1キロほどのところに、松に囲まれて文殊院徳盛寺と言うお堂が建っている。
ここは遍路の祖と言われる衛門三郎の菩提寺であり、かつて屋敷の有ったところだ。



 『荏原庄の衛門三郎は、財宝が蔵に満ちるほどの豪族であったが、無信心で貪欲で、
貧しいものを虐げ、召使をこき使う一方で、自らは栄華の夢に酔いしれていた。



 ある日、乞食のような旅僧がその門前に立ち、食事を乞うたところ三郎は追い払って
しまった。その旅僧はそのあくる日も次の日も訪れた。
煩いと怒り狂った三郎は、旅僧の鉄鉢を取り上げ、激しく地面に叩き付けると、それは
無残にも8つに割れて四辺に飛び散った。



 そんな翌日、8人の子供の長男が突然こと切れた。その翌日には次子が亡くなり、
その後も不幸は続き8日の間にすべての子供を失ってしまう。
 さすがに三郎も悲嘆にくれ、己の業の報いを感じ、過日の門付けの旅僧への無礼を
詫びようと発心し、館をたたんで遍路旅に出る。



 そして二十一度目の逆の途でやっと大師と巡り合い、詫びを述べたあとこと切れた
のが、焼山寺下の“杖杉庵”であった。』(上二枚の写真は“杖杉庵”)



 尾ひれの付いた伝説であろうが、子供は当時の流行病で死んだとの説もあり、その
子たちを葬った“衛門八塚”は、近くの田圃の中にあると言う。(続)


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極楽往生通行手形の寺(四国遍路)

2012-07-11 | Weblog
 浄瑠璃寺から次の第47番札所・八坂寺までは、0.8キロと近い。
土佐路からここまでの伊予路にかけては、比較的札所間の距離が長いところが多い
ようだが、ここだけはホッと息の抜けそうな距離である。



 中学生の登校の群れに交じって県道をしばらく歩き、真新しいお大師様の石像が建つ
角を曲がると参道が真っ直ぐに寺に向かって伸びている。



 途中パック入りイチゴの無人販売所があり、見ると50円、100円、200円の値札が
付けられている。粒は小粒ながら、見るからに新鮮で甘そうな色をしているので、
疲れた時のビタミン補給にと迷わず購入する。



 極楽橋と名付けられた小さな橋を渡ると特徴的な屋根をした山門が建ち、その天井に
は極彩色の絵が描かれている。



 20段程の階段を上るとそこに鮮やかな青い色をした屋根を見せる本堂が構えていて、
その左手にお大師堂がある。



 その二つの建物に挟まれるように小さなえんま堂が建ち、その両側に“極楽の道”と
“地獄の道”と書かれた小さなトンネルが作られている。
 ここでは、“極楽往生通行手形”なるものを受けることが出来る。
今までの過ちを閻魔大王の前で悔い改め、これからは日々、十の戒めを心がけて
生きて行けば“極楽の道”への通行手形となるらしい。





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遍路宿・長珍屋(四国遍路)

2012-07-09 | Weblog
 この日、お寺の前に建つ“長珍屋”と言う一風変わった名の宿に泊まった。



 昔からの遍路宿らしく、玄関ホールには“御宿 長珍屋”と書かれた、名も消え
かかった古い看板が飾られている。



 増改築して間の無い綺麗なところで、遍路の間では良く知られた宿だ。
新館は遍路宿としては少々高くはなるが、全室バストイレ付の部屋で、個室もあり
ビジネスホテルを彷彿させる。



 ずいぶんと収容できるらしく、館内には大浴場があり、コインランドリーも完備し、遍路
用品も揃う売店も充実している。



 仏壇を備えた大きな食堂には、今日は団体が入っているらしく、沢山の食事が用意
されて遍路を待っていた。



 夕食時、逆打ちで歩いていると言う、同年輩の二人連れの姉妹と同席になった。
一人歩きの男性遍路二人を加え、ひとしきり遍路談義に花が咲き、いつしか話題は、
“三坂峠の下り道”に及んだ。



 「山道の下りだけで1時間、それから寺までも1時間余り下り続ける道だから、逆打ち
となるとその上りは半端じゃない」と主張する男性陣に対しこの姉妹、「山道の下りが
1時間なら、上っても2時間見ておけば大丈夫」と少しも怯む気配もなく、自信満々に
言い切ってくる。「雲辺寺道を歩いて自信がついたから・・」というのがその理由らしい。



 お互いに今までに泊まった宿の良し悪しを交換仕合い別れ際、巡打ちの男性陣から
「あの姉妹、峠に着いてどんな顔で、何と言うか聞いてみたいね・・」と思わず本音も
漏れて散会となる。(続)


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