簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

猿游号

2017-11-29 | Weblog


 長い間「行ってみたい」と思い続けた念願の場所である。
これまでに何度も計画しながら、その度に震災が起き、水害が発生し、延ばし延ば
しし今日に至った経緯がある。
遠いので簡単に気軽に出かけられる場所でもなく、最早憧れの地となっていた。



 南会津の山中にあり、江戸時代には会津城下と下野の国(日光今市)とを結ぶ会
津西街道(下野街道とも呼ばれていた)32里の要所、次に会津宿を控えた宿場町と
して栄えた町。



 整然と区割りされた屋敷割に、町家や脇本陣などが当時の面影のまま佇む町。
見事なまでに統一された茅葺屋根の家々。その真ん中を貫く地道、せせらぎを聞か
せる両側の小さな水路。まるで江戸時代にタイムスリップをしたかのような町。

 昭和56年4月国の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けた「大内宿」には、
年間120万人以上の観光客が訪れるそうだ。



 大内宿へは、会津鉄道の湯野上温泉駅から一日六便の「猿游号(さるゆうごう)」
で向かうことになる。4月1日~11月末日までの毎日運航で、当日運行が有れば乗車
も可能だが、基本は前日までの予約制だ。
料金は一日フリー券1000円で、座席指定ではないので座れると言う保証はない。



 この日乗車したバスは深緑色に塗りこめられたボディーに、天井の赤いラインが
印象的な「ペンネンネンネンネン・ネネム号」と名付けられたレトロバスであった。
夫々のバスには、このように宮沢賢治創作の名前が付けられているのだそうだ。



 湯野上温泉駅前のバス停には、発車間近になるとどこからともなく人々集まって
来て、バスに乗り込んでいった。
あまり広くはない車内の座席はたちまち埋まり、立ち客も出るほどの込みようだ。(続)

                   
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湯野上温泉

2017-11-27 | Weblog
「戦いに敗れ傷を負ったボス猿が、或いは猟師に鉄砲で撃たれた手負いの猿が、
この湯に浸かり傷をいやした」と言う。 
渓谷の岩間から吹き上げる温泉が知られるようになったのは、奈良時代のことだ
そうで、この地にはこんな猿湯伝説が残されている。





 会津鉄道の駅から歩いて15分ほどの温泉街には、20軒近くのホテルや旅館や民
宿などが点在している。とは言えここには歓楽な娯楽施設は存在しないし、それどこ
ろか賑わう通りや、土産物屋・食事処などを目にすることも殆どない。





 阿賀野川の上流域、大川渓谷に沿った山々に囲まれた山間の地では、四季折々
の渓谷美が楽しめる。潤沢に見どころが有るわけでも無い「いで湯の里、湯野上温
泉」は、大自然に囲まれた山里の素朴で懐かしい匂いのする温泉郷である。



 「ほのぼの通り」と名付けられた通りには、小さくて可愛いい足湯もあるが、うっか
りしていると見過ごしてしまいそうだ。
大川ラインに架かる吊り橋・江川橋からは、錦秋に染まる山と奇岩を縫って流れる
絶景を望むことも出来る。そんな河原では今でも、少し掘れば温泉が出ると言う。
源泉の温度は62度、泉質はアルカリ性単純泉で、神経痛、筋肉痛などに効能があ
ると言う無味無色サラサラの湯だ。



 「何も変わらないのにあの頃は、原発の風評被害で一時客足が途絶えた」と話す
宿の主人だが、「ここに来てやっと回復した」と喜びを隠さない。
この日泊まった小さな温泉民宿の部屋は、全てお客で埋まっていた。(続)

                   
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茅葺屋根の駅

2017-11-24 | Weblog
 湯野上温泉駅は旧国鉄の会津線湯野上駅として、昭和7(1932)年12月に開業
している。その後経営がJR東日本から第三セクターの会津鉄道に移り、この折駅
名も湯野上温泉駅と変えられた。昭和62(1987)年7月のことだそうだ。





 その後駅舎は、近くにある「大内宿」の観光最寄り駅であることから、茅葺屋根の
建ち並ぶ町並みになぞらえて、茅葺の屋根を有する建物に建て替えられ、「日本で
唯一の茅葺屋根を有する駅」となり、東北の駅百選にも選ばれた。

 湯野上温泉の最寄り駅であり、駅舎の横には足湯も併設されている事などから、
駅名標には「江戸風情と湯けむりの里」と書かれている。





 ところがJR九州の久大本線・豊後中村駅が、平成22(2010)年に現駅舎を取り壊
し再建により茅葺屋根の駅舎としたことで日本唯一の称号は無くなってしまった。

 駅には相対したホームが千鳥に配置されていて、ここでは列車の交換が行われる。
そのため先着した列車は暫く停車する事もあり、乗客はその間カメラを片手にホーム
を右往左往して写真を撮るのに慌ただしく、そんな賑わいを見せる駅でもある。





 改札を抜けると構内は思ったよりも広く、左側に駅務室が有り売店を兼ねている。
右側が待合室になっていて、その一角に板敷の小さな間が拵えてあり、その中央に
は囲炉裏が切られ、暖かな火が燃え盛っていた。
立ち上る煙は萱の虫よけになると言う。

 ここでは地元の名産品に交じり、簡単なコーヒーなどの飲み物も売られている。
囲炉裏の有る上がり框に腰を下ろし、そっと手をかざしながらお茶をしたくなる、
そんな風情の、懐かしさを辿りたくなる駅である。(続)

                   
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へつり工房

2017-11-22 | Weblog
 土産物屋さんの店先には土地の名産・名物などの漬物やお菓子や特産品など
に交じり、この時期ならではのキノコ、果物やマムシ酒等と言うものまで並べられ、
大勢の買い物客で賑わっている。

 そんな一角に、お世辞にも客が群れているとは言い難い店がある。
正面に「伝統こけし 岪工房」の看板、店の右手はガラス戸で仕切られた工房で、
「実演中」の看板の下に巨大なこけしが飾られている。



 土湯中ノ沢系伝統こけしの工人、北村和弘・寿万子夫婦の店である。
店を訪ね「ちょっと見せて下さい」と声を掛けると、ガラス戸を開け工房から工人が
出てきて対応してくれた。



 「奥さんは、描採だけですか?」「いや、ろくろから全部」
聞けばこの工房は、大正14年生まれの奥さんのお父さんが始められたもので、そ
の後を夫婦が継いでいると言う。



 「昔は椿や槐も扱っていたが、今はイタヤカエデだけ」
「跡取りもいないので 店番しながら、ほそぼそと」
そんな工人の言葉通り、手頃で土産としても買いやすい尺以下のものが店先には
並べられている。



 土湯系のこけしは、嵌め込みの頭、頭部に蛇の目の輪、前髪と鬢の間にカセと呼
ぶ赤い模様、胴は中央がやや膨らんだ円柱状で模様はろくろ線の組み合わせが特
徴だ。



 ろくろの回転を利用して頭を嵌めこむ作業は、一瞬の緊張技で、「首嵌め中の中
断は、駄目にしてしまうことがある」制作と店番を同時にこなす苦労をこんな風に語
っていた。



 今では新作の地蔵こけしや、金が増える縁起物としてなめこの置物を木で手作り
していると言う。また手軽なお土産としてはなめこストラップが人気だそうだ。(続)



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塔のへつり

2017-11-20 | Weblog
 会津鉄道の塔のへつり駅は中々に雰囲気が良い。
周囲の紅葉は小さなホームに覆い被さるように広がり、辺りを赤く染め上げている。
駅を出れば見事に色付いた林が有り、はらはらと散る落ち葉の中、枯葉をサラサラ
と踏みしめて歩く道が景勝地に向けて延びている。



 歩いても5分ほどの道ではあるが、車で来れば通り過ぎてしまい、電車で訪れる
人だけが味わえる特権のような道で、とても気持ちがいい。



 駐車場に苦労している車上の人々をしり目に、土産物屋さん、食事処などが建ち
並ぶ一帯にやって来た。
バスの団体客であろうか、店先には大勢の人が群がっている。
こういう団体では、だれか一人が何かを購入すると、それをトリガーに我も我もと続
くと言う話を以前聞いたことが有る。
だから売る方も引き金を引こうと必死の声を張り上げている。



 ここは「新観光名所福島三十景」の一つ、へつりの入り口である。
ここからは川の向こう岸に向けて吊り橋を渡るため坂を下るのであるが、その狭い
道には人の流れが切れ目もなく続き大変な込みようで、みな一様に吊り橋の先に
ある舞台岩を目指していた。



 吊り橋の上で写真を撮ろうと立ち止まると、橋が大きく揺れるのであろうか、嬌声
が何度も辺りの静寂を切り裂いている。揺れることも面白おかしく楽しんでいる風だ。



 辺り一帯の山々では木々が黄色や茶色や赤色の盛り上がり、そんな山肌に所々
緑の交じった見事な迷彩色を見せている。そんなグラデーションに包み込まれるよ
うに林立する白い奇岩の数々が碧い水の淀みに映っているさまは見事としか言い
ようがない。(続)



