スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

野猿・・・人力ロープウェイ

2010-01-31 17:48:12 | 出来事

(先日、歴史の地を訪ねたおりに見かけた珍しい光景やモノを紹介しております。さて・・・今回は・・・)


<人力ロープウェイ・・・野猿>


▲十津川歴史民族資料館に置いてあった実際に使われていた「野猿」です。

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十津川歴史民族資料館に置いてあった「野猿」。渓谷の多い十津川の交通手段として使われていたものです。
川の両岸から川の上に張ったワイヤーロープに屋形(やかた)を吊り下げ、向こう岸に渡りたい人が、一人で乗って自分自身で引き綱を手繰りながら進んでいきます。まるで猿が木をツルにして渡って行く様子に似ていることから、この名前が付いたようです。

渓谷に鉄橋が出来るまでは、村のアチコチの交通手段であったのですが、今は実用のものはなく、観光用のみです。
<十津川村で野猿に乗れるところ>
・ホテル昴(敷地内)
・西川出合(ホテル昴から歩いて行けるところ)
・出合 つるつるの湯(ホテル昴から県道735号線で約15分)

※ 川面を見ながらのスリルと珍しさを満喫してください。




▲今は観光用として活躍しています。




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1500年モノの岩ヒバ>


▲樹齢1500年の岩ヒバです。


東吉野村と宇陀市菟田野区との境にある竜泉寺に立ち寄ったとき、手作りと思われる盆栽鉢に大小の岩ヒバ、別名イワマツが境内一面に置かれていました。

盆栽仕立てで見たり、庭園の石組みの間から覗いている姿を見ることはありますが、こんなにも多くのものを一度に、またこんなに巨大なものを見るのは初めてです。


▲境内には岩ヒバ(岩松)の他に、フウラン(風蘭)もありました。


冬場の葉っぱは、枯れたようになって茶色、グウの手の形です。でも、春になると緑色の葉となり、パアの手の形。今は枯れ山水の世界・・・そのままです。

石付き盆栽に見るイワヒバとウチョウランの組み合わせが綺麗です。
でも、こんなに大きなイワヒバとなると大きな常緑高木との組み合わせでも大丈夫。
このお寺にも黒松や槙柏、楓、欅などとの組み合わせがありました。

それにしても樹齢1500年とは・・・これまた凄いです。


▲境内にはいろんな鉢にイワヒバがありました。この写真の5倍ほどありました。

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十津川・・・御赦免地歌碑

2010-01-30 10:00:29 | 出来事

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(先日、歴史の地を訪ねたおりに見かけた、珍しい光景やモノを紹介しております。さて・・・今回は・・・)


『とんと十津川御赦免どころ 年貢いらずのつくりどり』


昔のお百姓さんは、高い年貢を納めなくてはなりませんでした。米が採れなくても、まして不作であった年でも、年貢として納めなくてはなりません。
でも、ここ十津川郷では、山岳地で水田がなく、米が採れず、アワ・ヒエ・トチの実などを食べるだけの生活で、年貢としての「米」はなし。
取り立てる方も、米がなければ仕方なし・・・・。


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奈良県五條市より大塔村を通り、村境の城門トンネルを抜けるとすぐ右手に十津川村観光案内図とともに建っているのが、この御赦免歌碑。



『とんと十津川御赦免どころ 年貢いらずのつくりどり』


この歌を村人は口ずさんでいたという。

作ったモノは自分のモノ。
年貢はいらないし、作り得く。とは言うものの・・・作りたくても作れない。
辛い、厳しい生活を自嘲気味に表現したものだろうか?

十津川村・村づくり推進課の解説によると・・・・
「伝えるところによると、壬申の乱で十津川郷は大海人皇子の加勢をした。勝利した皇子は後、第40代天武天皇となられたが、このとき戦功を賞して、三光の御旗と、御製『遠津川吉野のくすのいつしかと仕へぞまつる君がはじめに』をたまわり、併せて無年貢地とされた。
以後約1200年の間、即ち明治の地租改正まで十津川郷は御赦免地となった。このことがいつか俚謡となり、現在まで村人にうたいつがれてきた。」

