百間川の堤防を200m程遡り右折して、原尾島橋を渡り迂回する。
左岸に渡り、先程の線路が途切れた辺りまで堤防を戻ってみるが、その先
の線路跡は住宅地に取り込まれ判然とはしない。
地図で確認すると宅地の中に、建物の建っていない細長い形状の空き地が、
この先の藤原交差点に向けて延びているのが解る。
恐らくこれが廃線跡であろうが、住宅地の中には入り込むことは出来ない。
やむなく橋からそのまま延びる、余り広くはない市道に迂回する。
この道は旧国道の延長線上に有り、近くの国道250号線の混雑を避ける
車が流れて来るので、普段から車がやたら多い。
充分に広さが無い道だけに、相も変わらず行き違いに苦労するほど込
み合っている。
そんな歩道も無い道では、屡々歩を止め、車をやり過ごさねば成らず、
危ないことこの上ない。
しばらく行くと右手にタクシー会社の車庫が見えてくる。
実はこの敷地が線路跡で、この車庫の辺りに「藤原」駅が有ったと言う。
明治45(1912)年、長岡から森下間が延伸開業した時設けられた駅で、
当初は二本松と言った。
しかしその2年後には、鉄道院(後の国鉄)との連帯運輸をするため、
紛らわしい駅名を改称するよう命じられ、藤原と変更した。
この時九駅の内、六駅の名称が変えられている。
構内に屋根の有る車庫があり、その前の通路がこの道路とは鋭角的に
接している。
形状から察すると、これはそのまま目の前のコンビニの駐車場を抜け、
県道を斜めに横切って行く風に見える。
その先には病院の白い建物があるが、線路はそこも貫いていたらしい。(続)
にほんブログ村
左岸に渡り、先程の線路が途切れた辺りまで堤防を戻ってみるが、その先
の線路跡は住宅地に取り込まれ判然とはしない。
地図で確認すると宅地の中に、建物の建っていない細長い形状の空き地が、
この先の藤原交差点に向けて延びているのが解る。
恐らくこれが廃線跡であろうが、住宅地の中には入り込むことは出来ない。
やむなく橋からそのまま延びる、余り広くはない市道に迂回する。
この道は旧国道の延長線上に有り、近くの国道250号線の混雑を避ける
車が流れて来るので、普段から車がやたら多い。
充分に広さが無い道だけに、相も変わらず行き違いに苦労するほど込
み合っている。
そんな歩道も無い道では、屡々歩を止め、車をやり過ごさねば成らず、
危ないことこの上ない。
しばらく行くと右手にタクシー会社の車庫が見えてくる。
実はこの敷地が線路跡で、この車庫の辺りに「藤原」駅が有ったと言う。
明治45(1912)年、長岡から森下間が延伸開業した時設けられた駅で、
当初は二本松と言った。
しかしその2年後には、鉄道院(後の国鉄)との連帯運輸をするため、
紛らわしい駅名を改称するよう命じられ、藤原と変更した。
この時九駅の内、六駅の名称が変えられている。
構内に屋根の有る車庫があり、その前の通路がこの道路とは鋭角的に
接している。
形状から察すると、これはそのまま目の前のコンビニの駐車場を抜け、
県道を斜めに横切って行く風に見える。
その先には病院の白い建物があるが、線路はそこも貫いていたらしい。(続)
にほんブログ村
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます