簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

仁科三湖(JR乗り潰しの旅・大糸線)

2021-05-31 | Weblog


 木崎湖では、一年を通してワカサギ釣りが楽しめるらしい。
冬なら(4月初旬頃まで)、暖房を完備したドーム船でのワカサギ釣り
が人気と言う。専門のガイドが付き、エサ付けから釣り方まで教えてく
れる(JR「西Navi」による)プランもあり、釣った魚はその場で天ぷら
にして食すのが人気とか。



 海ノ口駅を過ぎると木崎湖は遠退き、暫く国道と併走する。
やがて列車はスキー場でも知られる簗場駅に停車する。
駅前に周囲2.2㎞、最大水深13mという小さな中綱湖(なかつなこ)が
見えてくる。
 小さいながらも魚の種類も多く、中でもへらぶなは魚影も濃く、全国
大会が開かれるほどだ。
冬には結氷するらしく、湖上でのワカサギの穴釣りが楽しめるらしい。



 中綱湖に隣接して見えてくるのが、青木湖(あおきこ)である。
周囲は木崎湖とほぼ同じ6.5㎞、最大水深58m、この三湖の中では水深
が一番深く、県下では有数の透明度を誇り、広さでも諏訪湖、野尻湖に
次ぐ第三位の湖という。



 ここに流れ込む川はなく、湖水は湖底から湧き出す湧水だ。
ここでは、ハート型をした湖面に、白馬連峰を写すさまが評判らしい。
西岸には、中綱湖にかけて「塩の道」も残されている。



 青木湖の北の峠が分水嶺で、湖の水は南に下り中綱湖に流れ込み、更
に農具川として流れる川は、南の木崎湖に繋がっている。
これら三つの湖を総称して、仁科三湖(にしなさんこ)と言う。

 地勢的には、糸魚川静岡構造線上の地溝上に出来た断層性の湖である。
大糸線は、山間に静かに佇むそんな三湖の畔に寄り添うように北に向か
って進んでいく。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木崎湖(JR乗り潰しの旅・大糸線)

2021-05-28 | Weblog
 山間地の冬の夕暮れは早い。いつの間にか山並みには薄灰色の微か
なベールが掛かり、黒いシルエットに変わりつつある。
西を見れば陽は既に山陰に落ち、透けるような空の水色に、残照の薄
い茜が混じり始め、少しずつ暗さを増しながら微かなグラデーション
を見せている。

 気が付けば列車の窓には、室内の蛍光灯が線となってひかり、車窓
に向けるカメラまでもが映り込む時刻に成っていた。





 信濃大町で途中下車をし、「塩の道 ちょうじや」に立ち寄った。
もし時間があれば、大町温泉郷の唯一の立寄り温泉施設「薬師の湯」で、
雪見の露天風呂を楽しみにしていたのだが、叶わなかった。

 大糸線は、ここから北に向かう便は極めて少なくなり、乗れる列車が
限られてしまう。
これを逃す訳にはいかず、断念するより仕方が無かった。





 信濃大町を出た列車は、市街地を抜け左に弧を描きながら進路を変え、
北大町を過ぎ、信濃木崎を出て国道148号線と併走する。
 安曇野平はこの辺りで尽き、今度は山間の地へと入り込むと、この先
の車窓風景は一変する。
ここからは進むほどに雪が深くなり、沿線の田畑は白一色に変身する。
やがて左手に穏やかな湖面が見えてくる。





 まず最初に見えてくるのが、周囲6.5㎞、最大水深が29.5mの木崎湖
(きざきこ)だ。
大町の市街地に近いので湖岸一帯の開発が一番進んでいるらしい。
葛温泉から引湯した木崎湖温泉や、通年営業のキャンプ場が有り、湖で
はウインドサーフィンや、ヨット、カヌー遊びなど水上アクティビティ
が充実していると言う。
湖岸には、ペンションや民宿、旅館などの施設も多いらしい。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大町市(JR乗り潰しの旅・大糸線)

2021-05-26 | Weblog


 長野県北西部に位置する大町市は、標高3,000m級の山々が連なる北
アルプスの麓に広がる町だ。
西は富山県との県境で、北は白馬村と接している。
人口は2.6万人余りと言い、山間の町にしては比較的多いといえる。



 標高700mを越える山岳都市は、所謂日本海側気候で、年間降雪量が
500センチを越える豪雪地帯である。
統計的には、12月から3月にかけての冬の最低気温の平均がマイナスと
言うから、この地の寒さは思っていた以上に厳しい。



 ここまで見てきた安曇野平と呼ばれる盆地は、比較的穏やかで、遠く
の山にこそ雪を頂いているものの、平地でそれを見ることは無かった。

 雪景色が見たくて、敢えてこの寒い時期に大糸線に乗ってみたのだが、
これには些か拍子抜けで、穗高辺りから雪景色が見られるのでは・・・、
等との期待も外れてしまった。
町中でも除雪された雪の山を見ることはあっても、道路は綺麗なものだ。



