簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

「湯の里小町温泉・しこくや」(四国遍路)

2012-11-30 | Weblog


 JR予讃線を跨ぎ、高速道路を潜ると、県道は上り坂に掛かる。
近くの育成園の方々か、大勢の人々が道路の清掃奉仕に余念がない。
県道のピークに世田薬師が有り、ここからは眼下に旧東予市の町並みが見通せる。



 本来の遍路道はここから左に坂を下ることに成っているが、標識を見落としてその
まま県道を直進してしまった。
 地図で確認するとこれでも行けなくはないので戻らずにそのままに進んではみたが、
真新しい県道は、小さなアップダウンを幾つも繰り返すので、これが結構しんどいし、
何よりも街路樹もないアスファルト道は、遮るものも無いので日差しが半端じゃなく厳し
く暑い。



 途中何度も道を尋ねながらようやく遍路道に合流、安心ついでに近くの墓地内の
休憩所を借りて、昼食のお握りをほおばる。
 そのあと、暑くて遣り切れないのでスーパーに入ってアイスキャンデーを買い求め、
それを齧りながら丹原の町を目指す。



 久しぶりに活気のありそうな町に出くわした。丹原の町である。
あの夫婦連れはこの町にある「栄屋旅館」で泊まると言っていた。
町中を抜けると豊かな田園地帯が広がり、その前方に立ち塞がる石鎚の山並みが、
歩くほどに次第に大きく大きく近づいてくる。

 中山川を渡り、その先の国道11号線を右折、1キロほどのところにある「湯の里小町
温泉・しこくや」に宿を取った。
産直物産館を併設した、温泉自慢の宿である。(続)




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道の駅「今治湯の浦温泉」と夫婦遍路(四国遍路)

2012-11-28 | Weblog


 ここからは札所もなく、今日の宿までの20キロ余りをひたすら歩くことに成る。
再び県道に戻り3キロほど歩いたところで国道196号に合流、そのまま湯の浦温泉の
看板を見ながら、今治小松自動車道の今治湯の浦ICを超える。



 そう言えば、仙遊寺の境内で出会った一人歩きの青年は、「湯の浦温泉」に寄ると
言っていた。そんなことを思い出しながら暫く進むと、右手に道の駅「今治湯の浦温泉」
が見えて来た。
 休憩がてら立ち寄ってみと、丁度件の青年が、「湯の浦温泉に寄ってきた」と言いな
がら大きな荷を担いで歩き始めるところで有った。



 道の駅には、仙遊寺のあの石段上りの折出会った夫婦連れの遍路が先着していた。
「明日の横峰は、バスが有ると言うので、バスを利用する」 「色々検討したが、今日は
丹原に泊まる」などと話してくれた。



 この先食事処は無いと言うので、昼食用のお握りを併設のレストランで作って貰い、
先発した福岡からだと言う夫婦の後を追うように道の駅を出る。





 1.5キロほど歩いて、国道を離れる辺りで夫婦連れに追いついて追い越す。
それにしても久しぶりに見る夫婦連れである。
徳島でこそ時折見かけたものの、高知でも愛媛でもほとんど出会うことはなかったのだ。
体力的に違いのある男女での歩きは、夫婦と言えども難しいのか、札所を重ねるほどに
減って行くように見受けられる。(続)



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記憶の薄いお寺(四国遍路)

2012-11-26 | Weblog
 遍路道を大きく外れたため、次の札所までは、まだ4キロほども残っている。
しかし、この日は翌日の山登りに備え、歩行を25キロほどと押さえているので、朝も
ゆっくりと出発した。



 回を重ね、毎日幾つものお寺を巡っていると、不思議なもので、印象に残るお寺と
そうじゃないお寺が出てくる。当然のことながら、道すがらの厳しいお寺の印象は深い。
また何か特別の出会いか、出来事でも有れば記憶にも刻み込まれやすいが、ただ淡々
と熟してきただけのお寺はどうしても記憶が薄くなってしまう。



 ここ59番札所・国分寺は、そんな印象の薄いお寺の一つである。
国道196号を遍路道まで戻り、田圃や住宅地の広がる道を歩いて来たことに間違いは
ないが、どんな光景の中をどう来たのか、その風景はうすぼんやりとしていて定かに
浮かんでこない。お寺もどんな様子だったのか余り印象が無い。



 撮りためた写真を見ると町中を少し入ったところに門前があり、その先に石段、それを
上ると正面に本堂、右に大師堂、左手に本坊と納経所が有ることが解る。

 「ああ、こんなところだったのか・・」と思い返す。
しかし、たった1枚の写真がトリガーとなって、記憶をまざまざと新鮮に甦らせてくれる
事もある。



 境内にあった「修行大師の像」だ。これを見て、「ああ、このお寺か・・・」と。

「握手してお願いしてください、願い事は一つにしてください。あれもこれもいけません。
お大師様は忙しいですから」(続)




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仙遊寺からコスモオサムへ(四国遍路)

2012-11-23 | Weblog
 仙遊寺に向かう道すがら、絶えず前方に見える山の頂付近に、何か白っぽい建造物
のようなものが見え隠れしていた。 
「あそこまで上るのだろうか?」「少し、遠すぎやしないか?」



 その建造物が目の前に現れた。
息を荒げながら石段を登ること10分余りで石段の先に石垣が見えてきた。
どうやら、道中に見え隠れしていた建造物はこの石垣のようだ。

 境内は山肌を切り開いたような場所にある。
弘法大師像の前に大師堂、空海像が並び、その右手が本堂、その奥にガラス張りの
真新しい客殿があり、ここは宿坊にもなっていて、天然温泉と精進料理が楽しめる
らしい。





 その建物の前からは、今治の市街を流れる一筋の蒼社川、その向こうに広がる瀬戸
内海と島々が展望でき、素晴らしい眺望が楽しめる。



 石段を下り、自動車道を少し歩いた後、標識に従い山に入り道を下る。
次の札所までは6.2キロ余りだが、今日はその手前で遍路道から外れたところに宿を
取っている。 その宿まではあと5キロほど、歩くことに成る。

 コスモオサムは、国道196号線の脇に建つビジネスホテルだ。
ここはサウナと大浴場があり、料金が二食付きで6000円と安いのに、食事の評判も
悪くない。予約時「禁煙ルームを」とお願いしたら、「設定がないので、禁煙仕様にし
ます」とのことであった。



 宿に着いて、大浴場でゆっくりと疲れをいやす。
シングルの部屋の広さもごく普通のビジネスホテルホテル並みでまあまあ、寝るだけ
なら問題はない。しかし難を言えば、風呂も食堂も館内が分煙されていないのでタバコ
臭いこと。部屋に空気清浄機と消臭剤が置かれてはいたが・・・。(続)





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聞きしに勝る難所(四国遍路)

2012-11-21 | Weblog
 「八幡さん」の参道を下り、その下の茶店でアイスクリンで体を冷やし一休みの後、
覚悟を決めて凡そ4キロの山登りに挑む。



 茶店から20分ほど上ると犬塚池と言う、悲しい犬の伝説が伝わる少し大きな池がある。
『昔、英福寺か仙遊寺で飼われていた犬がいた。悧巧な犬は、お寺の鐘が鳴るとそのお
寺に駆け込んで用を受け、他方の寺に駆け込んでお互いの寺の、言わば飛脚の役目を
果たしていた。ある日どうした手違いか二つのお寺の鐘が同時に鳴った。
どっちに駆け付けようか迷った犬は、散々右往左往した挙句池に落ちて死んでしまった。』



 山道は途中から車道に合流し、15分ほどの上りで真新しい山門に到着する。
ここまで上り道に50分ほど要していたが、聞いていた程には厳しい上り道ではなかった。
「なんだ、大したことはなかったなあ」と山門で一休み。



 近くでお参りをしていた男性に話を聞くと、本堂はここから石段を登ったところにあって、
これが本来の遍路道だと言う。
 見れば山門を潜った先に手すりの付いた、急な石段が鬱蒼とした森の中に延びている。
地図で確認するとこの辺りの標高は210m、58番・仙遊寺は「おされさん」の名で知られる
海抜300mの作礼山の山頂近く、標高260m付近にある。



 この登り坂、評判通りの急坂で、先の岩屋寺を彷彿させるものがある。
曲りくねって上る不揃いの石段は、結構足に来るし、何よりも息が上がる。
 途中下りてきた夫婦連れ遍路に「あとどれくらい?」と荒い息で問いかけると、「もう
ひと頑張り・・」と笑って答えてくれた。(続)



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「八幡さん」と隣り合わせ(四国遍路)

2012-11-19 | Weblog
 元の通りに戻り、お寺の少し先で左折、実りの秋を迎えた田圃の中の道を進む。
まだ青いのに・・と思える田では既に稲刈りが始まっていた。

 20分ほど歩くと遍路小屋の脇に、花に囲まれて「四国遍路無縁墓地」の石碑の建つ
一角に出くわした。周りには何基かの古びた墓標も有るので、この辺りに点在していた
ものがここに集められたように見受けられる。



 その先で、蒼社川の土手に行き当たる。
水の少ない時期にはそのまま川の中を遍路道が通っていたようだが、今はそこを右折、
暫く土手の県道を歩きその先の山手橋を渡る。



 橋の坂を下り100mほど先で右折、川幅の狭い谷山川の土手道を歩く。
桜並木の根元には彼岸花が今は盛りと真紅の花を広げ、黄金色に実った稲田との
コントラストが何とも秋らしく気持ち良い。次第に山も近くなる。
 お寺の山号にもなっている府頭山の麓にある57番札所・栄福寺までは3キロ余りだ。



 「伊予一国一社石清水八幡宮」の石柱を左折すると、急なアスファルトの参道が
八幡宮に向け伸びていて、その途中で右折すると境内が有る。



 本堂は何段かの石段を上がった少し高いところにあり、そこは丁度八幡宮への参道
を背にした辺りとなる。本堂の回廊にはイザリ車と松葉つえが置かれている。
巡拝中この地に来て歩けるようになったと言う信者が、感謝をこめて昭和8年に奉納
したものだと言う。



 豊かに茂った木々の緑を背景に、本堂右手に回廊、大師堂、薬師堂などの諸堂が
”コ”の字型に並んでいる。(続)


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石垣の上に(四国遍路)

2012-11-16 | Weblog
 今治市は造船やタオル・伊予かすりの生産で知られ、その人口は松山市に次いで
県下では2番目に多い町である。
近年では焼き鳥の町としても知られるようになっている。
 ここは古くは、“イマバリ”とも“イマハリ”とも“イマハル”とも呼ばれていたが、大正
9年に市制が引かれ、“イマバリ”に統一されたらしい。



 南光坊から次の札所56番・泰山寺までは、今治の中心地を外れ3キロほどの道程
である。再び予讃線の高架を潜り進むと、町中の道筋には今治明徳高校、今治精華
高校、今治西高校などの学び舎が連なって見えてくる。

 国道196号バイパスの広い道を横切ると、道幅は少し狭くなり、田畑の中に住宅の
建つ長閑な道に変わり、そのまましばらく進むと右手前方、田圃の向こうに大きな甍
が見えてくる。



 道路左側に広い駐車場を構えているが、門前の道は余り広くはない。
入口のお土産屋さんが参拝を終えた団体の客に盛んにミカンの試食を進めている。
そんな光景を横目に進むと、大小の石を組み上げ見事に立ち上がる石垣の先に、
15段ほどの石段が見える。





 それを上ると山裾を平らに切り開いたような広々とした境内に入る。
すぐ右手に大師堂が建ち、その先の一際目を引く大きな建物が本坊で、そこには宿坊も
併設されている。本堂はその左に建っていて、全体が圧倒されるようなスケールの大き
なお寺である。



 が、なんとなく寒々とした、落ち着けない感があるのは、境内が広い割に周りに大きな
樹木がないせいであろうか・・・。
 団体の参拝客が引いた境内は、ひっそりと静けさを取り戻し、乾いた地面の上を秋の
風が吹き抜けていた。(続)


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“寺”の無い札所(?)

2012-11-14 | Weblog
 お寺脇の墓地を抜ける坂道を登ると、低い山々に囲まれた門前の町並みの広がりが
見える。ここから55番札所までは4キロ余りの道程だ。



 途中西瀬戸自動車道の高架を潜ると、道は僅かながら登り坂となり、大谷霊園へと
登って行く。道なりに車道を歩いていると、後ろから来た軽トラックの男性に呼び止め
られ、「その道は遠くなる、その石段を登ると近い」と教えられ、少し戻ってその石段
を登る。



 教えられた駐車場を抜け、霊園を下る道に差し掛かる。
前方に今治の町並みが見え、それに向けて一気に坂を下り、下りきったところで、桜橋
の手前を左折、浅川に沿って市街地に入り込む。



 今治北高校の先で予讃線の高架を超える。
すぐ右手は今治駅で、周りは交通量の多い幹線が走り、商店や飲食店も多く、市街地
の中心らしい雰囲気になってくる。ここまで来ると、55番札所・南光坊はすぐそこだ。

 標識に導かれ寺域に進むと、境内のど真ん中を貫くアスファルト道に出た。
驚いた事にこの道が、境内を二分している。
町中にある割には広々とした開放感のあるお寺で、その右手に大きな本堂がどっしりと
構えている。



 左手に山門が聳えているが、遍路はそこを潜らず境内に入ったことに成る。
山門のその手前に大師堂が建ち、前が駐車場になっていて、バスが2台留まっていた。

 ここには88ケ所の中で唯一と言うものが“二つ”あった。
一つは本堂が無いと言うこと。長いこと先の大戦で焼失したままで有ったが、多くの
信者の寄付などで昭和になって再建された。もう一つは、“寺”と付かない札所である。



 遍路は納経所の左脇から次の札所に向かうことに成るが、折角なので、少し遠回り
にはなるが、立派な山門を潜って寺を後にした。(続)


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「宅間まんじゅう」と延命寺

2012-11-12 | Weblog
 国道196号は、菊間からも瀬戸内海に沿って延び、伊予亀岡を経て、大西を過ぎる
辺りで、予讃線とも別れ内陸に向かうことに成る。



 昼間の気温は30度には満たないとは言え、何も遮るものもない国道道を差す陽は、
夏のそれに劣らないほどにまだまだ厳しいものがある。
 そんな道中の救いは、道辺に真紅の群落を見せる彼岸花やコスモスなどの秋の花々、
時折火照った体をヒンヤリと撫ぜてくれる秋の風、それに・・・沿道で見つけるその土地
の名物を売るお店の存在だ。



 宅間の町に入り「まんじゅう」の看板を見つけ、休憩を兼ねて立ち寄ってみる。
薄皮生地の中に、こしあんが入っている酒種まんじゅうで、丸くて薄いせんべいのような
形をしている。
「一つ一つ手作りしてるんや」と言いながら、奥からおばあちゃんがぬくぬくを持ってきて
くれた。丁度、岡山名物の大手饅頭を押しつぶしたような印象で、甘すぎない口当たりは
さっぱりとして後を引かない、そんな感じの美味しいまんじゅうである。



 この店の先で国道を外れ、県道38号に入ると札所までは、2キロほどと近くなる。
乃万小学校を過ぎ県道を左折すると、稲田と住宅が混在する長閑な道となり、それが
そのまま延命寺の山門へと続いて行く。



 山門を潜ると大杉が聳え、本堂に続く参道脇の右手に鐘楼、左手にお土産などを売る
お店が並んでいる。本堂前の左手に30段ほどの石段があり、そこを登ると大師堂が有る。
こじんまりと落ち着いた良い雰囲気のお寺である。(続)





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菊間の町(四国遍路)

2012-11-09 | Weblog
 歩き始めて1時間半ほど経過してようやく今治市に入って来た。
とは言え、沿線はお店どころか人家もない海辺の一本道が続いている。
「お店の跡らしき建物に出くわすだけ高知の室戸道よりまし」と、悪態をつきながら
ただひたすらに歩くだけだ。



 それでもその先で、60mほどの砥鹿山トンネルを抜けると、小さな漁港もあり何となく
菊間の町が近づいているような雰囲気も感じられる。



 菊間は瓦の生産で知られた町だ。
以前車で訪れた折、JRの駅のすぐ裏にある「かわら館」でそのことを知った。
 菊間の瓦には750年余りの伝統が有るらしく、今でもその技を引き継いだ名工が鬼瓦
や屋根瓦、工芸瓦などを手作りしている。



 国道沿いにも瓦工場の看板が見え始め、何件もの瓦を細工する工場が軒を連ねて
いる。その店先には大きな鬼瓦や棟を飾る鯱、鷹などの細工瓦、屋根瓦などが並べ
られている。
 
 そんな中に「お接待処」を見つけ、立ち寄ってみる。
近くの菊間中学の生徒さんが総合学習の粘土細工で作った作品が並べられ、持ち
帰って良いと書かれているので、菊間の鬼瓦を模した小さな根付を有り難く頂き、
金剛杖に下げてみた。



 そこから更に歩くと遍照院の森が見えてきた。
どうやら町の中心部に入り込んだようだ。
その先に目を凝らすと、やっと見覚えのあるコンビニの看板が目に入って来た。
 どうやらこれで朝食にありつけそうだ。
時計を見ると既に8時半を大きく過ぎていた。(続)





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