スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

梵字の世界へ・・・

2007-03-24 20:08:32 | 出来事
長谷寺・彼岸講世話人メンバーとなり、「梵字」に興味を持つことになった。
チョットだけお寺に関わることになり、当たり前といえば当たり前なのだが・・・。
年を重ね生臭さが少し抜けてくると、自然と仏門の世界に近づいてくるのかと、自分ながら不思議な気持ちになっている。

もちろん私は「梵字」は書けないし、読むことも出来ない。
もの心つく頃から、この何ともいえない曲線を持つこの文字に興味があった。

お坊さんが筆ですらすらと塔婆などに書かれているのを見たことがある。
墓石や墓標・塔婆などにもこの文字を見ていた。

梵字は、ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字などとは違う。

50音を梵字で表したものをネット検索で見つけた。
良く見るとローマ字表記のような規則性がある。
50音の成り立ちには、梵字の影響があったことを裏付ける。

いろいろな仏さまや、神さまを表現する専用の文字が「梵字」で、古代インド語(梵語)のサンスクリット文字なのだ。
梵字は梵語でシッダンといい、漢字では悉曇と書くのだそうです。
完成とか成就という意味があるという。

梵字の練習は、黒いお盆に白い砂を敷いて、それをヘラで書くことで何度も使えるようにするという。
梵字は仏さまそのものなので、練習用の紙を書き捨てることはしないとか。お坊さんはみんなそうして練習しているのだろうか? 今度、聞いてみよう。

塔婆などに記されている梵字は、次のような意味を持っているとか。

    この梵字は「ア」と読み、漢字に当てはめると「地」。色で表せば「黄」。形は「正方形」となるという。

なかなか難しい。でも、インドから伝わり、中国へ。そして日本へ・・・・。文字の変遷を辿ることは面白い。
仏教の世界は面白いが、あまり深追いしたくない。
昨日TVで俳優の「保坂尚希」が、仏門に入ると報じられていた。
私には、その気はまったく無い。

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お彼岸・お稚児さん

2007-03-24 00:57:21 | 出来事
春の彼岸は3月21日の「春分の日」をはさんで前後3日間の7日間である。

既にお知らせしている通り、私は真言宗・長谷寺の彼岸講世話人メンバーの一人として、お彼岸の間(といっても、正味4日間のみ)お手伝いさせて頂いている。

彼岸とは・・・・
三途の川をはさんで、こちらの世界を此岸(しがん)、人間の世界。
向こう側の世界を彼岸(ひがん)、仏様の世界、悟りの世界、という。

また彼岸は、「日願」という説もあるとか。
太陽信仰から、春分と秋分は昼夜の長さが切り替わる節目の重要な日でもあり、日に願うから「日願」になったそうだ。


さて、講のお手伝いであるが「彼岸会」の行事として21日(春分の日)は、「お稚児さん」の行列があり、私はこれに参加したのです。といっても、新米見習いとしては、ただ皆さんの後ろに続いて歩くだけでしたが・・・。

2歳から7歳までの子供達を募り、「お稚児さん」として講が準備した衣装を身にまとい、僧侶、信徒に連れられて本堂まで行列するのである。
「お稚児さん」となることで、観音さまに守って頂き、賢く良い子になるという願いをこめるものらしい。

子供達は、顔に白粉(おしろい)を塗り、ヒタイには小さい黒い点を二つつけ、口紅をつけてキョンシーのような顔に・・・。きらびやかな着物を着て袴をはく。
女の子は、お雛様のような冠をかぶり、男の子はお内裏様のようなエボシをかぶる独特の衣装なのだ。

やはり、小さい子供は、着付けから行列まで長時間にわたるため、途中でむずかり、親達に抱かれての参加も・・・・。
どの子供も、初めての化粧と衣装に、喜びと驚きと退屈を味わったことだろう。
大人になったとき、写真に残る思い出となるだろう。

講として随行する私も、羽織と袴の正装で、足袋・ぞうりを履いて先導役についたのだ。
このような格好は初めてで、稚児達と同じ緊張を味わったのだ。

僧侶、彼岸講、信徒衆、子供、そして子供達の家族約110名ほどの行列である。

本堂に上がった稚児たちは、僧正より頭の上に聖水を頂く「灌頂」(かんじょう)という儀式を受け、無事終了した。


かくいう私も私の兄弟達も、そして二人の子供達もこの「お稚児さん」になり登廊を登ったのである。さて、孫達も来年あたり・・・。


20数年前 「お稚児さん」となった子供達。 

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天王寺公園の散歩② (植物温室の花)

2007-03-22 20:02:18 | 出来事
天王寺公園内に植物温室があり、日頃、ホームセンターでは見られない花に足を止められた。
でも、いくつかの花は、わが家にもあるのだ。


球根ベゴニア (立ち木 ベゴニア) ※ヒキノさんに教えて頂き訂正します。

ネオレゲリア・ファィアーボール(パィナップル科)

ニオイバンマツリ(ナス科)

赤いフサフサの花「オオゴチョウ(マメ科)」

ベニヒモノキ(トウダイグサ科)。15度以上で1年中咲いているとか。

 「コーヒーの木・実」。実物が見られるのだ!

バナナも成っているのだ!

公園の入り口には、花で作ったこんなオブジェも。

公園の向こうには、「通天閣」が見える。

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天王寺公園の散歩① <水彩画展>

2007-03-21 22:32:33 | 出来事
昨日、大阪での用事を済ませたあと、天王寺公園内の「大阪市立美術館」で開催されていた水彩画展に立ち寄り、知り合いの作品を観て来た。

関西水彩画会主催で今年で63回目を迎えたとか。入賞作、応募作の270点余が展示されていた。

どの作品も60号ほどの大きなものばかりで、迫力がある。
「ここは座り心地のよい芝生でした」と作者の心が伺える作品。
「油絵はえのぐを盛り上げることだが、水彩画ははぎとることだ」と、ある専門家がいった絵に表れる言葉が、観る者に迫ってくる。

たまには、こういった絵の世界を楽しむ時間もいいものだ。


270点あまりの作品が・・・。60号もあるとさすがに迫力がある。


大阪市立美術館は、天王寺公園内にある。

絵を満喫したあと、大阪市立美術館の隣にある「慶沢園」にも立ち寄った。 「ケイタクエン」と読むという。

ここは、もと住友家茶臼山本邸内の庭園で、木津いっ斉の設計にて、京都の名庭園師小川治兵衛の手により明治41年に着工、大正7年に完成した。その後、転宅とともに大阪市に寄付され、天王寺公園の一部となったと案内板に記されている。

広大な敷地に、池を中心に配置された「石と植木」が、当時の住友家の栄華を偲ばせている。池のほとりで、スケッチする姿を何人か見かけた。

この庭園内では、ゆったりした時間が過ぎていた。


 「慶沢園」の入り口。



椿やツツジの季節が最高の景観となる「慶沢園」。

(明日は、天王寺公園内の植物温室の中の花たちを紹介します。)

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庭に春が来た! ④(水仙・スノーフレーク)

2007-03-21 07:57:42 | 出来事
<水仙>

庭の隅にひっそり咲いている「水仙」。
基本種だけで30種類もあるとか。わが家のは、背の低い可愛い花だ。本によると「シクラミニウスハートレイ」とか。
花言葉は「私は美しい」。 緑の葉っぱに黄色の取り合わせは綺麗だ!


カメラを地面につけて撮ったので大きく見えるが・・・背丈10cmほど。


<スノーフレーク>

球根は水仙、花は鈴蘭のような花。
3年前までは、本物の鈴蘭が1㎡のスペースに広がっていたが、枯れてしまった。その代わりに植えたのが、この花。
花言葉は「小さな歌」とか。そういえば、可愛い口で歌っているようだ。


背丈は30cm、花径は1cmほど。球根で増えているようだ。

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