簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

第38回・古いアルバム

2009-04-29 | Weblog
久し振りに古いアルバムを開いてみる。
赤い硬表紙のSCRAP BOOKだ。
「思い出の北海道」と書かれた背表紙もすっかり黄ばんでしまい、文字も薄らいでいる。

パラパラとページを繰って見る。
古びて色の変わった白黒の写真、駅のスタンプ、駅弁の包装紙、パンフレットの切り抜き、入場券、絵葉書などが、雑然と張られ、列車の到着時刻、列車名などが余白に書き込まれている。
よくもまあこんなに手の込んだものを・・・と我ながら感心する。

ページを捲っていると“北海道周遊乗車券”がハラリと剥がれ落ちた。
“北海道周遊券 日本交通公社”と書かれた黄色い表紙に挟まれた1枚の乗車券が出てきた。
B券片と書かれてあるところを見ると、恐らく発駅名古屋から北海道までのA券片がもう一枚付いていたのであろう、千切られた痕跡だけが残っている。

残されたB券片は随分と手垢で汚れてはいるが、名古屋駅の無効印や北海道各地で下車したときの下車印がまだ鮮明に見て取れる。
札幌、旭川、登別、上川、川湯、網走、北浜、斜里、根室、美幌、北見相生、弟子屈、釧路、函館・・・・。
券の表と裏に押された下車印を数えて見ると、薄らいで駅名が定かでないものも有るが30ヶ所位は読み取れる。

こんなに沢山廻ったのか。思わず懐かしい思い出が甦ってくる。

【写真:古いアルバム】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第37回・血圧上がる 早くしてくれ

2009-04-28 | Weblog
やっとバスに乗れた。以外にスムーズに走る。
何時も渋滞する交差点も殆ど何時もと変わらない信号待ちで通過できた。
問題は、この先の渋滞の最後尾だ。何処まで延びているのだろうか。

心配したが、最後尾はそれほど長く延びてはいなかった。
しかし、バスの動きは何時もより悪い。止まっている時間が全然違う。
いつもなら自転車ほどのスピードでノロノロと流れるのに今日は様子が違う。

もう少しで道路は二車線に広がる。そこからは混むことは先ず無い、もう少しだ。
やっと渋滞を抜けたバスが、バス停に止まる。
大幅に遅れたているだけに、何処のバス停にも人が溢れている。
それだけに乗り降りに何時もより余計に時間が掛かる。
そんな時、横を後続のバスが追い抜いていった。

いつの間にか、空席ばかりの後続のバスが追いついていたのだ。
あのバスが溢れた客を拾えば、このバスのスピードは、少しは上がるだろ。
“すぐ後に空いたバスが来ていますから通過します”とでも言って走れば良いだろう。
と思ったのは浅はかであった。
ドライバーは、ぴったり後ろに張り付いて、追い越した後続のバスを追い抜こうとはしない。

さすがに乗客の中にも苛立ちが広がる。
何時も同じバス停で降りる女性の膝に組んだ手が、小刻みに揺れている。
携帯で職場に連絡を取る女性の声が一人、又一人と聞こえてくる。

結局バスは連なったまま、何時ものバス停に到着した。
時間が無い。走るしかない。ああっ、また血圧上がる~。

【写真:山形市内循環バス(本文とは無関係)】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第36回・雨の朝 血圧上がる

2009-04-24 | Weblog
それにしても遅い。
もしかして、もう行ってしまったのかとも考える。
否、そんなはずは無い。
ここに着いたのは通過予定時刻よりは2~3分早かった筈だ。
幾らなんでも、こんな雨降りに、そんなに早く行く筈は無いだろう。

家に引き返そうか。否もう少し待とうか。
「家に返すなら早いほうが良いぞ。」もう一人の自分が嗾ける。
「否、ここまで待ったンだから・・腹を据えてそのまま待て。」別の自分が諭す。
それでも「遅刻する」との思いがチラつき始める。ああ、どうする、どうする。

決断も出来ないままそうこうしていると、何時もより15分ほど経って、手前のバス停に止まるバスが見えた。
ああ、やっと来た。何とかこれなら間に合いそうだ。ホッと安堵だ。

しかし、そんな安心もつかの間、左の方向指示器を出したまま、バスはバス停から動く気配が全く見えない。
何時もはこんなに長い時間止まることは無いはずなのにどうしたンだろう。

このバス停の前には県立の高校がある。
いつもなら、最寄りのJRの駅から歩く学生が、雨が降るのでバスに移ったか。
よほど大勢乗ったンだろうな。
だとするとバス賃は、現金だから両替にでも手間取っているのであろうか。

バスは動かない。
おいおい、どうなっているのだ。早くしてくれよ。これでは間に合わんぞ。

朝からこれで三度目だ、ああっ、イライラが募りだした。
血圧上がる~。

【写真:酒田るんるんバス(本文とは無関係)】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第35回・雨の朝

