簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

「せんとくん」と奈良の駅(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-02-27 | Weblog


 加茂から大阪方面への乗り継ぎはスムーズで、さすがに便利が良い。
平城山あたりの賑やかな町並みを見ながら、奈良には20分ほどで到着する。
どうと言う目的が有るわけでもないが、折角だから少し奈良で降りてみる。



 駅では、「せんとくん」が出迎えてくれる。
その「せんとくん」は今日全国各地で流行っている、いわゆる「ゆるキャラ」とは少し
趣が違いそれらとは一線を引いているが、平安遷都1300年を記念して誕生した公
式キャラクターであり、現在では県の観光マスコットに採用されている。



 仏様が鹿の角を生やしたような風貌を「気味が悪い」「仏様を侮辱している」など
と物議をかもしたのは記憶に新しい。
しかしそう言った報道が逆に宣伝効果を高め、すっかり人気者に定着、兄の「鹿坊」、
祖父の「鹿爺」などその家族まで披露されたらしいが、残念ながらこの二人(?)には
まだお目にかかる機会がない。



 降り立った奈良駅は連続立体化事業により駅舎は新しく成り、ホームも高架に
成っていた。その工事に伴い昭和9年に完成した当時の2代目の駅舎は、取り壊
される運命にあったらしい。
この駅舎は奈良の街並みを考慮して設計されたもので、大きな方形の屋根の上
に仏塔に見るような相輪を乗せた和洋折衷方式の堂々としたもので、歴史的価
値の有る名建築で有った。



 取り壊しには当然のように反対の声が上がり、結局は曳家と言う方法で20メート
ル近く移動させ、現在では奈良市の総合観光案内所として利用し保存されることに
成った。古都奈良の玄関にふさわしい建物で有るだけに取り壊されなくて本当に良
かったと思う。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大和路快速(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-02-24 | Weblog
 亀山からは1時間20分ほどで終着の加茂に到着する。
ここからは、再び電化区間となり、大阪に向かい乗り換える事に成る。



 駅ホームの列車案内の電光掲示には「大和路快速」が何本も表示され、今まで
のローカル線のイメージはこれで完全に払拭されることに成る。



 慣れない身には関西圏の路線、取り分け列車の運行系統は複雑で解り辛い。
大型時刻表でもその接続、時刻など調べるのは結構難儀である。



 「大和路快速」は関西本線の終着駅JR難波には向かわず、途中大阪環状線を
経て大阪が終着駅となり大凡1時間に3~4本運行されている。
また途中の奈良から久宝寺を経ておおさか東線や、或は加茂の一つ先の木津か
らは片町線を通りJR東西線などを経て、尼崎やその先の宝塚線の宝塚方面まで
向かう直通快速や区間快速なども出ている。



 しかし関西本線の正規のルートはその先木津、奈良、王子を経てJR難波が終
着となるが、「大和路快速」などの便利の良さと比べるとこの路線の見劣り感は否
めない。



 関西線のJR難波から奈良までの間は過去に乗車が済んでいるので、今回の旅
では加茂から木津を経て奈良まで行き、そこから再び木津に戻り片町線とJR東西
線を尼崎まで乗り潰すことにする。
そしてその途中で、おおさか東線を(往復することに成るが)乗り潰すと、関西圏の
路線はほぼ乗り潰したことに成る。(続)



                          
『バリ島旅行記 写真満載 再編集しました ここをクリックしてください』



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島ヶ原温泉(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-02-22 | Weblog


 「島ヶ原温泉・やぶっちゃの湯」は「やぶっちゃランド」にある複合温泉施設だ。
ここにはやぶっちゃの湯のある「温泉棟」をはじめ、食事処を備えた「賄い棟」、歩
行用温水プールやジャグジー、トレーニングジムなどを備えた「健康づくり棟まめ
の館」地元で採れた新鮮野菜や手作り品などを販売する「農産物加工棟」などが
ある。



 またその周辺にはオートキャンプ場や水遊び場、テニスコート、グランドゴルフ、
パターゴルフ場などが備えられている。



 ここのメインは温泉で、等張性のあるナトリウム-塩化物・炭酸水素塩温泉で、源
泉の温度は35.7度だ。館内には「こっと(俺)の湯」と呼ばれる浴槽が有り、ここでは
掛け流しの生源泉を楽しむことが出来る。
お湯は若干色が付いているようにも見受けられるが、ほとんど透明に近い。
少しぬるっとしたとろみのある湯で、浸かると肌に纏わりつくように馴染んで、上が
れば肌がすべすべするような至福の湯である。



 さらに大浴槽の「さらすべの湯」や、サウナや寝湯、泡沫湯を備えているが、露天
風呂と共にこれらは加温循環方式であるのが残念だ。
かけ流しにするほど湯量が豊富ではないからであろう。
露天風呂「月待の湯」からは、周りを山々に囲まれた長閑な田園風景の中を流れ
る鯛ケ淵渓谷を望むことが出来る。



 屋外施設や宿泊施設が併設されているせいか温泉利用者は殊の外多く、小さな
子たちを連れた家族が目についた。またここは関西圏からも比較的近く、手頃に行
ける奥座敷のようなレジャーランドのようだ。(続)



                          
『バリ島旅行記 写真満載 再編集しました ここをクリックしてください』



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やぶっちや(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-02-20 | Weblog
 関西本線は伊賀上野を過ぎると盆地に広がる町並みが消え、丘陵地帯に入り
少し山が深くなり、やがて淀川の支流、木津川が左手から寄り添って来る。



 車窓からはあまり高くはない山々の連なりや、豊かな緑の中に広がるゴルフ場、
次の島ケ原辺りでは、流れが大小の岩を食み急流となる「鯛ケ淵渓谷」の景勝を
見ることが出来る。



 大きく蛇行する木津川のその渓谷の川岸には「やぶっちゃランド」と呼ばれる施設
がある。オートキャンプ場や水遊び場、テニスコート、グランドゴルフ、パターゴルフ
場などを備えた一大レジャーランドだ。
その一角には「島ヶ原温泉・やぶっちゃの湯」もあり、車窓からもそれらの施設の
一部を目にすることが出来る。



 この施設の最寄り駅は島ヶ原だ。
相対式の2面2線を有する駅で、開業は古く関西本線の前身の関西鉄道が開通し
た明治30年に時を同じくして設けられたと言う。
瓦葺屋根を持つ駅舎は、平屋建ての民家を思わす構造で、内部に掲げられた駅
名標識などは懐かしい国鉄時代のものである。



 駅を出ると右手に「まちかど博物館観光案内所」があり、伊賀地域の観光案内や
食事処などの情報を提供してくれる。そんな駅前には列車の到着に合わせ、「島ヶ
原温泉・やぶっちゃの湯」に向かう無料送迎バスが待っている。



「島ヶ原温泉・やぶっちゃの湯」は、「やぶっちゃランド」にある旧島ヶ原村が建設し、
伊賀市の公社が運営する複合温泉施設である。
ちなみに「やぶっちゃ」とは、土地の方言で「みんな」と言う意味だそうだ。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忍者の里(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-02-17 | Weblog
 上野公園では「芭蕉記念館」や「俳聖殿」に向かう人の流れは少なく、子供たちを
連れた多くの人がさらにその奥にある「伊賀流忍者博物館」を目指していた。



 今や「忍者」は日本の子供たちのヒーローに留まらず、映画やアニメの影響で外
国にも「ニンジャ」として知られ、人気を博している。
そんな時代を裏付けるように、ここにも多くの外国人が押しかけていた。



 忍者屋敷では忍者に扮したスタッフが実演を交えながら説明をしてくれる。
火薬の製造技術を敵方に盗まれないように、ここの忍者屋敷には侵入者に対処す
るため「どんでん返し」「抜け道」「監視場所」「隠し刀」「隠し戸」などの仕掛が随所に
施されていて、案内をしてくれた「くノ一」の身軽な実演に歓声が沸いていた。



 また館内では「忍者ショー」も行われている。
忍者が使ったとされる手裏剣や、鎖鎌など使用した迫力のあるショーを見たり、手
裏剣打ちの体験をすることも出来る。



 ここ伊賀は周辺の柘植や甲賀と共に「忍者の里」としても知られた町で、この近
辺には忍者関連の施設も沢山ある。



 伊賀と言えば棟梁である服部半蔵がお馴染みではあるが、実際の人物像は良
く解ってはいないらしい。そのせいかこの施設では有名な個人を紹介するのでは
く、「忍者」としてその全体の日常的な活動を紹介している。



 そういえば、かつての人気テレビドラマ「水戸黄門」で一行を助ける忍者は「柘植
の飛猿」と名乗っていた。
この柘植の出身と言う設定だが、勿論これも架空の人物である。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

俳聖・芭蕉(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-02-15 | Weblog
 伊賀線を上野市で降り地下道でその線路を潜り、町中を突き抜ける国道25号線
を横切ると豊かな緑に包まれた上野公園がある。
一体は上野城跡で広大な緑地は文教地区にもなっていて市役所や学校等も有る。



 天正年間に筒井氏が三層の天守閣を築いたのがこの城の始まりだ。
その後江戸時代になって伊予の国から国替えで移ってきた藤堂高虎が、大阪の豊
臣家との戦を意識して整備を始め、五層の天守閣の建設に着手したが、その半ば
暴風により倒壊し、その後は再建されることが無かったと言う。
今の天守閣は昭和10年に、藤堂氏時代の天守台に建てられたものである。







 そんな巨木に覆われ城址公園の一角に、「芭蕉記念館」がある。
この地で生まれた松尾芭蕉は二十歳前頃から仕官をし、俳諧を学び始めその後
10年ほどして江戸に出て本格的な活動を始め四十前頃から芭蕉と名乗ったらしい。
ここでは芭蕉の生い立ちや、俳聖としての業績を学び知ることが出来る。



 園内には芭蕉の旅姿をイメージして建てられたと言う「俳聖殿」がある。
芭蕉の生誕300年を記念して建てられたもので、その姿は芭蕉の旅姿をイメージし
たものらしい。

 茅葺の丸い屋根は旅笠、上層部に架かる木額は顔、初層の庇は衣に蓑を覆った
姿だそうだ。さらに胴部、脚、杖も各々建屋の各部に意味付けられていて、言われ
て見れば見えなくもないが・・・・。
殿内には等身大の伊賀焼芭蕉像が安置されている。



 また公園から数百メートルほど離れた国道沿いには、「芭蕉翁生家」も残されて
いて、内部は公開されている。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忍者列車(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-02-13 | Weblog
 伊賀鉄道は上野盆地に位置する伊賀市の中心市街地を通り、伊賀神戸までの
間16.6Kmを結ぶ路線で、終点の伊賀神戸では近鉄大阪線と接続している。
元々近鉄の支線であったが今は分離され伊賀市も出資する近鉄の子会社である。



 伊賀線の人気は何と言っても平成21年から運行の始まった「忍者列車」だ。
車体前面には松本零士デザインによる忍者が描かれていて、青色、ピンク色、緑
色の三編成が走っている。



 車内にも工夫が凝らされていて、手裏剣柄のカーテンや車内灯があり、忍者が
描かれた扉、忍者を描いた吊り下げ広告、石畳模様の床や、中には網棚に忍者
が潜む列車もあるらしく、乗客の目を楽しませているそうだ。



 JRの伊賀上野駅には、前に「芭蕉翁のふるさと」と書かれた立て看板や、芭蕉の
句碑や句を書いた看板などがいたるところで目についた。
ここ伊賀鉄道の上野市駅前にも芭蕉翁の銅像が駅前広場の中央に立っていて、
いかにも芭蕉の古里らしくはあるがしかし、ここはJRの駅や駅前とは若干趣が違
っているようだ。



 それは、忍者列車に象徴されるように、ここでは駅の構内の天井や柵などいたる
ところに忍者が忍んでいて、侵入者を厳しい目で見張っているからかもしれない。
この地は芭蕉の生誕地ではあるが、それよりも売りはやはり「忍者」らしい。



 観光協会のHPを見ても、外国人の受けもあってか「俳聖・芭蕉」より、「伊賀流忍
術発祥の地」「忍びの国」を大きくアピールしている風で、「忍者」は大きな観光資源
となっているようだ。(続)



                       
  ホームページ 「風と雲に誘われて」
表紙の写真 更新しました ここをクリック




にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊賀上野(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-02-10 | Weblog


 少し平野が開けると草津線との接続駅・柘植に到着する。
ここまで車内で愛嬌を振りまいていた猫が、飼い主のかごに入れられ降りて行った。



 草津線はここ柘植と甲賀、貴生川を経て東海道本線の草津とを結ぶ36.7Kmの
路線である。途中の貴生川からは、狸の置物で知られる焼き物の里・信楽に向か
う信楽高原鉄道と、近江八幡や彦根方面に向かう近江鉄道が出ている。



 柘植から15分ほどで、伊賀鉄道の接続駅である伊賀上野に到着する。
珍しく有人駅である。
駅構内も結構な広さであるが、何となくガランとした寂れた印象だ。
駅前には広いロータリーがあり建物が取り巻いているが、店らしきものが営業して
いる風はなく静まり返っていた。



 伊賀上野では切りかけ式1番乗り場に、接続する伊賀鉄道の電車が待っている。
伊賀鉄道の列車は伊賀上野を出ると遠くに町並みを望みながら田畑の中をのどか
に進む。服部川の橋梁を渡ると市街地が近付き、やがて左手の小高い丘の上にお
城が見えて来る。伊賀市の中心市街地に建つ上野城である。



 三重県の北西部上野盆地にある伊賀市は、丁度大阪と名古屋の中間地点に
位置する人口9.6万人ほどの町である。その市街地の中心は旧上野市で、その
最寄り駅である上野市までは伊賀鉄道で7分ほどの距離である。


 
 古くから街道が通り交通の要衝の宿場町として、或は藤堂家の城下町として栄
えた歴史を持っている。又ここは俳聖と言われた松尾芭蕉の生誕地としても知

                       
  ホームページ 「風と雲に誘われて」
表紙の写真 更新しました ここをクリック




にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴鹿越え(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-02-08 | Weblog

 
 関駅には隣接して、「道の駅・関宿」が有る。
地元の新鮮野菜が並ぶ直売店、食事処、情報コナー等が併設されている。
またレンタサイクルも用意されているので、亀山から関に至る旧東海道を巡
るなら、借りるのも手である。



 お昼前の電車で次の乗換駅・加茂に向かう。
関からはいよいよかつての難所、加太越えに挑むことに成る。
と言ってもそれは昔の事、今では2両編成のジーゼルカーは、25‰の急坂
をエンジン音を少し高めるだけで難なく越えて行く。



 関ヶ原から続く鈴鹿山脈は、左手に見える錫杖ケ岳(676m)までの辺りら
しく、この鈴鹿の峠越えは、昔から旅人にも機関車にも大変な難儀であった
ようだ。



 手元に有る「写真集・汽車(昭和46年7月 写真評論社)」を見ると、加太
からかつてスイッチバックの信号所が有った中在家間を、D51が補機を付
け力強く走る姿がとらえられていてそのドラフトが今にも聞こえてきそうな力
強さを感じる。


 
 撮影者の苦労談を読んでみると、当時撮影の絶景ポイントとして知られた
信号所付近へは歩いて行くか、加太からたった一台のタクシーを奪いあうか、
信号所で無理やり降ろしてもらうしか方法が無かったようだ。



 今ではそんな信号所は廃止され、峠越えを感じさせることも無く、いとも
簡単にこの難所を越えて行く。
車窓からはその信号場の遺構も確認が出来るらしいが、残念ながら見つ
けることは出来なかった。(続)

                       
  ホームページ 「風と雲に誘われて」
表紙の写真 更新しました ここをクリック




にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関の山 (JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-02-06 | Weblog
 地蔵院のあるあたりが中町と言われるところで、関宿の中心的な場所らしく、高
札場が残されていてここらでは観光客の姿も一段と多く見かける。



 門前に建つ会津屋は関宿を代表する旅籠の一つで、今はお食事処と成っている。
文久年間に建てられて米屋・川音や、鍛冶屋などが軒を連ねる一帯は、より宿場町
らしい風情を醸し出している。





 そんな通りで醤油の焦げる香ばしい匂いに誘われて店を訪ねると、高校生の孫が
祖母の手伝いと言って、みたらしを焼いていた。
ここの名物は、“志ら玉”と言われるお菓子だ。



 上新粉で出来た生地に、北海道産小豆で作ったこし餡を挟んだもので、江戸時
代から続く伝統的なお菓子らしい。緑、黄、赤で可愛らしく飾られた生地、甘さを控
えたお菓子は、いくつでも欲しく成る素朴な味である。
又この地には11代も続くと言う銘菓「関の戸」で知られたお菓子屋さんもある。



 町中を歩いていると時々大きな板戸を閉ざした細長く背の高い建物を見かける。
元禄年間から伝わる「関の曳き山」の山車を格納する建物である。

 最盛期には16基もの山車が有ったという。
華美を競うためたくさんの提灯を下げ、見送り幕や横幕で豪華に飾り立て、笛太鼓
で囃し立て、家々の軒先をかすめ、人ごみをかき分けて巡行していたので、山車の
巡行は「これがギリギリで、精一杯である」と言われたそうだ。



 このことから“もう目いっぱい、これ以上は無理”と言う意味で生まれたのが「関の
山」で、この祭りが語源に成ったと言われている。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする