「Windows10」騒動で中断しましたが、再び吉備線(桃太郎線)の旅が始まります。
左手に「吉備の中山」が近付き、「吉備津彦神社」の鳥居が見えて来ると備前一
宮だ。改札脇のホームの端に、何やら赤茶けた長方形の石の塊が置かれている。
これは「吉備の中山」の東麓にある、「石船塚古墳」で発掘された石棺の蓋で、現
地には家形の石棺が有り、これは蓋の片側半分である。
凡そ1500年前のものらしい。
こんなものが無造作に駅のホームに置かれていることが、いかにも吉備路らしい。
駅を出て旧道を右に進み今来た桃太郎線の踏切を渡ると、その正面が四道将
軍の一人吉備津彦を祀る「吉備津彦神社」である。
備前の国一宮として信仰を集めるここは、「吉備の中山」の東麓に位置している。
参道正面に石造りの大鳥居が聳え、その足元には備前焼の狛犬が控えている。
高さ1.4mの堂々とした狛犬は、幕末から明治にかけて作られたものらしく、備前焼
としては最大級のものだ。近年痛みが激しかったものを、備前焼作家(備前市伊部
在住)が修復を試みたと話題になった。
両側に神池が広がる参道を進むと随身門があり、それを潜ると巨大な灯籠が目
を引き付ける。安政年間地元有志らが発起、寄進を募り奉納された石造灯篭で、
六段造り高さは11m、笠石は畳8畳分の広さが有り日本一と言われている。
正面の社殿は、大屋根を備えたどっしりとした構えで流麗な美しさを見せている。
江戸時代に時の藩主池田綱政公により再建されたもので、「三間社流造り」と言わ
れ県の重要文化財に指定されている。
境内にある「子安神社」は、縁結び子授けの神様として特に若い女性たちの信仰
を集めていると言う。(続)
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左手に「吉備の中山」が近付き、「吉備津彦神社」の鳥居が見えて来ると備前一
宮だ。改札脇のホームの端に、何やら赤茶けた長方形の石の塊が置かれている。
これは「吉備の中山」の東麓にある、「石船塚古墳」で発掘された石棺の蓋で、現
地には家形の石棺が有り、これは蓋の片側半分である。
凡そ1500年前のものらしい。
こんなものが無造作に駅のホームに置かれていることが、いかにも吉備路らしい。
駅を出て旧道を右に進み今来た桃太郎線の踏切を渡ると、その正面が四道将
軍の一人吉備津彦を祀る「吉備津彦神社」である。
備前の国一宮として信仰を集めるここは、「吉備の中山」の東麓に位置している。
参道正面に石造りの大鳥居が聳え、その足元には備前焼の狛犬が控えている。
高さ1.4mの堂々とした狛犬は、幕末から明治にかけて作られたものらしく、備前焼
としては最大級のものだ。近年痛みが激しかったものを、備前焼作家(備前市伊部
在住)が修復を試みたと話題になった。
両側に神池が広がる参道を進むと随身門があり、それを潜ると巨大な灯籠が目
を引き付ける。安政年間地元有志らが発起、寄進を募り奉納された石造灯篭で、
六段造り高さは11m、笠石は畳8畳分の広さが有り日本一と言われている。
正面の社殿は、大屋根を備えたどっしりとした構えで流麗な美しさを見せている。
江戸時代に時の藩主池田綱政公により再建されたもので、「三間社流造り」と言わ
れ県の重要文化財に指定されている。
境内にある「子安神社」は、縁結び子授けの神様として特に若い女性たちの信仰
を集めていると言う。(続)
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