簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

冬の味覚・松葉カニ

2010-12-31 | Weblog
T荘の廃業で、これまで続いたカニとの縁切れは忍び難く、女将さんに、信頼できる民宿の紹介をお願いした。
女将さんが「ここなら大丈夫」と太鼓判を押して紹介してくれた民宿は、駟馳山峠で国道9号線を離れ、178号線を6キロほど北に走った浦富海岸を見渡す絶好のロケーションに有る。
赤い屋根が可愛い、こじんまりとした、家族で営むとても温かで家族的な民宿で有る。

そんな民宿、「シーハウス U」に通い始めてもう7年に成る。
T荘の時とは違って、ここでは日帰りで昼食を戴くようになった。
参加するメンバーもすっかり変わってしまい、今では、ほぼ固定されたメンバーで毎年訪れている。
もう何年来、同じ料金でお願いしているものだから、毎年のことながら、今回もこれで良いのだろうかと思いつつも、やっぱりしっかり者だがやさしいおかみさんの好意に甘えておこう・・と厚かましくも続けているのである。







お昼だと言うのに、ここも大そうな料理が並べられる。
「ゆでカニ」から、「さしみ」、「焼きガニ」、「かに鍋」、更には「さしみ」、「酢のもの」、「茶碗蒸し」・・・。
ドライバー以外は皆、お気に入りのKビールを飲みながらの食事だから、とても全部は食べ切れず、結局何時も「ゆでカニ」と「セコカニ(メス)」はお土産として持ち帰る事に成る。



そうして締めは、当然「かに雑炊」。
ほぐしたカニの身を一杯入れ、少しばかりのカニみそを隠し味に十分に炊き込んだ雑炊は、カニの濃厚なうま味が凝縮され、甘くて絶品である。
いつものことながら、お腹一杯と言いながらもアツアツの雑炊を、フーフーと冷ましながらかきこむと、不思議なことに、別腹に落ち込んで行く。
こうしておなかが満たされると、初めて師走の訪れを実感するのである。(完)


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浦富海岸の民宿

2010-12-29 | Weblog
もう四半世紀以上も前の事である。
職場の仲間10人ほどが、三台の自家用車に分乗し、山陰に向かった。
行先は、その土地の旅行社に務める知人に紹介してもらった浦富海岸(鳥取県)の民宿・T荘。
その月、漁が解禁に成ったばかりの、「冬の味覚の王様・松葉ガニ」が目的だ。




折角行くのだからと、近隣の観光地を二三周り、旅気分を楽しんだ後、夕方T荘に落ち着くと、風呂に入るのももどかしく、早速皆揃って食事の席に着いた。

一匹丸ごとの「ゆでカニ」から、「さしみ」、「焼きガニ」、「かに鍋」、「カニグラタン」「カニみそ」等々、正にカニ尽くし、加えてその日浜に上がったばかりで、まだピクピクと動いている活きの良い「ヒラメ」や「タイ」の活け造り、さらには茶碗蒸し、酢のもの、焼き魚等々・・・。

こんなにたくさん食べきれない・・・などと言っていた弱気は食べ始めだけ。
皆黙々箸を進める。
カニを食べる時は、皆一様に寡黙になるようだ。
世話好きの女将さんが、食事中もカニの上手な食べ方を指南してくれるので、もうこれ以上身は残っていない、と言うほどに綺麗に食べ上げた。
誰もが大満足で、お腹を抱えていた。




それからと言うもの、皆これに味をしめてしまった。
その後は、転勤や移動で参加メンバーに多少の変動は有ったものの、毎年この時期の浦富詣でが始まった。
そんなある時、女将さんから、民宿の廃業を知らされた。
成長したお子達が、そろそろ個室を欲しがる年頃に成ったのもその一因だそうだ。
暫く、見ていなかったと思ったが、何時しかもうそんな年頃に成っていたのだ。
小さな身体に、ビールを抱え込んで、一生懸命お手伝いしていた姿が思い出された。(続)


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奥出雲おろちループ(JR全線乗り潰しの旅)

2010-12-27 | Weblog
列車がブレーキ音を軋ませて停車すると、運転士はまた移動する。
それに連れ、乗客もぞろぞろと移動すると、列車は左の昇り線に侵入、大きくカーブしながら喘ぎ、喘ぎ昇っていく。
駅の前を走る国道314号線が遠く小さくなっていく。
車輪を軋ませながらユックリ、ユックリと、停まりそうなスピードで昇っていく。
本当に停まるのではないかと思っていたら、急坂を登り切ったところで本当に停まってしまった。







