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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
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 旧三矢村 (東海道五十七次歩き旅・摂津国)

2025-06-16 | Weblog


 人混みに混じり、宗左の辻近くで簡単に昼食を済ませ、岡本町公園に
立ち寄り少し身体を休めたが、ここで時間を掛けすぎたようで、再度街
道に出て歩き始める。

 その先の道路を越えると、道幅が若干狭くなり電線・電柱が地中化さ
れた、町並保存地区のような道が西に延びていた。



 街道は観光通りらしく、多くは近年オープンしたのか、お洒落なカフ
ェや店舗、ギヤラリー等が軒を連ねている。また旧道らしい虫籠窓を備
えた白漆喰塗りの軒の低い平入り商家も幾らか目にすることも出来、そ
んな店舗や町家等を覗き歩く観光らしい人達も多く見られる。



 途中に「妙見宮常夜灯石灯篭」が立っていた。嘉永7(1854)年に
奉納された花崗岩製の石灯籠で、高さが2.8mあり、柱には「妙見宮」
「天下泰平」「驛内安全」と刻まれている。
足元に立つ石柱には、「旧三矢村・岡村の村境」とあり、ここから西
が旧三ツ矢村で、現在の「三矢町」に入って行く。



 三矢公園には、「枚方宿本陣跡」の案内板が建てられていた。この地
に池尻善兵衛家が代々営んだ、宿場で唯一の本陣が有ったが明治に入る
と取り壊され、跡地には北河内郡役所が置かれた。
 間口が20間、奥行24間、建坪215坪、土地470坪の堂々たる物であっ
たらしい。紀州候の定宿で八代将軍吉宗も藩主時代に泊まったという。



 慶応4(1868)年1月鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れると、すか
さず新政府が動き、同年の3月には明治天皇が大坂行幸を企て、この
本陣で休憩をした。
その戦前に建てられた記念碑は、公園の入口付近に残されている。(続)



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