簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

電車のつり革(JR乗り潰しの旅)

2011-04-29 | Weblog
 電車の車内につり下がっている、あの「つり革」の事である。
何時も不思議に思う。
特に東日本と西日本を跨いで電車に乗ると、何時もなぜだろうと思う。
それは、運行する車両によっても違う事が有るようだ。
 機能としては、揺れる電車からこの身を支えてくれるだけのように思うが・・・。
何故こうも違うのだろうか。



 革製でも無いのにつり革?
昔は全部革製だったからかな?良くは知らないけれど。
最近のものは、どこにも革など使ってはいないように見受けられる。
だから近頃は、「つり手」と呼んだりもする。



以前は握る部分は丸しか無かったように思っていたけど・・・最近は三角のものをチョクチョク見るようになった。
握り心地が違うのかな?何か意味が有るのだろうか?



 東と西で決定的に違うのが、「つり革」の取り付けの向き。
西日本では、多くの場合、進行方向に対して平行する向きで吊り下げられているが、東日本のそれは、
垂直と言うか、直角に交わる方角で取りつけられているケースが多い。
これは何故なんだろう?





 取りつけの高さ、つまり、つり革の長さも微妙に違うように思う。
同じ車両内でも場所によってその長さが変えられていたりする。
使う人の背の高さを考慮して、あるいは、移動時に頭に当たらないように、はたまた隣同士で肱が
ぶつかり合わないため?

 最近では、こんな「つり革コレクタ」もいると聞く。
電車の中の命綱、「つり革」もこんな風に見て来ると随分と奥が深い。(JR乗り潰しの旅・完)


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木曽路は山の中(JR乗り潰しの旅)

2011-04-27 | Weblog
 奈良井の先、藪原や木曽義仲が挙兵した宮ノ越にも旧中山道の遺跡は有る。
木曽福島には代官屋敷、福島関跡が木曽川を見下ろす高台に残されている。
島崎藤村の「夜明け前」の舞台にもなった馬篭、妻籠もこの先にあり、飲食店や土産物の店が軒を連ね、
ここは今では観光客の溢れる有名な観光スポットに成っている。

 この中央線は木曽川の流れに沿って進むので、その車窓は飽く事を知らない。
上松の近くでは「寝覚め床」を見る事が出来る。
木曽川の水流により、花崗岩が浸食されて形成された地形だが、浦島太郎が竜宮城から帰り、眠りから
覚めた場所との伝説が残っている場所でもある。



 田立を過ぎ、岐阜県に入ると恵那付近では形の良い恵那山が見えて来る。
その先には、古虎渓、定光寺と懐かしい駅名が続く。
小学生の頃、学校の遠足やハイキングで度々訪れたところだ。
特に定光寺は、自然休養林に囲まれた紅葉の名所で、臨済宗の古刹、ここには尾張藩祖徳川義直公が
眠っている。





 このように「木曽路はすべて山の中」では有るが、当時の宿場町が良く保存されているし、風光明美な
ところも多い。
中央西線の普通列車は、その本数も少ないが、特急列車も走っているので、時刻表とよく相談しながら
訪ね歩くのも悪くはない。

 名古屋市内に入ると、市街地を見ながらその東部を大きく迂回するように高架で駆け抜けて行く。
高層ビルの林立する中心部が見えて来ると終着駅の名古屋に到着する。(続)


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旧中山道・奈良井宿(JR乗り潰しの旅)

2011-04-25 | Weblog
 塩尻からの中央線は、木曽川に沿って、また旧中山道に沿って、所謂木曽路を名古屋に向けて進む。

 江戸時代に整備された中山道には69の宿場が設けられ、その内木曽路には11の宿場があったとされる。
江戸から来ると木曽路最初の宿が奈良井宿、急峻な鳥居峠越えに備える宿場として栄えたところだ。
その玄関駅、奈良井は塩尻からは五つ目、30分足らずの距離だ。





 駅を出て、左に暫く進むと、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された屋並みが、約1Kmに渡って
残されている旧奈良井宿の入り口に着く。
ここから屋並みの先を眺めて見ると、通りの両側には、旅籠や商家を思わす家屋が立ち並び、その千本格子などが、
昔の面影を色濃く残し、まるで、江戸の時代に舞い戻ったようなノスタルジックな雰囲気が楽しめる。