2009-04-21 | Weblog
雨の朝、血圧の上がることばかりだ。

まるで初夏を思わす陽気が続いた昨日までとは打って変わって、少し肌寒さを感じる朝。
久し振りにまとまった雨の降る日となった
目の前を行き交う車は、多少多く感じられる程度で、普段と余り変わりない光景だ。
何時ものように、何時もの時間、何時ものバス停でバスを待つ。

その時、大型のトラックが轍に溜まった水を激しく跳ね上げて通り過ぎて言った。
「アッ!」と思ったときはもう遅い。
二三歩後ずさりしたものの、激しく飛び散った水しぶきが僅かにズボンの裾を濡らした。
「くっそ~ぅ」顔を上げたその先を、トラックは何事も無かったように遠ざかっていく。
睨みつけてみたものの全くの無力で腹が立つばかりだ。
バスが来なくてイラついている時だっただけに余計腹が立った。

それにしてもバスが来ない。
いつもなら、このバス停では5分ほどの遅れで到着する。
しかし、今は10分になろうとしているのにまだバスは来ない。
一つ手前のバス停は、500mほど先に見通すことが出来るが、そこにバスの姿は無い。
ジリジリと苛立ちが募りだした。と同時に頭の中でしきりに算盤を弾き始める。

雨の日は、何時もの倍かかるから、後待てるのは5分ほどか?
これで、もしこなければ家に帰って車を出して・・・でも、家に引き返せばそれだけで10分はかかるし・・。こんな日は車も思うようには走れないし・・。
そうなると、このままバスを待ったほうが得策か・・。

一つ手前のバス停を望みながら頭の中がグルグル巡る。
ああっ、血圧上がる~。

【写真:怒りの形相(本文とは無関係)】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第34回・あいさつ

2009-04-17 | Weblog
交通指導員の挙げた手に、軽く手を挙げ、答えるドライバーがいる。
首を軽く、縦に振るドライバーもいる。
渡りながら手を振る児童に微笑を返すドライバーがいる。
そうかと思うと中には全くの無反応なドライバーもいる。
停められたことに腹を立て、迷惑そうに顔を顰めるドライバーもいる。
停まったことを良いことに、ここぞとばかりに携帯や雑誌に眼を落とすドライバーもいる。
バスの座席は目線が高いだけに、横断歩道では、その向う側に停車した車のドライバーの、さまざまな表情を毎日眼にする事が出来る。

バスのドライバーは、自社のバスと行き違うとき、お互いが軽く手を挙げ挨拶を交わすことが多い。
中には、おどけた調子で手の平をくるくる回す者もいる。
そんな仲間内とは挨拶を交わすのに、この横断歩道では何の反応も示さないドライバーも少なからず見受けられる。
面倒で煩わしいのか、仲間意識だけが強いのか、それとも他人とは少しもかかわりたく無いとでも言う事か。

中には行き違う自社バスとも挨拶を交わさないドライバーをたまに見かける。
運転に集中し、片手ハンドルを避けているのか。それならそれで良いのだが。
しかし、そうで無いとしたら・・・。
穿って思うと、社内で孤立しているのでは・・、それともシカト?何だか心配だ。
運転に響かなければ良いのだが・・・。

【写真:挨拶(イメージ)】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第33回・ボランテァ

2009-04-14 | Weblog
新しい一年生を向かえ新学期が始まった今日も黄色い帽子に黄色いコートを着て、横断歩道で児童の交通指導をしているボランテァであろうか、初老の男がバスに向かい右手を大きく上げ、流れを止めたことへのお詫びと、停まってくれたことへの感謝の意を表している。

毎日同じ横断歩道で繰り広げられる光景だ。
雨の日も、風の日も、雪の降る寒い朝も、日差しのきつい暑さの中でも、児童の安全を願うボランテァの交通指導員の方々の活動には本当に頭の下がる思いがする。

道路交通法では、「~歩行者や自転車が横断しているときや横断しようとしているときは、横断歩道や自転車横断帯の手前で一時停止をして歩行者や自転車の道をゆずらなければならない」と規定しているが残念ながらこれを遵守するドライバーは圧倒的に少ない。

多くの場合、歩行者や自転車は、自動車が通り過ぎるのを待ち、その間隙をぬって渡っている。
しかし、行き交う車の多い幹線道路ともなると大人でもなかなか隙を突くのは難しい。
多くは危険を承知で、多少の無理をし、素早く駆け抜けないと渡れない。
小さな児童にはこんな芸当はとても危なくって出来るはずがない。

各所にお巡りさんでも立てば相当様子は変わってくるので有ろうが、とても現状では手が足りない。
そこでボランテァの善意に頼ると言う事になる。

世のドライバーが、少しのゆとりと、もう少し他人を思いやる気持ちが有ればこんな風にボランテァの手を煩わせることもなくなるのだが、現状は残念ながら・・・である。

【写真:横断歩道(イメージ)】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第32回・電話世論調査

2009-04-10 | Weblog
安倍内閣が発足した直後であったか、我が家の電話にもアンケートがあった。
予めコンピュータに録音された音声に従ってアンケートが流れ、一番近い答えの番号釦を押して答えるのだ。
何かの節目にはこうした電話による世論調査の結果が報道される。
定額給付金に付いてもマスコミ各社で報道されていた。

しかし、電話でアンケートを受けて以来、この手の報道がされるたびに、何時も疑問に思うことが有る。
それは、本当にこれが世論を集約する意見になり得るのか・・と言う事である。

昨今街角から公衆電話が急速に姿を消した。
それと呼応するかのように家庭の固定電話もその契約数を減らしている。
理由は簡単、携帯電話が普及したからである。
こうした中で現在も多くのアンケートは、固定電話に対して行われているのではなかろうか。

職を失い、ハローワークに群れる人、取り分け住居を奪われてネットカフェで暮らす人たちや一人暮らしをする若者たちに、固定電話は考えにくい。
例えば定額給付金などは、こうした人達の多くは求めていたのでは無いだろうか。
街角インタビューにしてもこうした人達の声を聞いていたとしたら・・・。

固定電話によるアンケートでは、こうした人達の声は反映され難い。
電話による世論調査は、一方的に無作為で抽出した固定電話にかけるだけではなく、携帯電話からも任意に参加できるなど、双方向のアンケート収集方法をもっと導入すべきと思う。
やり方次第では、”意図”とはまた違った声も聞こえてきたような気がして仕様がないのである。

【写真:セール(本文とは無関係)】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第31回・インタビュー

2009-04-07 | Weblog
それにしてもおかしな国だと思いませんか?
テレビ・ラジオでは「給付金を貰ったら?」と問い、それに答える視聴者の声をしきりに流している。
それが不思議なことに誰一人として「反対だったから受け取らない」とは言わないのだ。
世論調査や街角インタビューでは、あれほど否定的な意見が多かったのに、である。
反対だけど、この際貰えるものは貰っておこう・・と言う事か。

昼間の街角に繰り出す奥様方、立派な身なりで職場に急ぐ会社員、アフターファイブを楽しむOL・・・当時、こんな人達へのインタビューでは「何かぁ、もっとぉ、別のことにぃ、使ったらぁ良いのでは・・・。」と決まり言葉ででも有るかのような声が返っていた。
勿論、少数では有るが、賛同する意見も流されてはいた。

しかし、考えてみるが良い。
万人全てが諸手を挙げて賛同できる施策など有るだろうか?
世の中のことは多かれ少なかれ、「あちら立てれば、こちら少なからず立たず」ではないか。
あちらが立って、こちらも立つ、そんな大岡裁きのような名案が有るのなら、折角インタビューを受けたのだ、「何かぁ、もっとぉ、別の~」では無く、堂々と「○○に使って欲しい」と述べれば良い。
恐らくそんな名案、確たる意見など持ち合わせてはいないのだろう。

昔、時の世情を評して”一億総評論家”と言った評論家がいたが、正に言い得て妙で有る。
時の権力、お上には一言言わないではいられない、それが文化人、教養人としての知性の発露、兎に角、何かを言わずにはいられない・・・と。
そんな血がどこかに潜んでいるのでは無いだろうか。

【写真:神戸南京町の賑わい(本文とは無関係)】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第30回・定額給付金

2009-04-03 | Weblog
全国の自治体で定額給付金の支給が始まっている。
天下の愚策、選挙目当てのばら撒き、経済効果への疑念が有る、行政コストも馬鹿にならない、などと散々に酷評された挙句、補正予算関連法がいわゆる衆院での「三分の二条項」を使って再可決されたからだ。

先月初めには、先陣争いをしていた北海道か青森かの何とか村で「全国初支給」された様子が何度も報じられた。
あれほど否定的な論調に終始していたマスコミが、まるで手のひらを返したかのように今度は先陣争いを囃し立てている。
支給を受ける老婆のインタビューまで付けて。
見ていて何だかおかしな気がして仕様が無い。

それにしても首相が受け取る、受け取らないと、決まる前から給付金ありきの論調に終始していた。
生活支援だから高額所得者が受け取るのは”さもしい”。
否、消費刺激だから受け取るべきだ、などと。
給付金が最善の策だとは思えないが、はっきり言って、そんなことはどうでも良い。
貰えるものなら、納めすぎた税金が返ってくる、と有り難く頂けばいいではないか。
生活にゆとりが有るのなら、受け取った額に“0”を一つ、二つ付けて福祉団体か何かに寄付すれば良い。この行為を、誰が受け取って”さもしい”と言えるだろうか。
刺激効果がGDPを0.2%程度しか押し上げないから効果は疑問と言うが、自治体によっては地域経済の振興に役立てようと智恵を絞っている。
企業も然り、少しでも取り込もうと必死になっている。
ここは受け取る国民も他人任せばかりにせず、自ら景気の底上げに貢献すべく、前向きに素直な気持ちでこの際ほんの少しの無理を上積みし、消費に回したら良いのではないか。

【写真:定額給付金】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする