簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

四国遍路 無念のリタイア

2009-03-31 | Weblog
うどんを食べ終わった頃、夫が「実は・・」
「妻が足を痛めてしまって、重い荷物が堪えたようで、これ以上歩けそうに無いので・・」
夫が話す横で妻が足を擦っている。

遍路に備え、毎日夫婦で歩いてトレーニングは重ねてきたと言う。
自信も付いたので遍路に出たのだと。

しかし実際に遍路道を歩くとなると、思い荷物を背負うことになる。
まして、全てが平坦で歩きやすい道ばかりとは限らない。
ごてごてとした地道や草の生い茂った道も有る。傾斜の付いた舗装道は結構歩きづらい。
空身で平坦なアスファルト道を歩くトレーニングとは訳が違い、当然足腰にかかる負担は計り知れない。
ある冒険家は、毎日のトレーニングでも重いザックを担いで歩いているそうだ。

「一晩泊って、明日帰ろうかと・・・」口惜しそうに夫が話した。
今晩の宿が決まっていないと言う夫婦に、我々の泊る宿を紹介し、十番札所に向う。
切幡山の中腹にある今日最後の札所までは3.8キロ。最後に333段の石段が待っている。

夜遅く、宿で時刻表を調べる夫と再び話をした。
「荷物を纏めていたら気持ちの整理が付いた。もう一度来たい。」と、サバサバと言った。

その後、あの夫婦はどうしたのだろう。また遍路に旅立ったので有ろうか?
今年もまた、遍路の春が来た。

【写真:第十番札所 切幡寺】
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四国遍路 夫婦連れの巡礼

2009-03-27 | Weblog
八番・熊谷寺で予定していたお昼で有ったが、生憎の日曜日とあって店はお休み。
止む無く次の札所に向う。
法輪寺までは2.5キロ、田園地帯を行く平坦な道である。
途中、食べ物屋さんも見付からないまま、空腹を抱え、ただひたすら歩く。

やがて田圃の中にお寺の大屋根が見えてくる。九番・法輪寺である。
近づくと山門前に時代劇にも出てきそうな素朴な茶店がポッンと一軒有る。
歩き続けて食いそびれてしまった昼食にようやくありつけそうだ。
名物たらいうどんを注文する。

店内で関東方面から来たと言う夫婦連れの遍路と知り合った。
今回は、阿波23ケ寺を目指しての歩き遍路だと言う。
区切り打ちも色々な区切りが有るらしく、ひにちや一週間単位とか一国(県)単位で廻るなど様々で、これといった決まりがあるわけでは無いらしい。

二十三番までとなれば十日から二週間程の日程か。見れば大層な荷物だ。
「大変な荷物ですね」
「これでも少し送り返し、減らしたンです」
夫婦の背負うザックは、はち切れそうな位に膨らんでいる。
これ以外に手提げ袋があり、金剛杖を持てば両手は塞がる。
このスタイルで歩くのは大変だろう事は想像に難くない。

うどんを食べ終わった頃、夫が無念そうに声を絞り出した。
「実は・・・」

【写真:門前の茶店】
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四国遍路 お接待

2009-03-24 | Weblog
遍路道で「お接待」と言われる無償で飲食物の提供を受けることが有るらしい。

八番・熊谷寺へ向う途中、“四国霊場巡拝のお遍路さんにお接待いたします お立ち寄り下さい”と書かれた看板を眼にした。

これがお接待かと思い、初めての遭遇に、恐る恐る戸を開け訪ねてみた。
人懐こい老婆が笑顔で迎い入れ、椅子を進めながら早々とお茶を入れてくれる。

熱いお茶をすすり、お菓子を勧められるままに頬張りながら、しばし話に花が咲く。
これから八番に向うこと、今日は十番まで廻ることなど。
今晩の宿を告げると、それはうちの子が営む宿だと言う。
不思議な巡り合わせ、これも何かの縁なのか?

こうした全くの見返を求めない行為がお四国の特徴であり、魅力の一つだと言われている。
遍路の道中にこう言った場所は結構有るらしい。
中には歩き遍路に対して宿泊場所を提供するお接待も有るとか。
このようなお接待は「断ってはならない」とされ、お礼に納め札を差し出すのが良いとされる。

お接待が当たり前の事として振舞われることに大きな驚きを感じてしまう。
これから先、どんなお接待にめぐり合うことが出来るのか、チョッピリ楽しみでも有る。

お接待と言い、納め札の少年と言い、どうやら”お四国”では、歩き遍路は特別な存在らしい。

【写真:お接待】
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四国遍路 納め礼

2009-03-20 | Weblog
一台の車がハザードランプを点け路肩に寄り、停止した。
車の窓が開き、こちらに何か話しかけているが、すぐ横を走り抜ける車の音にかき消されよく聞き取れない。
近づくと、「納め札下さい!」小学校の高学年くらいであろうか、窓から顔を出した少年が話しかけてきた。
最初は何の事か解らず、一瞬ポカーンとしたがすぐに気づき「これですか?」と一枚の白い札を差し出した。
「ありがとうございます」白い納め札を手にした少年の顔が笑顔に綻んだ。
運転する父親、同乗する助手席の母親も丁寧な会釈を返し、車を発進させた。

納め札は、遍路の回数により色が変わるらしい。
1回~4回は白、~7回までが緑、以後、~24回までは赤、~49回までは銀、~99回までは金となり百回を越えると錦の札となる。
初回の我々は、遍路用具店で当然白い納め札を買い求めていた。
住まいと名前、年齢と参拝日、願意を書いて各寺の納経箱に納める慣わしだ。
また、お接待を受けたときも差し出すのが良いとされている。

幸い予め書いてあったのですぐに差し出すことが出来た。
この少年は、こうして歩き遍路の納め札を集めているのであろうか?
こんな白い札でよかったのだろうか?
もっと違う色の納め札を期待していたのではないだろうか?
そんな思いを抱きながら八番・熊谷寺に向け再び歩き始めた。

【写真:納経帖と納め札】
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四国遍路 へんろ道

2009-03-17 | Weblog
初回は十番 切幡寺までを二泊三日の予定で立てた。
比較的市街地に近く、へんろ道も平坦なところが多いらしいので、小手調べ。
初回から無理は禁物、初めとしては丁度良い。
区切り打ちでの歩き遍路、一回目の旅立ちだ。

二番 極楽寺、三番 金泉寺を過ぎると撫養街道は、徳島自動車道をくぐり、四番 大日寺、五番 地蔵寺へと至る。
ここまで12キロほどのへんろ道。
さほど厳しい上り下りも無く長閑な春の市街地は、歩きやすい。
多くは同じ方向へ向う遍路だ。後先になりながら次の札所を目指す。
時折歩き遍路とすれ違う。逆打ちの遍路であろうか。仙人のような風体の遍路がいた。

へんろ道とは言え、多くは幹線道路の車道や歩道を歩くが、時折古い道に分け入る。
緑の木立の中、木の根道であったり草の茂る地道であったり、民家の庇をかすめ、庭先を通り抜けるような道も有る。ほっとするひと時だ。
標識も整備されているので迷うことは無い。まだまだ元気だ。
六番 安楽寺までは、右に徳島自動車道を見る淡々とした道が5キロ以上も続く。

すぐ横を軽快なスピードで行き交う車を横目に、ただひたすら歩く。
春とは言え日差しは結構強い、歩き続けると額にはうっすらと汗が滲む。
次第に会話も減り杖を突く音だけが歩道に響く。

その時一台の車が近くに寄り、停止した。

【写真:へんろ道】
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四国遍路 第一番 霊山寺

2009-03-13 | Weblog
先ずは腹ごしらえ。
四国に来たのだ。ここはうどんしか無いだろう。門前のうどん屋に飛び込む。
これから先、何キロも歩く身に、うどん腹では何となく心もとない気がしないでも無いが・・。

腹具合も落ち着き、山門脇の遍路用具店で、遍路用品を求める。
幾ら信仰心よりも観光とは言え、歩き遍路として、有る程度の体裁は整える必要がある。
四国を歩くのだ。やはり歩き遍路と一目で分かる服装は最低限しておきたい。

「弘法大師の化身」ともされる“金剛杖”と、遍路のシンボル“白衣”は外せない。
“金剛杖”は随分と種類も多く目移りする。
“納経掛軸”に心が動かされるが先ずは財布との相談だ。
“菅笠”や“輪袈裟”は大仰になるし、“頭陀袋”は多少邪魔になるだろうから・・・などと、値札を見ながらの品定めも結構楽しいものだ。
“線香”と “ローソク”は持参したからいらない。
後は、“納め札”、"納経帖”などを揃えれば何処から見ても立派なお遍路である。

初めての白衣に多少の気恥ずかしさは有るが、回りを見れば大勢いるし、これから先、歩き遍路として一目でわかるための必需品と有れば肝も据わる。
のりの効いた白衣に身を包み、“金剛杖”を手に本堂の前に立ち、静かに手を合わせる。
いよいよ”お四国”、歩き遍路の始まりだ。道中の無事、家族の無病息災を祈る。

【写真:第一番札所 霊山寺】
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四国遍路 高徳線 板東駅

2009-03-10 | Weblog
春は気温も暑からず、寒からず。日も段々と長くなってくる。
路傍には草花が咲きはじめ、木々は若芽を膨らます。
長閑な春は遍路には最敵期とされ、行き交う人が一番多いと言う。
そんな昨年の春、五月某日、巡礼に旅立った。

JR高徳線板東駅には、赤い鳥居と“四国一番 霊山寺” の標柱がホームに立つ。
さぞかし巡礼が多いのだろうと思って降り立った駅には、土地の人らしき老人と、数名のグループ連れ、それに我々。
合わせて10名余りで些か肩透かし。

何はともあれ、まずは鳥居の前で記念写真を撮り、少し遅れて駅舎を出れば、駅前広場には既に人影は無く閑散としている。
この街道も昔は多くの歩き遍路が行き交ったのかと思いながら人通りも無い道を歩く。
廃館となった映画館であろうか、板戸の締められた建物を見遣りながら一番札所を目指す。
やがて四国第一番と書かれた石柱に導かれ角を曲がると正面彼方に堂々とした山門が眼に飛び込んでくる。

始めて見る山門ではない。
以前、何度もドライブで訪れている霊山寺の山門である。
しかし今日は今までの霊山寺とは違う。歩いて訪れたのだ。
山門を見据え、一歩一歩、歩を進めると、歩みの数だけ山門が段々に大きく迫ってくる。
「いよいよ始まるのだ。」と思うと何か胸の高鳴りを覚える不思議な感覚が湧き上がってくる。
殊勝な信仰心など無かった筈なのに。これが”お四国”の力、信仰の力であろうか。

【写真:JR高徳線板東駅】
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四国遍路 歩き遍路

2009-03-06 | Weblog
そんなお四国の巡礼に踏み出すことになった。

格別の信仰心が有るわけでもなく、仏様にお縋りする特別な想いが有るわけでも無い。
どちらかと言えば物見遊山の観光に近い。
敢えて理由付けするならば“自らへの挑戦”、格好良く言えば“自分磨き”か。
どうせ行くのなら、人から「歩いて?すごいね!」と言われたい。
単純で有る。後先も考えず、ただそれだけの理由から歩いて巡ることになった。

疎遠に成ったとは言え、幸い若い頃から山歩き、ハイキングは好きだった。
だから歩くことは厭わない。
最近ではアルバイト先の職場から自宅まで、20キロ余りを半日かけて歩いて帰ったことも有る。
歩くことに抵抗は無い、それどころか多少の自信が有る。
風を感じながら、普段見過ごしてしまうような小さな、思いがけない出会いを楽しみながら歩くことは結構楽しいものだ。

恐らく体力的には大丈夫、問題は無いだろう。
しかし、問題は日程だ。歳の数だけの日数となると2ヶ月にも渡る。
アルバイトの身には、とてもこれだけの連続休暇は望む術も無い。
ここは、当然「区切り打ち」となる。
1年に1~2回、数年計画、無理をしないと言う前提で、信仰心も薄い友と2人の巡礼チャレンジが昨春から始まった。

【写真:歩き遍路(イメージ)】
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四国遍路 四国八十八ヵ所巡礼

2009-03-03 | Weblog
四国八十八ヵ所は、弘仁六年(815)弘法大師42歳の時に開創されたといわれている。
阿波の国から始まり土佐、伊予を経て讃岐の国を巡る遍路道は、その道程三百六十余里(約1400キロメートル)にも及ぶ。

大師入定後、大師への信仰から、弟子の修行僧がその縁の地を巡拝し、やがてそれが一般庶民の間にも広がり、霊場が定められ、それらを結ぶ道が整備されたようだ。

近年では、こうした道を歩いて遍路をする人も増えていると聞く。
遍路とは歩くことであり、歩いて巡ることが修行そのものであり目的であるとされる。
お遍路となって四国の地を巡り、自身の心が遍路となると四国は"お四国"になると言われている。
それは、心が変わると世界観もが変わるからだそうだ。

一度に全ての札所を回るのを「通し打ち」、何度かに分けて回るのを「区切り打ち」と言うらしいが、一般的に「通し打ち」は40日前後、余裕を見るならその人の歳の数だけの日数が必要と言われている。
大変な道中修行だ。

しかし時代の流れからか、今ではバスやマイカーで巡る人が圧倒的に多いそうだ。
厚い信仰心をもって巡る人もいれば、単なる観光旅行として訪れる人もいる。
それぞれの想いが有り、それぞれのスタイルが有り、それぞれの"お四国巡礼"が有るようだ。
そんな"お四国"の巡礼に・・・・。

【写真:四国巡礼の計画中(イメージ)】
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