 街道筋には沢水の流れ落ちる水場が何か所も有る。
用意されて柄杓で水を掬い、少し口に含んでみる。
まろやかな味を静かに味わっていると、ここで当時の旅人が喉を潤していた情景が浮かび、何だか複雑な思いがする。



街道には高札場や鍵の手もそのまま残されている。
中ほどの「上問屋資料館」は、天保時代に立てられた建築物である。
明治天皇が御巡幸の折、御座所と成った部屋が残されている。
猫が日向に眠る細い路地にも風情が有る。
こうして古い町並みを眺めながら街道を歩いてみると、しばし当時の旅人の気分に浸る事が出来る。(続)


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「片倉館」の千人風呂(JR乗り潰しの旅)

2011-04-22 | Weblog
 中央本線は、東京と名古屋を結ぶ430キロ余りの長大路線だ。
塩尻を境に東がJR東日本の「中央東線」、西がJR東海の「中央西線」に分けられている。
文字通り本州の中央部を貫くので名付けられた。
 
 山を抜け、町が開け、左手に大きな湖が見えると列車は上諏訪に到着する。
諏訪湖畔に温泉が開け、霧ヶ峰高原や御柱祭で知られる諏訪大社など、古くからの観光地
として知られた町だ。



 小学生の頃だから、もうかれこれ半世紀以上も昔、中央西線をSLが走っていた時代、両親に
連れられて、初めてスキーをしたのが霧ケ峰高原、初めてスケートをしたのが諏訪湖、どちらも
思い出深いところでもある。
近年では、諏訪湖も全面凍結する事が無く、スケートも出来ないと聞いたが、寂しい限りである。

 駅からそんなに遠くないところに立ち寄り湯がある。
千人風呂で知られる「片倉館」だ。
その昔、絹織物で財をなした、片倉財閥が地域住民に厚生と社交の場として造った施設で、レトロ
チックな洋風建築は見るだけでも価値がある。





 窓にはステンドグラスが嵌めこまれ、浴槽の室内は綺麗なタイル張り、色々なレリーフなどの
飾りも多く、重厚感がある。
 お風呂は、さすがに千人が入れる広さは無いであろうが、それでも結構大きな浴槽で、水深も
胸の辺り位まであるから立って入る事に成る。
お湯は無色透明で、単純温泉を楽しむ事が出来る。



 入浴後は湖岸が近いので、湖面を渡る風を感じながらの散策が、火照った身体を冷ますには
丁度良い。(続)




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中央本線の沿線(JR乗り潰しの旅)

2011-04-20 | Weblog
 列車は甲府の駅を出て、市街地を見ながら甲府盆地を軽快に駆け抜ける。
そして、韮崎を過ぎた辺りから、厳しい上りに差し掛かる。
右には八ヶ岳連峰、左には甲斐駒ケ岳を初めとする南アルプスが雪を戴いて車窓の友となる絶景が続く。
小渕沢を過ぎ、二つ目の駅、富士見が中央本線の最高地点の駅となり、その後は、諏訪盆地を目指し、
緩やかに下って行く。



 途中、小渕沢で下車、この郊外にあると言うS社のウイスキー工場を見学する。
韮崎からは路線バスの便が有るようだが、ここからはタクシーを使うより行くすべがない。



 駅前から乗ったタクシーは、市街地を抜け、高原の風情が見える緩やかな道を、10分ほど走り、
八ヶ岳連峰を望む広大な蒸留所の正門前に到着した。
 ここでは、専属のガイドが付いた、ウイスキー蒸留所ツアー、天然水ツアー、ウイスキー&天然
水ツアーが用意されている。
勿論見学の後には試飲の楽しみも待っている。



 ウイスキー工場を、もう少しじっくりと見学させてくれるのかと期待していたが、意外とさらりと、
触りだけでかわされたような感じで、天然水の工場に連れて行かれた。
ここでの見学時間も余りなく、何となく物足りなさを感じるのである。
 短い時間で両方の見学をすること自体無理があるのかも知れない。
まぁ、それでもウイスキー博物館を見たり、ショップを覗いたりすれば、二三時間は十分に楽し
めるので、列車待ちの見学には丁度良いかも知れない。
 見学を終えて、ほろ酔い気分で再び小渕沢に戻り塩尻行きの列車を待つ。(続)





