かつては潮見坂の下に有った白須賀の宿場が、地震による大津波で壊
滅的な被害に遭い、高師山と呼ばれる丘陵の上に移転した。
この新しい宿替えにより津波の心配は無くなったものの、遮るものも無
い台地上を吹く冬の西風は強く今度は度々の大火に悩まされる事となる。
当時は藁葺きの家屋が多く、延焼により火災を大きくしていたようだ。
その為宿内では屋根を瓦で葺き、屋根の両側に延焼防止の卯建を上げ
る事を推奨した。
また、宿内には何カ所かの「火除地」と呼ばれる広場を設け、この地に
は火に強い槙の木を植えていたそうだ。
槙の木は関東南部より西の各地に自生する常緑針葉樹で、病害虫が比較
的少なく、潮風にも強い為、古くから風よけの垣根や庭木として利用さ
れている。
「白須賀の宿の名にも似ず、人家の壁の色あかく見ゆるは、手もて赤
土を塗れるなり」と古文に見られるように、この丘陵の特徴である赤土
が民家の壁に塗り込まれていたようだ。
今ではそのような民家を目にすることもないが、是も防火の一策なのか、
火防は秋葉の神頼みだけではなく具体的な策も色々取られていたようだ。
江戸時代には火防の一種としてこうして火除地(火除明地)を設け、
更に火除けの土手を築き、幅の広い通りを至る所に設置した。
そんな通りは「広小路」などと呼ばれ、その名は今日まで地名として
各地に多く残っている。
そう言えば鹿児島知覧の武家屋敷群の、屋敷の生け垣の多くは槙の木
が使われている。
これは下部の石垣と組合わせ、攻めるに難く守るに安いデザインと評価
されているようだが、この時代の事である、当然火防の対策でもあろう。
(続)(写真下二枚は鹿児島知覧の武家屋敷群)
「東海道歩き旅 遠江の国」編は、次回で完結します。
引き続いて「JR乗り潰し 飯田線195.7㎞ 鈍行列車の旅」が始まります。
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