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「前坂とも書す。いにしえは舞沢、或は舞沢松原と言ふ」
東海道30番目の宿場舞阪には予てより浜名湖を舟で渡る渡船場があった。
「荒井よりの渡船、舞阪に着岸す」と古文に記録が残されていると言い、
宿場の西の外れが新居に渡る渡船場である。
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南には太平洋の広大な遠州灘が広がり、北には浜名湖が控える舞阪宿は、
東の見付から800m程の町並で、その中心は西町にあったと言い、その間
に本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠28軒、戸数265軒、人口は1,204人という
規模である。
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東の入口である見付跡には石垣があり、新町や仲町には秋葉神社常夜
灯が立っている。
日本橋から68里(およそ267㎞)の一里塚跡が有り、伝左衛門本陣跡、
徳右衛門本陣跡、問屋場跡などは有るものの、家並みは相対的に新しく、
当時の遺構は殆ど失われている。
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宿場の中程に、天保9(1838)年に立てられた旧脇本陣「茗荷屋」の、
上段の間があった書院棟一棟が残されている。
大正時代には役場として利用されていた建物を、解体し修理・復元した
ものが、無料公開されている。
是は東海道に唯一現存する脇本陣の遺構である。
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建物は間口五間、奥行き十五軒と言う細長い造りで、入口の板の間に
立つと、中間の坪庭を挟んで手前に二間、奥には上段の間に至る三間続
きが良く解る。
坪庭と一番奥の縁側からは明るい日差しが入り込み、遠州灘から吹く風
が各間の上を爽やかに通り抜けていて、明かり取りと涼しさを工夫した
書院である。
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脇本陣を辞し、街道を西に町並を抜けて進むと、交差点の角に西町常
夜灯が立ち、その先に浜名湖が見えてくる。(続)
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