簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

山間の難所・岩屋寺(四国遍路)

2012-06-29 | Weblog
 古岩屋荘から岩屋寺までは3キロほどの緩く下る県道を歩くことになる。
有名な面河渓や石鎚山に向かう主要道らしく、山の中にしては意外なほどに交通量が
多い。

 直瀬川のせせらぎや、鳥たちのさえずりに耳を傾け、新緑の若葉のむせ返るような
匂いをかいでの下り道は、脇を走り抜ける車の騒音など気にはならぬほど快適である。



 30分ほど歩くと、直瀬川に架かる赤い橋が見えてきた。
橋を渡ると境内で、広い駐車場があり、バスや自動車でのお参りもここから先は歩くより
術がないらしい。



 すでに山に向かう急な坂道が見えているが、看板には境内まで「歩きで20分」とある。
茶店の建ち並ぶ細い道が終わると、参道は鬱蒼と茂る木立の中に、坂道や石段が続く
本格的な山登りの様相を呈してくる。石段の数だけでも260段を超えるという。



 聞きしに勝る厳しい上り道だが、参道の途中には、お大師像、石仏群や、お百度
参り場などが点在し、深山の霊場の雰囲気を醸していて、少しの間、息を継ぐには
格好の場となっている。



 やがて頭上に覆いかぶさるような巨大な岩山が見えてくると、その巨岩に包み込まれ
るように立つ本堂が現れる。



 アッと息をのむような光景に、一瞬我を忘れ巨岩を仰ぎ見る。
岩は凝灰岩でその数は50余りあると言い、その聳え立つ山容は異様で奇怪な感さえする。
なるほど、山全体が本尊と言われる所以である。(続)




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奇岩の古岩屋(四国遍路)

2012-06-27 | Weblog
 国民宿舎・古岩屋荘は、四国カルスト公園の一角に位置している。
周りは自然の宝庫で、中でも目を引くのが高さ60~100mと言われる巨大な岩山である。



 公園に建つ案内板によると、この岩は礫岩峰と言うらしい。
独立して建つ峰もあるが、中ほどに亀裂が入ったように連立する峰もある。
絶壁の岩肌には、ところどころにしがみ付くように木々が生え、天に向かって屹立する
大岩とともに力強い生命力を感じさせる。



 ここ直瀬川の両岸にそそり立つ、礫岩峰が見事な景観を見せる古岩屋の一帯は、
昔から修験者や遍路・巡拝者の修行の霊場となっていた。
そのため遍路道も俗界を避け、わざわざ急峻な山道に難路を付けているのだという。



 そのことから本来なら、大宝寺・岩屋寺を行きかう遍路は、この厳しい難路を行くものと
されていた。ここ古岩屋荘に宿をとった場合でもその脇から山に入り、八丁坂入り口まで
1キロほど戻り、そこから730mの峠を越えるのが正式な遍路道と言うことになるらしい。



 しかし足に自信の無い我等の今日の予定からは、ここだけに余り時間も掛けられず、
どうしたものかと一応は思案をしてみるが、何時ものことながら結局は楽な方に、無難
な選択をして山道を避け、県道から向かうことになる。



 幸い雨の心配はなくなった。ところどころ青空も見え始めている。
宿に荷物を預け、空身で山を目指せる足取りは、おのずと軽くなる。(続)


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国民宿舎・古岩屋荘(四国遍路)

2012-06-25 | Weblog


 
 国民宿舎・古岩屋荘にも大浴場の前に、ランドリーコーナーが設けてある。
今回も着替えは一組しか持参していないので、宿についてまずすることは、身包み
剥いで、洗濯機に放り込むことである。
 どこの宿でも、何台もの洗濯機を備えているわけではないので、モタモタとしては
いられない。風呂も食事も後にして、まずこれが先である。



 洗濯待ちの時間は、今時の井戸端会議のようなものだ。
同じような遍路も多いので、共通の話題で話のきっかけもつかみやすく、結構な事に
洗濯待ちも決して退屈な時間にはならないのが嬉しい。



 そこで顔見知りになり、食事場所で隣り合わせにでもなろうものなら、もう何年来の
知己のように話も弾むから、そんなところにも歩き遍路ならではの面白さがあるような
気がしてならない。

 泊まった翌日の早朝、曇り空に突然雷が鳴り響き、大粒の雨がパラパラと降って
きたかと思うと、雨は何事も無かったかのようにすぐに止んでしまった。
前夜からテレビの天気予報が、東日本の大気が不安定になるので、突然の雷や雨・
突風に注意するようしきりに呼びかけていた。



 よもやこの地にまでは及ぶまい、降水確率も午前が30パーセントだから大して心配も
していなかったが、やはり高地ではこんなこともあるものかと、少し心配になる。



 レストランの大窓から、黒い雲が垂れ込める空を見上げて、本降りにならなければ良い
のにと心で念じながらの朝食となった。(続)


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遍路の洗濯(四国遍路)

2012-06-22 | Weblog
 歩き遍路にとって、肩に背負う荷物は軽いに越したことは無い。
何を持って行くかは、毎度のことながら悩ましく、入れたり、出したりで結構荷を決める
のに時間がかかる。



 歩きを始めた当初は、旅行の日数分の着替えを用意していたものだから、荷が多く
成り重くて大変であった。しかし回を重ねるにつれ学習をしたのか、それらの内、幾つ
かは無くても良い事に気付く。



 特に着替え類では大変に助けられている。
今までに泊まった宿には必ずと言って良い程に洗濯機が置かれている。
 大体はこれが無料で使える、或いは有料でも精々百円程度、中には洗剤の代金
(30円とか50円程)だけと言うことで、気軽に洗濯が出来るから有難い。



 ただし乾燥機までは設置されていない宿が多いが、有れば基本的には有料で、
15分とか30分の時間単位で、大体百円~二百円と言ったところだ。
しかし、乾燥するものが多いと一回では乾かない事も多く、何度も繰り返すとなると
これでは経済的な負担も大きく成る。



 ただ季節によっては乾燥機を使わずとも、一晩部屋に吊るしておけば殆どの場合
乾いてしまうから、これは無くてもそんなに心配はいらない。
遍路宿には、各部屋に沢山のハンガーを用意しているところが多いので、それに吊
るしておけば事足りるのだ。



 時には到着するや否や、宿の女将から「洗濯のお接待です」と言う、有難い行為
にあずかる事もある。
 こんなわけだから、沢山の着替えを持参する必要もなく、精々一組か、多くても
二組も有れば十分で、これが荷を軽くすることになっている。(続)


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中札所・大宝寺(四国遍路)

2012-06-20 | Weblog
 上りがきつければ、下りもきついのは道理、厳しい勾配の赤土の道が続いている。
とは言っても所詮は下り、足への負担は大きいものの、息が上がることもなく楽である
ことには違いない。



 1キロ半ほどの下り道を20分ほどで下り切ると、いきなり視界が開けた。
新緑の薄緑と古葉の深緑が混じり合う山々がかすみ、それに囲まれた町並みが、
まるで箱庭のようで、人家が犇めいて見える。
山道では、時折こんな風景に出会えるので、苦しくても救われる。



 久万川に架かる橋を渡ると“大宝寺総門”と書かれた大きな門を潜る。
その先の両側はかつての門前町、遍路宿風な建物や、商家も目に付く。
直進する道は結構な上り坂で、そのまま表参道へと続いて行く。



 仁王門を潜り、さらに坂道をのぼると石楠花が満開で咲き誇る石段があり、その上に
本堂が建っている。
 明治のころの火災で焼失し、それ以後再建された建物ばかりらしいが、境内の周り
には杉や檜の古木老樹が生い茂り、幽寂な空気で満ちていて、中札所としての風格を
出している。



 お寺を包み込むこの山は、大宝寺の山号にもなっていて、“菅生山”と言う。
ユキノシタ・シャガなどが群生し、セリ・ワラビ・アケブなどが自生する山地植物の宝庫
として県の名勝に指定されている。



 打ち終えると、今度は岩屋寺への道が待っている。
長い峠越えで、少なからずダメージを受けている足には、この菅生山越えの道は厳し
すぎるので、ここは無理をせず今晩の宿、国民宿舎・古岩屋荘までの8キロは、県道
を行くことにする。(続)


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鴇田峠越え(四国遍路)

2012-06-18 | Weblog
 三島神社の先で県道を外れると、一つ目の峠への上りが始まる。



 と言っても女将が言っていた通り、林道の整備が進められていて、本格的な上り道が
始まるのはさらに先で、林道を外れてからだ。



 それでもいざ上りだすと結構きつい。
杉木立の中を、息を切らして上ること20分ほどで、標高570mの下坂場峠に到着した。



山道を登り終え、峠に出るとそこには立派なアスファルト道が通り、些か拍子抜けする
ような、明るく開けたところであった。



 ここから道は、これから峠に上るのだから下らなければ良いのに、と思えるほどの
かなりきつい下り坂が続く。



 由良野の集落を抜けると峠まで2キロ余り、本格的な山登りがまた始まる。
昼なお暗い木立の中に道が上に向かっている。勾配もきつく、どこまで上っても終わろ
うとしない急こう配の地道が続いている。



 上り始めて40分ほどで、“だんじり岩”と書かれた看板に出くわした。
その昔巡錫中のお大師様が、疲れ果て、重ねて空腹のため、己の修行の足りなさに
“じだんだ(だんじり)”を踏んだ岩だと説明が記されている。



 修行を積まれた、お大師様でもこうなんだから・・・と思い直して上ること更に10分ほど
で、ようやく僅かばかりの平地のある標高790mの峠に到着した。
 宿を出て5時間、本格的に上り始めて2時間が経過していた。



 ここは昔からこの地域には欠かせない主要な街道で、昭和30年頃までは、この場所
にも茶店があり、行きかう人々で大層な賑わいを見せていたと言う。(続)




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久万高原に向けて(四国遍路)

2012-06-15 | Weblog
 前夜泊まった宿でこの日のルートを女将に相談すると、鴇田峠越えのルートを強く
勧めてきた。

 二つの峠を越え、久万高原の44番を打ち終えたら、その奥の院である45番には、
その裏山から(これが相当厳しいらしい)、その先の八丁坂を超えるのが昔からの
正式な遍路道であることが最大の理由のようだ。



 「昔は相当厳しい山岳道であったが、近年林道が整備され以前よりは格段に歩き
やすくなっている、厳しければ、いつでも舗装された林道に抜けることが出来るのも
このルートの良さだ」と言う。



 この日、その勧められたルートを歩いている。
きれいに舗装された国道379号線は、交通量も少なく、時折思い出したように一台ずつ、
車が猛スピードで通り過ぎていく。
道はほんの僅か上っているようだが、坂道と認識するほどの事もなく歩きやすい。



途中、まだ開店前の産直市で、「休んでいけ」と声を掛けられ、言葉に甘え少し休ま
せてもらう。
「これで良かったら、いくらでもいいから持って行け」、「もう商品価値はないけど、まだ
美味しく食べられるから・・」と甘夏の入った箱を指さして言う。

 峠越えを控え、余り荷を重くしたくはないが、好物を逃がす手もなく、大きそうなのを
選りすぐり二つほど頂いて、礼を言って再び歩き始める。



滝ノ上橋休憩所のところで国道を離れ、県道41号線に入り、落合トンネルを抜けると
道幅も狭く、上り勾配も気のせいかきつくなってきた。(続)




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ヘソ寺へ (四国遍路)

2012-06-13 | Weblog
 平均標高が800メートル“四国の軽井沢”と呼ばれる久万高原にある第44番札所・
大宝寺とその先の第45番札所・岩屋寺に向かうルートは、幾通りもある。



 国道379号線をそのまま進み、途中県道42号線に入り、下坂場峠(標高570m)と
鴇田峠(標高790m)を連続して超えるルートが一つ。
一方、突合から分かれる国道380号線で新真弓トンネルを抜け、父二峰から農祖峠
(標高651m)を超え久万高原に至るルートもある。



 前者は、距離的には若干短くはなるが、連続した二つの厳しい峠越えが待ち構えて
いる。それに比べ後者は、峠は一つしかなく、若干低くなるがその分距離は長くなる。



 更に、前者は久万高原に出ればそのまま44番に向かうことになるが、そこから45番は
打戻となり、再び久万高原の中心部に戻ることになる。
ただこの場合久万高原に宿をとれば、そこに荷物を預け、空身で45番の厳しい山登りに
臨むこともできるのでそれも捨てがたい。

 一方道程の効率を考えて農祖峠を越え、そのまま先に45番に向かい、その後44番を
打つ逆ルートを選ぶ人もいるらしい。



 どのルートを選択するかは、突合から久万高原の間、20キロほどの間に宿がないので、
前後の宿泊地と自身の足との兼ね合いで、ルートの組み合わせの選択肢は広くなる。


 
 何れにしても札所の中間点・ヘソ寺、中札所・第44番・大宝寺への道筋は、厳しい
起伏の連続する山岳道で、一筋縄ではいかない艱難辛苦が待ち構えている。(続)



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筏流しの里(四国遍路)

2012-06-11 | Weblog
国道56号線を離れ、“道の駅・からり”の前から国道379号線に入る。



明治から大正、昭和の初めにかけこの地の奥山で伐採された良質な木材は、筏を組ん
でこの小田川を下り、肱川河口の長浜まで運ばれたという。
 川を下る勇壮な姿は、道路の整備やトラック輸送の発達により、昭和20年代を最後に、
姿を消してしまったらしい。



ここらあたりで14キロ余りを歩いて来た。
今晩の宿のある突合まではおよそ半分、まだ同じぐらい残っている。
 小田川沿いの道は、ほぼ平坦で歩きやすくはあるが、単調なアスファルト道の連続で、
変化に乏しく、些か疲れが出始めている。



 長岡山トンネルを抜けると道路わきにぽっんと一軒“お遍路無料宿”が建っている。
固く雨戸を閉ざしているところを見ると、誰も利用している様子は無い。
午後3時を過ぎたところだから、泊まるには早すぎるのか。



 短い和田トンネルを抜け、大瀬の集落を抜ける旧国道に入る。
沿道の大瀬小学校は、ノーベル賞作家・大江健三郎の通った母校、その近くには生家も
あるそうだ。その先に曽我五郎十郎首塚、千人塚大師堂、落水大師などがあるが、山の
日暮れは早いので、ゆっくりとしている暇もなく歩き続けているので次第に足も重くなる。



 午前11時少し前に着いた伊予大洲から歩き始めて早6時間、ここまで25キロ以上の
道のりを歩いて来た。
明日の久万高原に向かう峠越えの負担を少しでも減らそうとしたものだが、初日にして
は少し無理をしたようだ。しかし、ようやく今晩の宿が近づいてきた。(続)


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内子の町並み(四国遍路)

2012-06-08 | Weblog
 国道を離れ、平入りの低い屋並みの続く、新谷の集落を貫く旧街道に入る。
車が激しく行きかう国道と違って、通り過ぎる車も少なく、生活感のある通りは歩いて
いても何故かホッと落ち着くものがある。



 神南堂と名付けられた遍路の休憩所を左に見て、再び国道に合流、しばらく歩きその
先のJR五十崎駅の手前で住宅地の間の道に入る、



 民家が途切れると、木々の生い茂る間を行くやや上りの一本道となり、峠越えでも・・
といった雰囲気を漂わせていたが、案じるほどの事もなく、すぐにアスファルトの下り道と
なり、カーブの先に野球場が見えてきた。



 休憩がてらネット裏に腰を下ろそうと近づくと、練習の手を一瞬止め振り返って「チワッス」
と挨拶をくれる。聞けば内子高校の野球部と言う。

 

 しばらく見学させてもらうと、高校生の元気の良い掛け声と、カキーンと言う金属バット
の打撃音で、すっかり疲れも吹っ飛んだ気持になり、そのままの勢いでJRの線路を潜り、
内子の町へと入り込んだ。

 

 大正時代に建てられた歌舞伎劇場である“内子座”は、この内子町を代表する見所の
一つ。ふれあい通りには“商いと暮らしの博物館”など、虫籠窓や連子格子のある建物
が並んでいる。かつて木蝋や生糸で栄えた情緒のある町並みを、外観のみ横目で眺め
て通り過ぎるのが何とも勿体ない。(続)





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