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芸者衆の担ぐ神輿(JR乗り潰しの旅)

2011-04-18 | Weblog
 宿に入り、早々に単純泉の温泉で入浴を済ませた。
19時から、祭りの行列がホテルの前を通ると言うから、余りのんびりとしてはいられない。
夜桜の下を神輿が練り歩き、中でも芸者衆の担ぐ神輿が呼びものだとか。

 夕食をしていると仲居さんが行列の始まりを伝えてくれた。
急いで食事を済ませ、カメラを手に表に飛び出してみる。
ホテルの前の道には特設の屋台が並び、ホテルの関係者によって振舞い餅が搗かれている。
ライトアップされた満開の桜の下は、すでに人で溢れていた。





 行列の出発を告げる車が通り過ぎて行った。
遠くから祭り囃子も聞こえてくる。

 今や遅し、と行列を待つが、なかなか近づいてはこない。
沿道で待つ観光客が通りに身を乗り出すように、出発点の方を眺めては、「止まっている」
と落胆を声に表す。
行列は、各旅館の前で止まっては、デモを繰り返すので、なかなかこちらの方には進んでこないのだ。

 1時間ほど待つと、やっとその掛け声が近づいて来た。
揃いの法被にねじり鉢巻き、中には片肌脱いだ綺麗どころもいる。
旅館の前で、「わっしょい、わっしょい」と気勢を上げる。
観客も周りを取り囲んで、「わっしょい、わっしょい」と囃し立てる。







 その後、芸者衆と観光客が、思い思いに記念写真におさまり、あちこちで大きな歓声が上がる。
花火が上がり、担ぎ手にビールやお餅がふるまわれ、夜の更けるのも忘れ、祭りは最高潮に達していく。(続)


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石和温泉(JR乗り潰しの旅)

2011-04-15 | Weblog
 石和温泉には10分足らずで到着する。
温泉のある笛吹市は日本一の桃の産地。
桃の花が咲き誇る頃、この桃源郷の写真が、よく観光ポスターで紹介されるところでもある。





 石和温泉は、比較的新しい温泉郷だ。
昭和36年1月、この地のブドウ園から高温の湯が湧き上がった。
それが近くの川に流れ込み、これが天然の温泉に成り話題を集めたのがその誕生。
 今では、百軒余りの旅館やホテルが立ち並び、首都圏から近いことも有って、山梨県下でも
最大級の温泉郷に成長した。
 平成に入ってからも新しい源泉が見つかったと話題に成ったばかりだ。

 強い風が吹いていた。
駅前の温泉案内の幟旗が大きく揺らいでいる。
ふとその先に眼をやると、灰色に連なる山々の向こうに富士山が、雪を戴いたその山頂だけを
かすかに覗かせている。
空は暮れかけて、少しずつ茜色に染まり始めていた。



 パンフレットには温泉郷までは、歩いて20分程と書かれていた。
駅からは何の変哲もない、ごく当たり前の町中の景色を見ながら歩くので、この先に、本当に
温泉街なんか有るの?と言う雰囲気だ。

 近津用水に沿ったさくら温泉通りに出ると、旅館、ホテルが目立つようになる。
この道は、桜の名所として知られる温泉街の人気スポット。
ここの並木の桜も満開で、折しも温泉では、「さくら祭り」が行われていた。(続)




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信玄公の城下町(JR乗り潰しの旅)

2011-04-13 | Weblog
 再び身延線に乗り、終点の甲府へ向かう。



 暫くは、富士川を左に見ながら、急坂を登ったり下ったりと、幾つものトンネルを抜けながら甲府盆地を目指す。
鰍沢口を過ぎ、中央道の高架を抜けると屋並みも増え、市街地に入ってくる。

 右から、中央線が近づき、お城跡が見えてくると終点の甲府だ。
ここは甲斐の名称武田信玄公の城下町。
ホームからは、隣接した甲府城跡の石垣の上に、平成16年に再建された、真新しい稲荷櫓を間近に見る事が
出来る。





 甲府では暫く途中下車、少し町中を歩いてみる。
北口から真っ直ぐに延びる武田通りの突き当たりに武田神社がある。
武田氏の館「躑躅ケ崎館」の跡に建つ武田神社は、武田信玄公を祀った神社で、大正時代に創建された
比較的新しい神社である。



 石段を上り、今来た道を振り返って見ると、緩やかに下って行く、駅に続く道の両側の桜並木は今まさに満開。
道端に置かれた、鉢植えの菜の花の黄とのコントラストが実に美しい。
 少し小高くなったここからは甲府の街並みと、盆地を取り巻く甲府の山々を望む事が出来、なかなか見晴らし
の良いところである。
境内でも桜が咲き誇り、多くの見物客が訪れていた。





 その後、武田家ゆかりの墓所のある円光院や、信玄公の墓所など信玄公ゆかりの場所を駆け足で回って
再び駅に戻る。
 17時32分の上り高尾行きに乗車、今晩の宿、石和温泉に向かう。(続)


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奥の院(JR乗り潰しの旅)

2011-04-11 | Weblog
 本堂の裏手に回り込んだ辺りにロープウェー乗り場が有る。
往復で1250円、7分間の空中散歩で、山頂・奥の院に行く事が出来る。





 奥の院・思親閣は、日蓮が両親を偲んだ場所。
ここには親思いの聖人お手植えと伝わる大杉も有る。



 山頂には、三つの展望台がある。
山頂駅の前にあるのが東展望台。
遠くに富士山を望むここからは、年に何日間か「ダイヤモンド富士」を観測出来るらしい。



 展望遊歩道と書かれた入り口をくぐり、杉木立の整備された道を5分程緩やかに登ると、1153mの山頂、
北側展望台がある。
手前に1640mの富士見山の深緑色の山容が、そしてその奥遥か先には雄大な南アルプス連峰の山々
が、その高さを競うように連なっている。
富士山に次ぐ日本第二の高峰、北岳(3192m)の山頂は白く輝いて見える。
少し東に目を転じると、雪を戴いた八ヶ岳連峰、さらに奥秩父の山々が連なって見える。

 その反対、西の端には、第三の展望台がある七面山が見える。
ここは、身延山の守護神「七面大明神」が祀られている場所である。

 山を下りる。
ロープウェー駅の近くの脇坊、本行坊を大勢のカメラマンたちが覗きこんでいる。
お目当ては、境内に咲き誇る桜らしい。
西谷と言われるここら辺りは、どこを歩いてもさくらが満開。





 薄いピンクと言うよりは、少しピンク掛った白い花を一杯付け、しだれるさまは正に圧巻。
そんな中に、濃いピンクや、杏色の花を付ける比較的若い木々がアクセントを付け、「きれい」としか
言いようが無い。(続)


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桜の境内(JR乗り潰しの旅)

2011-04-08 | Weblog
 総門を潜り、混み始めた参道を進み、山門の手前を右折、東谷から甘露門辺りでタクシーを降りる。
降り際に「タクシーは、ここまで登って来る事が出来る」とドライバーが言った。
どうやらバスの乗客は、随分と手前で降ろされ、門前町を歩き、菩提梯と言われる287段の石段を
登らないと境内には入れないらしい。



 広場から何段かの石段を上がると、いきなり目の前に展開するしだれ桜の巨木が目に飛び込んでくる。
相当な古木らしく、幹はうねるように捻じれ、そこから幾本も延びる枝にびっしりと鮮やかなピンクの小花を
つけしだれる様は、まるで巨大な滝をピンクの水が流れるようで、圧倒される美しさである。



 その桜を取り囲んだ大勢のカメラマンが撮影に余念がない。
負けずに写真を・・と思いカメラを構えるが、人の入らない桜だけを撮ろうとするとなかなか辛抱がいる。







 境内には140本ほどのしだれ桜があり、今まさに満開で、絢爛豪華に咲き誇る姿をカメラに収めようと、
どこもひと、ひと、ひと。
中でも祖師堂前の樹齢400年の巨木は、全国しだれ桜10選のひとつと言われ、その姿かたちは艶やかで、
色合いも良く、ため息の出るほどに美しい。
さすがに名の知れた人気の桜だけに、それを見上げる観桜客の姿が圧倒的に多い。



 日蓮宗総本山の広大な社域や、壮大な建造物群が霞んでしまうほどに、多くの桜は見事なまでに咲き
誇り、その美しさを競っている。
丁度良い時期に来たようだ。(続)


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