酒タバコ肥満撲滅委員会

市民マラソンを楽しみながら、酒とタバコと肥満は嫌いだ、と呟く日常をうだうだと。

市民マラソン大会の出場資格について

2009-04-26 11:24:21 | マラソンあれこれ
あまり固いことは言いたくないけど、誰でも出られるのが市民マラソンとはいえ、節度というものがあるはずです。
定員制ではない大会(応募者が全員出場できる大会)なら誰が応募してもいいでしょう。
しかし、長野マラソンや東京マラソンのような「定員制で定員をオーバーする人気のある大会」では、少なくとも制限時間内に完走できるだけの練習を積むべきではないでしょうか。

結果的に完走できなかったとしても責めるつもりはありません。
マラソンだから色々あって当然です。
色々な都合で練習が足りなかったり、練習したけど故障などで完走できないのは仕方のないことです。
生活の中でマラソンより優先するべき事はたくさんあるからです。

でも、少なくとも制限時間内にゴールできるような努力(練習)をすることは、私は
「定員制で人気があって、出たくても出られない人がいる大会」
に応募した人間の義務だと思っています。

大会では全力で走れ、と言っている訳ではありません。
大会を楽しんで走るのはその人の権利ですから、仮装したり景色を楽しみながら走ったりする権利を侵害する気はありません。

でも、最低限完走できるだけの事前の努力(練習)をして欲しい。
それが、その大会に出たくても出られなかったランナー達の気持ちに応えることではないでしょうか。

どの大会でも出場資格に「制限時間内で完走できること」というような意味の文言が書かれています。
厳しい言い方ですが、最初から制限時間内に完走できる見込みのない人は参加する資格がないと言われても反論できないはずです。

市民マラソンに何を求めるかは人それぞれです。
スタートラインに立っただけで満足する人もいるでしょう。
しかし、オリンピックが「参加することに意義がある」と言われるのは、勝利至上主義はよろしくない、ということの他に、そもそもオリンピック出場資格の取得が大きなハードルだからではないでしょうか。
オリンピックのスタートラインに立てる人は、もうその時点で尊敬に値するだけの努力や才能があると言っていいはずです。

お金さえ払えば誰でも出られるのが市民マラソンの大きな魅力です。
だからこそ、「市民マラソンは参加することには大きな意義はない」と思うのです。
ゴール目指して努力することが尊いのであって、スタートラインに立つ勇気が褒められるのは最初の一回だけだと思うのです。
初参加の時は、全く努力をせずに参加しても責められないでしょう。
むしろ、そうした人にも門戸を広げるのが市民マラソンの意義の一つでもあると思います。
しかし、二回目からは別だと思います。

マラソン大会を競技会として捉えて必死に走る人もいれば、お祭りだと感じる人もいます。
ウルトラマラソンの練習代わりにしている人もいます。
どんな楽しみ方でも良いと思います。
楽しみ方に優劣や貴賤はない。
でも、定員オーバーで出られない人がいるような大会で、最初から完走できる見込みのない人がエントリーするのは、どこか違うと思いませんか?。

厳しすぎるかなぁ。
コメント
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