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紅葉シーズン

2017-11-17 | Weblog
 

 飯盛山の見処も、慌ただしく駆け足で巡りバスで再び会津若松駅に戻ってきた。
もう少し時間が有れば、武家屋敷にも立ち寄れたし、野口英世にも触れられたのにと
思わぬではないが、限られた半日ではバスの車窓から見るのみでこれも致し方ない。
この頃になると朝の内雲に隠れていた会津磐梯山が、ようやくその姿を見せてくれた。





 ここからは再び「ゆったり会津 東武フリーパス」を使い、会津鉄道に乗って南下、
塔のへつりを目指すことにする。

 沿線の紅葉は今が見ごろとあって、車内は結構込み合っている。
途中列車の行き違いで停車した湯野上温泉駅にも相変わらず人が溢れていた。



 塔のへつりの「へつり」とは、断崖・絶壁・急斜面・川岸などの険しい道を言い表す
地元の言葉だそうだ。元々は海であったらしい地が100万年以上も前から連綿と浸
食と風化続けた結果生み出された奇岩が連なる景勝地で、この特異な地形は国の
天然記念物に指定されている。周辺一帯は大川鳥羽県立公園の一角で、この時期
は紅葉の名所としても知られている。



 この名所でも10月中旬ころから紅葉が始まったらしく、11月に入りそのクライマッ
クスを迎えているとあって多くの人々が押し掛けていた。
最寄りの会津鉄道塔のへつり駅は小さな無人駅である。シーズン中は混雑するら
しく普段はいない駅員が出張り、列車で訪れる紅葉狩り客の対応に備えている。



 とはいえここに降り立つ客は限定的で、多くは大型の観光バスやマイカー客がほ
とんどで、周辺の広い駐車場はどこも満車状態で入りきれない車が道路には溢れ
ている。(続)



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さざえ堂

2017-11-15 | Weblog


 飯盛山に来たからには、もう一カ所是非とも見て帰りたい場所がある。
「白虎隊十九士の墓」「自刃の地」を背に、山を下るには登って来た階段を下るか、
途中から脇道に逸れ、それを下ることになるが、その途中には旧正宗寺の円通三匝
(さんそう)堂がある。
国の重要文化財に指定されている建物で、通称「さざえ堂」と言う。



 高さが16.5mあり、初層の径が約6.2mの六角形構造の珍しい建物だ。
正面に設けられた唐破風屋根の入り口を入り左に折れるとと、直ぐに右に曲がる
螺旋状のスロープが設けられている。



 それは床板に滑り止めの桟を打ち付けた通路になっていて、それを辿ると先に
最上部となる太鼓橋が有り、これ越えると今度は左回りのスロープを下り、裏側に
設けられた出口から外に出ることが出来る構造になっている。



 この間上り下りする者が堂内で交錯することは無く、堂内の所々に設けられた見
通しからは逆方向に歩く人を見ることが出来る。
このように一方通行のまま、建物内を三度周るから三匝堂と言われている。



 堂内各所には西国三十三カ所の観音像が祀られている。
江戸時代に貧しくてなかなかお参りにも出向けなかった庶民のために、身軽に巡礼
をするため工夫された建物とみられている。



 外観が栄螺の巻いた殻のように見える事から「さざえ堂」と呼ばれるようになった。
こういった構造の仏堂建築は世界的にも例を見ない特異なものらしく、二重螺旋を
考案した知力とそれを実現させた大工の棟梁の技術には感服させられる。(続)



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白虎隊弔いの地

2017-11-13 | Weblog
 白虎隊二番隊37名の内、逃げ延びて入城できたのは17名で、残りの隊士は黒
煙を上げる城下をこの飯盛山から見ながら、自ら命を絶ち城と運命を共にした。
鶴ヶ城開城の一か月前の出来事である。





 しかし当時の政府は少年兵を朝敵とみなし、その亡骸の埋葬を許可しなかった。
そのため少年兵の衣服などは取られるに任せ、風雨に晒され、鳥獣にも荒らされ、
酷い状態での放置が続いていたらしい。

 そんな状況を見かねて不憫に思った当時の山主が、密かに仮埋葬したのが今日
の「白虎隊十九士の墓」のあるこの地であった。埋葬の許可が下りたのが明治2年、
墓地が整備され慰霊祭が行われたのは明治17年のことだと言う。
その後只一人生き残った少年兵飯沼貞吉(後に貞雄と改名)も78歳の生涯を終え、
大勢の友が眠るこの地に墓を建て祀られている。





 飯盛山を下る道の途中には、戸ノ口堰洞穴がある。
戸の口堰用水は猪苗代湖北西岸の戸の口から、会津盆地に水を引くために開削
された用水で、その全長は31Kmに及び今でも会津盆地を潤す農業用水として利用
されていると言う。戊辰戦争の折、戸ノ口原で敗れた白虎隊二番隊20名が敗走中に
潜ったことが知られている。





 また山を下れば白虎隊記念館もある。
白虎隊や戊辰戦争に関する一万点を超える資料(遺品や文書、写真など)が収集
され、展示されている。
二階ではビデオが上映され白虎隊が紹介されているが、余りにも物が多いのと、
雑然と置かれる資料に圧倒され落ち着けない、そんな印象の資料館であった。(続)



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会津白虎隊

2017-11-10 | Weblog
 鳥羽伏見の敗戦後、会津藩では武家の少年を主体とした玄武・朱雀・青龍・白虎
の各隊を結成した。その内白虎隊は総勢が343名いて、15~17歳の少年で編成され、
その中で身分階級により更に三隊に分けられていたそうだ。



 戦に駆り出されたものの、圧倒的な新政府軍の前に二番隊37名の少年隊士では
如何ともし難く、戸の口原の戦いで敗れ、敗走する中17名は無事帰城を果たした。
しかし取り残された20名が逃れてきたのがここ飯盛山である。



 ここで少年兵たちの目に飛び込んできたのは、お城付近が燃え上がる遠望だ。
ここからは会津盆地の中心に建つ鶴ヶ城の天守閣と、それを取り巻くように広がる
城下の町並みが一望に見渡せる。
彼らは武家屋敷などが燃え上がり、市中に上がる火の手を落城と錯覚した。



 悲劇はその誤認から引き起こされることになる。
白虎隊の少年兵は、危険を覚悟の帰城か、敵陣突入で玉砕かの激論を交わしたと
言う。しかし結果は、「最早帰る所がない、捕虜で辱めをうけるよりは・・・」と、彼らの
導いたのはお城と共に朽ち果てる選択であった。



 有るものは腹を捌き、ある者は喉を付き、一同は南鶴ヶ城に向かい列座し、各々
が決別の意を表し自刃し余りにも早すぎる生涯を自らの手で閉じてしまうのである。



 そんな中一人助けられ生き残った少年兵がいた。
しかし生き残ったことを恥じ、生涯自分を責め続け、会津には二度と帰らず、黙して
語らなかった彼だが、後年自身の口から実録を伝えたことで、隊の哀話が広く世に
知られるようになったと言うが、この功績は決して小さくはない。(続)



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飯盛山

2017-11-08 | Weblog
 飯盛山は会津若松市の東部にある314mほどの小高い山で、山の姿が飯を盛っ
たようにこんもりとしていることから名付けられた。
1700年ほど前に造られたと言う前方後円墳が山頂にあり、隠れキリシタンの祠や、
地元住民の墓地などもあり、以来この地の信仰の対象となっている山でもある。





 会津若松駅前から真っ直ぐ東に2キロ程向かうと、道路の正面に聳えている。
町中周遊バスなら五分ほどの距離である。





 市内でも有数な観光地で、年間の観光客数は200万人近いと言う。
麓には土産物屋や食事処が沢山建ち並んでいる。
その店先では名物の玉こんにゃくや作り立てのあわまんじゅうなどが売られている。



 山を登るには二つのルートが有り、その一つが、土産物屋が建ち並ぶ通りの奥に
見えている、183段の石段を上る道である。
もう一つは二台のスロープコンベアー(動く歩道)を乗り継ぐ道で、こちらは有料なが
ら足腰が弱い人でも容易に利用することが出来る。

 山頂からは会津の市街地が一望でその中央に聳え立つ鶴ヶ城を認めることが
出来、また遠くに目をこらせば天気さえ良ければ会津のシンボル、磐梯山の雄姿を
望むことが出来る。



 ここは白虎隊ゆかりの悲劇の地として、また会津藩少年兵士たちの鎮魂の地と
して知られていて、山頂には隊士の墓や自刃の地がある。

 山を下る道は上りとは別ルートとなっていて、その途中には国の重要文化財に
指定されている珍しい「さざえ堂」(通称)や厳島神社、戸の口堰洞穴、白虎隊記
念館などの見どころも多い。(続)

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