 「塩の道 ちょうじや」が気になり途中下車をし、駆け足で見て信濃
大町の駅に戻ってきた。
その道すがら、裏通りに入ってみると、意外なことに小さなスナックや
小料理屋が多く軒を連ねていた。
市内には昭和電工と言う大きな工場も有り、企業城下町の様な所だから、
その関連会社や住宅も多く、飲み屋も多いのかも知れない。



 結局ここでも見学に2時間半ほどを要し、冷えた身体を駅ソバで温め、
16時半過ぎの電車に乗り込み次の目的地、南小谷に向かう。

 大町温泉郷の雪見風呂にも惹かれるし、まだまだ見たいところもあった。
しかし便数の少ない大糸線では、乗り遅れたら大変だ。
勝手気ままに動き回れないのが何とももどかしい。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信濃大町の駅前(JR乗り潰しの旅・大糸線)

2021-05-24 | Weblog


 信濃大町は、北アルプスの登山や大町温泉郷、葛温泉など、観光地の
拠点駅らしく、その駅前には良く整備されたロータリーが広がっている。

 ここは立山黒部アルペンルートの長野県側の入口でもあり、シーズン
には賑わうという。タクシー乗り場、バス乗り場が有り、大町温泉郷や
扇沢等に向かう路線バスが出ている。
外国の訪問客も多いのか、外国語で書かれた看板も目にする事が出来る。



 その駅前の、駅を出て右手直ぐの処に、「アルプスロマン館」という
施設がある。黒部おやきを売る「おやき工房」を併設したお土産屋で、
駅のキオスクが撤退後、後を引き継いだ民間の商業施設である。

 駅待合室も兼ねていて、列車の発着情報等のアナウンスが流れている。
列車の待ち合わせ、時間潰しには丁度良い場所だ。



 信州のお土産が揃い、お茶や試食のサービスもある。
観光パンフレットが置かれ、地元に伝わる民話を元に作った粘土細工の
ジオラマが幾つも展示されているので時間潰しにはもってこいだ。
併設の、「おやき工房」では大町黒豚を使った黒豚ドックが評判らしく、
観光客らしい若い女性も買い求めていた。



 駅ナカの待合室には、駅ソバの「そば処 カタクリの花」がまだ営業
を続けていて、町歩きで冷え切った身体には、温かいソバはありがたい。
カウンターでの立ち食いが基本だが、目の前には椅子もあるので、座って
頂けるのも嬉しい。



 駅ソバらしく、殆どのメニューが、ワンコイン以下で食べられる。
殆どのメニューがゆで時間1分と迅速に提供されるのだそうだ。
しかし、時間があればゆで時間3分、そば粉6割の生ソバを使用している
「特上」がお勧めだ。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

流鏑馬会館(JR乗り潰しの旅・大糸線)

2021-05-21 | Weblog


 「塩の道 ちょうじや」の奥には、「流鏑馬会館」が併設され、共通
券で入館できる。
大町市の夏の風物詩と言われ、若一王子神社の祭礼に奉納される流鏑馬
(県指定無形民族文化財)と、夏祭りに関する紹介がされた施設だ。



 この祭りは700年の伝統を誇る大祭で、その起源は農作の豊凶を占う
習俗的な祭に、中世以降武家社会で盛んに行われていた「流鏑馬」の形
を取り入れたと考えられている。
 毎年7月の第四金、土、日曜日に開催され、「やぶさめ」の神事はそ
の最終日に奉納される。
祭が終わると北アルプスの麓の町も、本格的な夏の季節を迎えるという。



 前々日から始まる祭りでは、神輿渡行や稚児行列が行われる。
最終の日曜日がクライマックスで、町内6町から二階建ての山車六台が
引き回される。
山車の多くが人形等を飾る舞台造りで、当地では「舞台」と呼んでいる。
中には江戸時代前期に創建されたものも有るという。
あわせて十町より10騎の流鏑馬が出揃って神社に向かい巡行し、最後に
境内で奉射の神事が行われる。



 流鏑馬は、京都の賀茂神社、鎌倉の鶴岡八幡宮が良く知られている。
ここに来るまでそれしか知らなかったが、これは認識不足で、この地と
合わせこれらを三大流鏑馬と言うのだそうだ。
この地の流鏑馬の大きな特徴は、乗馬する射手が小学校の低学年の子供
(7~9歳の男子)で、これは全国的に見ても珍しいと言う。



 会館では、江戸時代から始まったとされる、祭りの様子を伝えるビデオ
が上映されているので、実際の祭の様子を知ることが出来る。
町内を引き回わす山車の模型展示や、パネル写真、その説明もされている。
当日実際に子供達が着用した、狩衣に似た煌びやかな衣装なども所狭しと
展示されている。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塩蔵(JR乗り潰しの旅・大糸線)

2021-05-19 | Weblog
 「塩の道 ちょうじや」は、代々庄屋をしていた旧平林家の建物で、
市民による保存活動から蘇った施設だという。
その母屋の1階には、問屋当時を窺いさせる帳場が残され、当家代々に
伝わる家具や調度が展示されている。
階段状の箱簞笥を上がった2階には、千国街道の「塩の道」に関する資
料が説明を加え展示されている。





 ここには江戸時代後期に造られたという文庫蔵、漬物蔵、塩蔵の三つ
の蔵も残されている。
文書蔵は文字通り、商いに必要な売掛帳などを保管していた。
今では、日用雑貨の展示スペースとなっている。

 当家では、古くから味噌醤油を造っていて、それを使って漬物を漬け
販売していたと言う。
一定温度の土蔵で漬ける漬物は、上々の味わいが好評であったようだ。
その樽を保管したのが漬物蔵である。





 塩の道の「塩荷」は、担いで歩く「歩荷(ボッカ)」や、牛馬の荷車
などによって運ばれた。
「塩荷」の重さは、60㎏にも及ぶ俵状にした荷で、それを背負って歩く
歩荷は相当に過酷な仕事であったようだ。
それらによって運ばれた塩を貯蔵したところがこの塩蔵である。

 塩は運搬中に乾燥すると軽くなり、湿気を吸うと重くなる。
その為、荷受けする問屋では、蔵入れの前に必ず看貫(カンカン:計量
する事)をするのだが、この目減りや水増しは、結構トラブルに成るこ
とが多かったらしい。





 こうして運び込まれた粗塩を塩蔵で保管するのだが、保管中にも空気
中の湿気を吸い、苦汁(ニガリ)として溶け出してくる。
当時それを集めた「苦汁受け」の仕掛けが、蔵の中にそのままに残され
ていて、これは大変貴重な資料だという。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塩の道(JR乗り潰しの旅・大糸線)

2021-05-17 | Weblog


 女性スタッフに連れられて、館内を巡る。
母屋の一階は帳場で、当時使われていた箱簞笥(階段簞笥)、帳簞笥、
帳場机、帳簿入れ等の調度品がそのまま残され、商いの様子が知れる。
母屋の二階では、「千国街道」に関する資料や、実際に使われていた古
民具などが説明と共に展示されている。



 千国街道は、信濃国・松本から北アルプスの麓を経て、越後国・糸魚
川に至る街道で、糸魚川街道とも松本街道とも言う。
通称「塩の道」と呼ばれ、ルートはほぼ今日のJR大糸線に沿っている。
この間に11の宿場が有り、大町宿は松本から数えて三つ目の宿場として
栄えたところだ。



 この街道は古くから開け、日本海側の糸魚川などで採れたヒスイが運
ばれていた。やがて北陸や越後で取れる海産物や木綿、薬などを、信州
松本に運ぶ道としても利用されることになる。
 我が国では昔から海の物を内陸に運ぶ為の街道が幾筋も開かれていた。
若狭の鯖を京に運ぶ「鯖街道」などが良く知られている。



 当時、日本海側から信濃に入り込むルートは幾つもあったらしいが、
松本藩は治安維持や租税徴収の利便から、このルート以外での塩の運搬
を禁じていた。
その為、この街道は、生命の維持では欠かかせない塩を運んだことから、
「塩の道」とも呼ばれたと言う。



 糸魚川から大町まで、「並急」扱の塩は通常数日かけて運ばれるが、
「大急」扱の生魚などは24時間程で届けられた。
特に寒鰤を薦で巻いた「巻鰤」や、新鮮な「一塩鰤」等は信州で持て囃
され人気を得ていたと言う。
その役を担ったのが、「歩荷(ボッカ)」と呼ばれる人達である。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平林家「ちょうじや」(JR乗り潰しの旅・大糸線)

2021-05-14 | Weblog


 駅前から続く本町通り商店街を歩く。
左程賑わいも感じられない、地方都市らしい通りを500m程行ったの所
に「塩の道 ちょうじや」はある。
江戸時代宿場町として栄えた大町の庄屋で、塩問屋を営んでいた平林家
の建物を開放した有料見学施設だ。



 平林家は、松本藩の藩主から直接塩問屋の免許を受け、塩の売買で利
益を得て豪商となった家柄で、屋敷の敷地面積は、300坪に余るという。
他にも東京ドーム五個分に相当する田畑を所有していたらしい。
目にする建物は、明治の大火で焼失し、明治23(1890)年に再建され、
平成29(2017)年、この母屋と蔵群が国の有形文化財に登録されている。


 
 卯建の上がる土蔵造りの町屋の内部は薄暗い土間で、三和土が奥まで
続く細長い造りとなっている。
ここから天井を見上げると、大屋根を支える太い梁の木組みが見事だ。
天井が高いのは、火事の延焼から建物を守る工夫らしい。



 土間から上がるとそこが帳場で有ろうか、囲炉裏が掘られている。
入館するとここで女性スタッフから施設の概略説明を聞くことになる。
この時期、赤々と燃える火があれば嬉しいのだが、残念ながら囲炉裏
に火は無い。
この建物が文化財のため、火を入れられないのだそうだ。



 館内の要所要所にはファンヒーターを置いて、温めているらしいが、
広々とした建屋内は殊の外寒いらしい。
元々冬の寒さの厳しいところにあって、天井の高い広々とした室内は、
温もり難いものだ。
その為見学の前に、手の平大の小さな湯たんぽを手渡してくれる。
これを懐に入れて館内を巡るのだ。
女性スタッフの親切で丁寧な対応と、温かな心配りが嬉しい。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信濃大町駅(JR乗り潰しの旅・大糸線)

2021-05-12 | Weblog
 国道147号線と併走しながらその先で、有明、安曇追分などに停車を
重ね、信濃常盤を過ぎると、大きく右にカーブを描き高瀬川を橋梁で
越え、南大町駅に停まりやがて信濃大町に到着する。
信濃鉄道が松本まで開通した大正5(1916)年に開業した駅だ。



 標高が700mを越える地の駅は、松本からは35㎞余りの距離に有り、
普通列車で直行すれば凡そ1時間の行程である。
単式1面1線と島式1面2線のホームを持つ地上駅で、特急「あづさ」
の停車駅でもある。



 大糸線の主要駅で、普通列車の殆どがこの駅が始発・終着となる。
松本方面には時間帯により複数本の設定もあるが、殆どは1時間に1本
程度である。
ここから北の糸魚川に向かう便は、極端に少なくなり半減する。



 この町には、駅から少し歩いた先に「塩の道 ちょうじや」と言う施
設がある。
山の町中に有りながら「塩の道」と言うのが少し気になって、立ち寄っ
て見たくなり、ここでも途中下車をした。



 信濃大町は、北アルプスの麓に広がる、山の町だ。
北アルプス(飛騨山脈)の雄大な山々は、町のどこからも望むことが出
来き、そんな山岳都市をイメージした駅舎は、平成22(2010)年に改
装された。



 複雑な形状をした屋根の先端には、尖塔が乗っていて山小屋をイメー
ジしたものだ。赤色の屋根は、銅板の菱葺きと呼ばれるものらしく、こ
れが古色を帯びた趣を見せている。

 切妻の破風下に掲げられた駅名の表示板も立派だ。
地元産「栃」の一枚板で、幅80㎝、長さは380㎝の堂々としたもので、
時代を経れば、間違いなく「名駅舎」と呼ばれるであろう、印象深い駅
舎である。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安曇野アートライン(JR乗り潰しの旅・大糸線)

2021-05-10 | Weblog
 北アルプスの麓を走る大糸線は、高瀬川や穗高川、その支流の乳川等
に挟まれた地を進む。車窓からでは窺い知れないが、地図を見るとこの
地が扇状地であることが良く解る。
川の流れはまるで体内の大小血管のように、離合集散を幾つも繰り返し、
太くなりまた細くなり、複雑な線模様を描きながら流れ下っている。





 そんな沿線の安曇野市にある豊科駅から、白馬村にある白馬駅の間は
凡そ50㎞、JRなら途中の乗り換え待ちを入れても70分程、車なら1時
間半ほどの距離である。
 その狭い範囲には大小幾つものミュージアムが集中して立地していて、
これは全国的に見ても極めて珍しいことらしい。
その内容は、日本の近代彫刻や絵画から、山岳美術、絵本の原画、写真、
陶器、ヨーロッパの近代美術まで多岐に渡る。





 この美術館や博物館をラインで結んだものを「安曇野アートライン」
と呼んでいる。
現在では平成10(1998)年に18館が加盟して結成された「安曇野アー
トライン推進協議会」を中心に、マップや共通券の発行など様々な活動
を行っていると言う。
また美しい自然とミュージアムとの融合を図ろうとするのか、「安曇野
アートライン」は、沿線の風景そのものもアートとして捉えている。





 北アルプスの織りなす山岳風景も、日本の原風景を思わす広々と広が
る安曇野の里も、その辻に佇む微笑ましいお姿の道祖神も、清らかな湧
水の流れも、木々や野の花までも、全てがその構成要素となる。
安曇野は、どこを切り取っても見事な一幅の画となり、アートの里と呼
ぶに相応しい。(続)




にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする