簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

こんな筈では・・・

2009-01-30 | Weblog
もともと身に付いていない趣味など、余程の覚悟を持って身に着けようと努めない限り長続きはしない。
アレヤコレヤと手は出して見るものの、俄かに思いついたことだけに、ことごとく瓦解してしまう。
元々が妻任せで、近隣との結びつきの薄い親父の俄か地域デビューもなかなか難しい。
さりとて、サークル活動やボランテアに飛び込む度胸も無い。
遊び呆ければお金がかかる。

いつしか、有り余る時間は文字通り有り余り、気が付いてみれば現役時代の休日と同じでは無いか。
多くの場合所在も無く、家でうろうろ。テレビがお友達。またまたカウチポテトの毎日。

こうなると始末が悪い。まさにぬれ落ち葉とは良く言ったものだ。
地べたに張り付いて離れない邪魔なゴミ同然か?
妻からは疎まれて(いるだろうか?)、身の置き場所も無く(と、自分で思っているだけか?)・・。
稼ぎが有った頃なら当たり前と思っていた三度の飯、上げ膳据え膳が今は心苦しくさえ思われる。
せめて、「昼飯位は外に食べに出るか。」そんなことまで考えてしまう。

しかし、
40年近くあくせくと働いてきたのだ。退職金も年金も手にしているではないか。
誰に遠慮がいるものか。もっと堂々としていれば良いのだ。
心の中では叫んで見るものの声には出せない。
胸中で何度もつぶやく言葉は何時も同じ。「こんな筈では・・。」




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一日が長い

2009-01-23 | Weblog
するべき事も、したい事もいっぱいある。
時間もたっぷり、自分の思うままだ。誰にも邪魔されることも無い。
何も心配無い、楽しくなるぞ、忙しくなるぞ、そんなつもりだった。

ところが、日々を重ねるうちにこれらの“やりたいこと”は次第に淘汰され、本当に自分のしたい事だけに絞られていくのである。
それもその筈、この“やりたいこと”は、言わば俄かに思いついた、或は考えついたものであり、本当に予てから“やりたかった”ことでは無いところに大きな落とし穴が有った。

考えて見れば元々の会社人間が、或る日から突然に毎日が日曜日に成ったのだ。
余程打ち込める趣味でも無い限り、時間は潰せない。
有り余る時間は文字通り本当に有り余ってしまう。
“やりたいこと”は山ほどあった筈であるのにふと気がついてみると毎日やることが無い。
その日、その日の時間が潰せない。
「一日が長いなぁ、こんな筈では・・。」

だが、思い出して見るが良い。今までの休日を。
どれだけ忙しく過ごしてきたのか。時間が足りないほど、充実した休日で有ったのか?

いや違う。
多くの場合、休養と称してカウチポテトを決め込んでいたではないか。
定年したからと言って、そんなに急に変わることが出来るものか。


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有り余る時間

2009-01-16 | Weblog
多くの戦後世代は、仕事中心の生活を送ってきた。
決して家庭を忘れていた訳ではないけれど、仕事の都合に合わせ一生懸命働いてきた。
早出・残業に休日出勤、出張に転勤や異動・・・・・。
時にはサービス労働までも厭わず、あくせくと働いてきた。

思えば終身雇用が当たり前の時代であったから、ささやかな家族団らんに満足しつつも、時には家庭を犠牲にして会社の“意”に染むように勤めてきた。
転職は嫌だ、定年まで働きたい。無事に定年を迎えたい。
誰もがそう思ってがむしゃらに働いた。
その為には随分と自分を抑えていた。
自我を押し通せば続けられないことを学んでいたから。
だから会社中心の生活だった(と今になって思う)。

永年我慢をし、辛抱を重ねた結果ここまで続けて来られた。
その結果のご褒美が“円満な定年退職”と言う称号と、そして有り余る自由な時間、少しばかりの老後資金。
これを楽しまない手は無いだろう。

ところが・・・・。

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退職したら

2009-01-09 | Weblog
定年になったら有り余る時間を、自分の自由に気ままにのんびりと、好きなことをして過ごそう。

彼方此方と旅行にも行きたい。
好きな電車に乗って、鄙びた温泉に浸かるローカルな旅がしたい。
日がな一日、のんびりと釣り糸を垂らすも良いだろう。
庭に花木や野菜を植え、土弄りも悪くない。

買ったけど、読まずに本棚で眠っている本を読む時間も充分に有る。
暖かな陽だまりに椅子を持ち出し、薫り高いコーヒーをすすりながら、本を読もう。
図書館通いも悪くない。

健康にも気を付けて、身体も鍛えよう。
週に何回かはジムに行ってみよう。
朝夕のウオーキングも、毎日道を変えれば楽しいだろう。

そうそう、育ててくれた世間様へボランテァで恩返し、サークル活動、地域デビューも果たさねば。
暫く止めていたゴルフも、懐具合が許すなら始めて見るか・・。
先立つものは自由になるお小遣いか。株で稼ぐのも悪くないな。
頭の体操にもなるし。
忙しくなりそうだ。
時間が幾ら有っても足りないぞ・・と、そう思っていた。
しかし・・。


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定年退職

2009-01-02 | Weblog
思えばよくここまで続けられたものだ。
三十八年余り勤めた会社を退職した。円満な定年退職である。

入社当時を振り返って見る。
あの頃は自分のやりたいことを目指し、将来の夢と目標を持って職を選ぶと言うよりも、高度成長期にあって、製造現場の担い手、労働力としての社会のニーズが強く、その為に地方の労働力が大都会周辺に集積され、集団で職に就いた時代である。

終身雇用が当たり前であったから、兎に角大企業に入らねばとの思いが強かった。
親元を離れた集団就職者にとっては、寄宿舎・寮の住環境の良し悪し、初任給が少しでも高いところ、そんなことが就職の条件であったと思う。

それだけに仕事を始めてみて、世間の風、職場での体験がそぐわなくて、早々と転職する者も決して少なくは無かった。
そんな中でも、働く楽しさ賃金を得る喜びを知り、将来を夢見て未来の自分を描き頑張る。
時に自我を抑え上役に迎合し、時に同僚と諍い失望し、諦めに似た我慢を重ねる。
そんなことの繰り返しであった。


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