
玉野市電は、岡山方面への延長案も考えていたらしい。
宇野を出て広潟、田井、十禅寺、大藪、後閑と辿り、この先進路を児島
半島に取る。福浦、波知、八浜、見石、碁石、松尾、甲浦からは児島湖
の締め切り堤防の上を通り、岡山港、藤田、福田、青江、奥田を経て岡
山に到る全長22.2㎞の路線である。

地図を見ると良く分かるが、当時の宇野線は干拓される前の児島湾の
海岸線をなぞるように、妹尾と八浜の間は「逆コの字」型に大きな弧を
描くように線路が敷かれている。
玉野市電の岡山延伸計画は、児島半島経由で、児島湾の締め切り堤防
上を真っ直ぐ北上しょうとする直線的なもので、宇野線よりも大幅な時
間短縮が期待されていた。

一方、玉野市電が開通する少し前に、岡山市内には岡山臨港鉄道が、
大元から岡山港間で開通(昭和26年~昭和59年)している。
同鉄道も将来的には延伸し、児島湾の締め切り堤防上に線路を通す構
想を持っていた。
玉野市電の計画は、岡山市内を走る岡山港から先は、この臨港鉄道の
ルートとほぼ重複する。相互乗り入れを考えていたのかも知れないが、
残念ながら何れの案も実現には到らなかった。

「すこやかセンター」には、玉野市電で活躍したモハ103号機が静態
保存されている。説明書きによると鉄道の開通から19年間、宇高連絡
線の玄関口宇野駅と三井造船の事業所がある玉地区を結んで走ってい
た車輌という。

鉄道の廃線に伴い昭和40(1965)年、瀬戸内海を渡り香川県の高松
琴平電鉄に譲渡され、同社のエンブレムを付けた760号機となった。
琴電でも役目を全うした車輌は、その後の平成18(2006)年に、玉
野市の有志市民によって里帰りが実現、終の棲家としてこの地に安息の
場を得たという。(続)



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