ところが、停まった瞬間、突然右手の視界が開け、国道314号に架かる「奥出雲おろちループ」の赤い橋脚が、目に飛び込んできた。
何とこれは絶景ポイントをユックリ見ても貰おうと言うJRのサービスだ。

車内の乗客全員が一斉に右側の窓に寄りかかり、カメラを構えるものだから、車両が横倒しに成りはしないかと心配に成るほどだ。
紅葉の時期なら超一級の景観であろう。





暫く停車した後も、歩くようなスピードで、この絶景を堪能させてくれる。
再びエンジン音を高め、幾つものトンネルを昇りながら抜けると、標高726メートル、JR西日本では一番高所の駅、三井野原に到着する。
この三段式スイッチバックで160メートル余りを昇ってきたことになる。



駅を出て、島根県境を越えると、後は備後落合に向かって滑るように一気に下っていく。
備後落合では、10分ほどで芸備線の備中神代から新見に向かう列車に接続する。
これに乗り損ねると、次6時間後の20時過ぎまで列車は無い。
駅にも、その周りにも何もない山の中の寂しい駅で、とてもこんなに待つことは出来ない。(完)








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三段式スイッチバック(JR全線乗り潰しの旅)

2010-12-24 | Weblog
車内にそばつゆの匂いが漂い、それがまだ消えぬうちに列車は十数分停車する、出雲横田に到着した。
乗客の多くはカメラを持って列車を降り、いそいそと改札口を出ていく。
お目当てはここの駅舎を写真に収めること。





神話の里、出雲の国らしい荘厳な神社造りの駅舎は、昭和9年に開業した当時のもので、名駅舎として知られている。
駅員さんの「そろそろ出発しま~す」の声で、何人かの乗客があわてて車内に駆け込むと、列車は大きく警笛を一つ鳴らして出発した。
のんびりとしたもので、こんな鉄道の旅は本当に楽しい。

木次線はここからがこの線のハイライト。
25パーミル以上の急坂を喘ぐように登っていく。
やがて左手から線路が一本接近、その合流の先に水色と白に塗り分けられた「奥出雲 おろち号」の車体が見えてくると、三段式スイッチバックで有名な出雲坂根駅に到着だ。



ここでも乗客は忙しい。
「水飲みに行く時間、有りますか?」
「大丈夫ですよ」と運転士。
僅かな停車時間では有るが、乗客がホームの端に湧く名水「延命水」を飲みに走るのを待ってくれる。
他にも「奥出雲 おろち号」を写真に収めたり、三段式スイッチバックの線路を撮ったり・・・・。
この「奥出雲 おろち号」は普通列車の出るのを待って、木次に向けて出発する。





運転士が車内を移動する。
その後を何人かの乗客が付いて移動する。
いよいよ三段式のスイッチバックが始まるのだ。
国内のJRでは全国に4か所しかないそうだ。

手を振る「奥出雲 おろち号」の乗客に見送られ、昇り線にユックリと侵入する。
分岐の先で、今来た線路がすぐ下に見える。
やがて前方に小さなトンネルのようなものが見え、赤信号が灯っている。(続)






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木次線(JR全線乗り潰しの旅)

2010-12-22 | Weblog
米子から木次線の起点駅宍道へ向かう。1時間ほどの行程だ。
暫く車窓は、右手に中海を望むが、松江を過ぎた辺りからそれは宍道湖に変わる。
水面近くを走るので十分に景色を楽しむことが出来る。



中国地方屈指のローカル線、木次線は島根県の宍道から中国山地の真ん中、広島県の備後落合を81.9キロで結ぶ。
宍道駅の木次線の時刻表を見ると、運行する列車の本数は一日10本。
その内終点の備後落合までいく列車は2本しかない。
と言ってもこの列車、曜日により区間運休があるから事前に十分調べて乗らないととんでもないことになってしまう。



宍道を出た列車は、大きく山に向かってカーブする。
エンジン音を響かせ、急こう配を登ったり下ったり、右に左にカーブしながらユックリ、ユックリと山を抜ける。
30分余りで小さな盆地に開けた木次に到着する。
ここら辺りまでの各駅では、地元らしき人々の乗り降りがあったが、ここで大勢の乗客が降りてしまうと、車内はほとんどが青春18切符を持っていそうな人ばかりになってしまった。



更に大きくカーブしながら高度を稼ぎ、木次から50分ほどで亀嵩に到着する。
ここは松本清張の「砂の器」の舞台として取り上げられ、一躍有名駅に成ったようだが、最近では蕎麦屋さんの有る駅として知られている。



この日も列車が到着すると同時に、宍道から乗り込んだ男性数人連れのグループが、ホームに降りて蕎麦を受け取っていた。
ここの駅の蕎麦屋さんは、乗車前に電話で注文をしておくと、列車の到着に合わせ、出来たての蕎麦をホームに届けてくれるのだ。
以前車で訪れた時は丁度昼時で混んでいて、随分と並んで待たされた。(続)



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水木しげるロード(JR全線乗り潰しの旅)

2010-12-20 | Weblog
駅前から本町に向けて伸びるのが「水木しげるロード」。
駅前広場には、執筆活動に励む30代から40代の頃の、水木しげるを見守る妖怪たちがいる。
河童の三平たちが竹馬で遊んでいる。
いきなり始まる水木ワールド。



カランコロン通りの角に有るのが、河童たちが浅い水辺で遊ぶ「河童の泉」。
そこから100メートル歩くと、世にも不思議な「妖怪神社」が有る。
節目の2000年1月1日午前0時に落成入魂された、妖怪たちの故郷だ。
10周年を迎えて最近では、何組かの結婚式も執り行われたとか。





あっちにも、こっちにも、いるいる、妖怪たちが。
ガラッパ、田の神、口裂け女、すねこすり・・・・。
写真を撮りだしたら忙しくて切りが無い。





大正川の流れる「しげるさん通り」を超え、両側に並ぶブロンズの妖怪たちを眺めながら進むと左側に、このロードのシンボル的存在の「水木しげる記念館」が有る。
水木しげるの集大成、ファンにとってはこの上なく妖怪たちに近付き、触れ合える場所だ。
ここまで1キロ足らずの道のりの両側には、139体の妖怪たちが観光客を出迎えてくれる。

駅に戻る。
ホームで列車を待っていたら“Kitaro Train”が入ってきた。
正面に、側面に、鬼太郎やその物語に登場する妖怪が、所狭しと描かれている。
車内に入ると天井にもトイレの壁にも・・・・。







こんな妖怪列車に揺られ、停まる駅々で付けられた愛称の駅名標を眺めていると、あっと言う間に終点の米子に着いてしまう。

境港は今や妖怪たちが溢れているが、ここはマグロ、松葉カニ、紅ズワイガニの水揚げ日本一の港でもある。
シーズンに成ると、境港さかなセンターには美味しくて安いさかなを求めて大勢の人々が買い物に集まってくる。(続)





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妖怪ワールド(JR全線乗り潰しの旅)

2010-12-17 | Weblog
日本海の美保湾と、中海に挟まれた幅の狭い砂州、弓ヶ浜半島の松林の中を行く18キロ程のローカル線が境線。
途中にはJRの車両工場や米子空港、航空自衛隊美保基地などが有る。
また、余り知られていないが、世界的にも貴重な、環日本海諸国の伝統文化のコレクションを展示する「アジア博物館」と、中国との文化交流に尽力した作家「井上靖の記念館」もこの沿線にある。



境線はこの間に16もの駅が有るが、これらの駅には全て愛称がふられている。
起点の米子は「ねずみ男」、終点の境港駅が「鬼太郎」、途中には「一反木綿」や「砂かけばばあ」「こなきじじい」等々が、各駅のホームにある駅名標に書かれている。

境港は「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・漫画家の水木しげるの出身地と言う事で、そこに登場する妖怪たちが、“街おこし、観光客の「魂」抜き”に一役買っているのだ。
この線は、比較的本数も多いので、興味と時間の有る向きは、境港には、終電には間に合うので、米子から一駅ずつ下車しながら、そんな駅名とイラストを楽しむのも良いかもしれない。



米子駅の「霊(0)番線」には文字通り妖怪たちが溢れている。
階段にも、柱にもキャラクターが描かれ、ブロンズ像や立て看板など、そのアイテムは豊富で見飽きることが無い。
また、この路線には何タイプかのキャラクター車両が運行されており、それらの車両の外にも中にもキャラクターが溢れている。
運が良ければ、そんな電車に引きずり込まれて、境港に連れて行かれるかも知れない。

 

そんなわくわく感と妖気が、こころなし薄暗いこのホームには溢れている。(続)




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山陰は温泉天国(JR全線乗り潰しの旅)

2010-12-15 | Weblog
途中三瓶山が車窓から見えるかと思い目を凝らしていたが、どの辺りで見えたのか・・・気付かず見損なってしまった。



やがて川幅が広く成り、その先に日本海が見え始めると終点の江津に到着だ。
江津は、美肌の湯として知られた有福温泉への玄関口。
山間の小さな温泉町だが、1350年の歴史があり、日帰り湯を楽しめる公衆浴場が3軒も有り、安く梯子が楽しめる良いところである。
しかし、今年の8月に大火が有り、何軒かの旅館が焼けたらしい。
どこの旅館が焼けてしまったのか、あの公衆浴場は無事だろうか・・ちょっぴり気がかりである。





江津では、数分の連絡で山陰本線の出雲市行きに乗る。
ここからは左手に日本海が広がり見飽きる事が無い。

列車は20分ほどで温泉津に到着する。
世界遺産・石見銀山の積み出し港として栄えた港を控えた街道筋に開けた温泉町で、どこか懐かしい佇まいが、なぜかホッとする町並みだ。
ここの元湯「薬師湯」は天然温泉の評価で「オール5」の評価を受けた正真正銘の源泉かけ流し。
余り広くは無いが、湯船に湯の花がしっかりこびり付いた様は、薬効と歴史を感じさせる。
もう一度訪ねてみたい湯では有るが、今日は立ち寄れない、ここは先を急ぐことにする。

宍道湖の周りには玉造温泉や松江しんじ湖温泉がある。
米子には皆生温泉もあり、山陰にも良い湯が沢山ある。



出雲市駅で米子行きに乗り継ぎ、1時間余りで米子に到着。
ここから境港を目指す境線は、0番ホームから出発する。(続)


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「緑にこだます 音楽の里」(JR全線乗り潰しの旅)

2010-12-13 | Weblog
「緑にこだます 音楽の里」
ここ川本には、ブラスバンドの全国大会で何度も優勝をした川本高校がある。
と言っても、あらかじめ知っていたわけではない。
パンフレットにそう書いてあるから知ったに過ぎないが・・・。

この伝統を生かし、音楽を町作りの柱にした音楽施設「悠邑ふるさと会館・かわもと音戯館」が小高い山の上に見える。



駅近くの「創作Dining」と書かれた小奇麗な店を見つけ昼食をとる。
店員に、この辺りで1時間ほど時間をつぶしたいのだが・・と聞くと、「この町は何もない」と素っ気ない返事が返ってきた。
「あの先に見えるところは・・・」と聞くと、「大したことない」と言う。
城跡も有るらしいが、結構な距離を歩くことになるらしい。

結局昼間からビールを注文し、ラーメンを啜っていたら1時間ほどが過ぎてしまった。



町はずれのお寺に立ち寄り、そのあと線路を横切り江の川の河川敷に出てみた。
日差しのきつい日で有ったが、さすがに川面を渡る風は涼しく、乗客の何人かは土手に寝そべっていた。
皆どこかへ行くことも無く、ここで時間潰しをしていたようだ。





列車のエンジン音が静かな川縁に響く。
運転士が江津行きの列車に乗り込み、アイドリングに入ったようだ。
この音を聞き付けて、どこからともなく先ほどと同じ顔ぶれの乗客が集まってきた。

反対側のホームに対向の浜原行きの列車が入線した。
この先江津まで列車の行き違いが出来る駅が無いので、この列車の到着を待っていたらしい。
その列車がホームに停止するのを待って列車は出発した。(続)





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山と川・石見川本(JR全線乗り潰しの旅)

2010-12-10 | Weblog
字都井を出た辺りで、列車は東方向へ大きく進路を変える。
地図で見ると解るが、そのまま真っ直ぐ石見川越辺りに繋がれば良いものを、「つ」の字状に迂回して距離を稼いでいる。
これは、浜原のダム湖を避けるための措置らしいが、その事が結果的には都市間を結ぶ幹線としての機動性を損ね、ローカルな閑散路線に貶めている一因になっていると言われている。



三次を出て2時間余り、江の川の堤防に沿った石見川本に到着する。
列車はここが終点、江津行きの次の列車までは、1時間40分余りをここで待つことになる。



一緒にここまで乗ってきた青年が運転士と何か話しこんでいた。
「やっぱ、駄目だった」と言う言葉を小耳に挟んだものだから、「どうしたのか」と尋ねたら、「列車の中に荷物を置いておいても良いか」と尋ねたら、「駄目だ」と言われたらしい。

青年によると、江津にはこの列車がそのまま向かうはずだから、車内に荷物を置かせてくれるよう頼んだのだとか。
運行上は石見川本止まりと成るので、滞泊中の列車だから、荷物を置くことは出来ないと言う事らしい。
運転士はエンジンを切り車両に鍵をかけ駅務室に入って行った。
これから食事休憩に入るのであろう。

その青年は、ホームのベンチに荷物を置いて駅舎を出ていった。
それを見て、乗っていた何人かの乗客も一様にベンチに荷物を置いたまま出ていった。
随分迷ったが、身軽に越したことは無いのでそれに倣い、私も荷物を置いて駅舎を出た。



食事をするところを捜さなければ・・と思い、駅で見つけたパンフレットを手に町に出た。
車も人もほとんど通らない静かな、静かな町である。(続)



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