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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

繁華街の玄関 (玉野市電廃線跡を歩く)

2025-04-23 | Weblog
 その後玉野市電になると、慢性赤字の経営を改善するため二度にわた
り路線を延長してきた。最初は終点だった三井造船所前駅(当初は玉駅)
から商店街のある玉橋(当初は玉駅)の区間である。



 延伸された鉄道は、三井造船場前駅を出ると、大きく右にカーブして
進路を北に向け、終着駅・玉橋駅(開業すると直ぐに玉駅に駅名変更)
に向かっていた。当時の駅は、現在両備バス・玉橋のバス停があり、玉
商店街のイベント広場に成っている場所にあったらしい。



 二度目は玉駅(計画時は玉橋駅)から更に先の玉遊園地前駅の区間で、
これはさらに先まで延伸する計画の布石だったと思われる。
 新たな終点までは、軌道を敷く場所がなかったのか、白砂川に沿って、
川の中に橋脚を設けてその上を列車が走ることに成った。
現在市営の駐車場になっている場所である。



 玉橋駅の右側には、玉商店街が延びている。
造船業が活気を呈していた時代は大いに賑わったらしいが、昭和50年
代以降の造船不況をまともに受けて、未だにそこから抜け出せなかっ
たのか、シャッター商店街と化している。



 アーケードには、「歓迎 海上自衛隊」とかかれた看板も掲げられて
いて、三井造船場では自衛艦を製造し、メンテナンス等で海上自衛隊
との交流があり、繁盛した時期もあったことを覗わせている。



 商店街のアーケードは、開閉式であったようだ。
今では開け放たれた通りの上に、山形の錆びた鉄骨が立ち並び、中央に
下げられたランプ型の街灯が、見事な造形美をみせており、レトロ感が
溢れている。皮肉なもので、近頃ではその寂れたレトロ感が「映える」
と言われ、人気だそうだ。(続)





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