『古代から明治維新まで、極端にいえば十津川郷(村)はだれの領地でもなかった。江戸期、行政上、天領(幕府直轄地)になっていたが、免租地だったということから考えると徳川家の領地とは厳密に言いがたい。領地というのは本来、領主がそこから租税をとりあげる土地ということである。そういう四捨五入の整理の仕方でいえば十津川郷は古来、日本国における所領関係の空白地だったといえるであろう。』
『十津川郷の場合は、外界から軍勢をさしむけるのに天嶮がこれをはばむ上に、たとえ入ったところで租税がとれるわけではなかった。』
 ---(「街道をゆく」司馬遼太郎より)---

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なにびとも寄せ付けない山岳地・・・陸の孤島・・・遠津川、遠つ川、十尾津川とも呼ばれた十津川・・・。凄い、凄いところです。<o:p></o:p>

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マムシにご注意!>

いつか、このトイレにマムシがいたのでしょうね。


▲こんな忠告があっても・・・入るときは入らなければなりません。でも、怖いですねぇ。

猿谷ダムのトンネル手前にあった駐車場トイレ入り口に・・・なんとこの「マムシにご注意ください。」の貼り紙が・・・。
用を足すため、恐る恐る入って、周りを確認し、隅を確認し、天井も確認して・・・こんなところ早く出ないと・・・気が気でなくて、出すもの出して飛び出しました。



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春の気配・・・梅、ほころぶ。

2010-01-29 13:53:26 | 出来事


ここは、西吉野村八ツ川にある銀峯山頂上辺りの梅林。標高614mにある波宝神社に向かう途中で見かけた梅の花です。他の梅は、まだ固い蕾なのですが、この木だけは、チラホラ咲いています。早生の品種なのか・・・ひと足お先の開花です。

外気温は2度ほど。風があるため、体感温度は0度以下。
この場所からは五條市内が眼下に眺められ、周りは梅林ばかりです。
隣町の下市町にある広橋梅林は有名ですが、こちらも負けていないようです。

途中、すれ違った小型四輪の荷台には、梅の枝が積まれていたが・・・あれは、生け花として出荷されるだろうか・・・・。


▲写真の手前には梅林が広がっています。まだ、蕾は固いのですが・・・。遠くには五條市内が見えます。

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五條の椋(ムク)の巨木

2010-01-29 11:41:24 | 奈良県の「巨樹・奇木」シリーズ


奈良県五條市二見2丁目、足立家の屋敷内に、この「椋(ムク)の巨木」があった。

ニレ科ムクノキ属、成長が早く、枝分かれし真っ直ぐ上に伸びる。ケヤキの木に似ているが、樹皮に縦シワがあるから見分けられる。葉っぱの表面がザラザラしている。

この木の実は熟すと黒くなり甘くて美味しいらしい。この実を「椋鳥(ムクドリ)」が好んで食べることから名付けられたとも・・・。

推定樹齢1000年、樹高21m、幹周り8.5mの大木で、国の天然記念物に指定されている。室戸台風や伊勢湾台風で主幹が折れて、半分ほどの高さになっているが、それでも貫禄十分です。

この足立家の先祖は、丹波の国、黒井城主の赤井尚直義の伯父で、1579年明智光秀に攻められこの地に落ち延びたとされるお宅とかで・・・なんとなくこの巨木に相応しい佇まいです。

白壁と土蔵を背景に、ドッシリとした風格で、五條の街を眺めています。


▲ちょっと天候が悪いうえに逆光で・・・・樹皮が綺麗に撮れなかった。
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五條史跡公園の蒸気機関車と幻の陸橋

2010-01-28 14:48:30 | 出来事

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長い間、南河内と南大和において「天誅組」の足跡を追いかけておりましたが、やっと、一段落しました。

訪ねたところは、大阪府富田林市、河内長野市、南河内郡千早赤阪村、奈良県高市郡高取町、五條市、下市町、天川村、十津川村、吉野郡上北山村、川上村、東吉野村など・・・・。

これらの地を訪ね、主題となる写真を撮るのですが、それでもその近くに珍しい光景やモノに出会うこととなり、思わずカメラを向けることとなりました。

その時撮ったいくつかを紹介致します。



<動かぬ蒸気機関車>

まずは、五條史跡公園にある五條代官所長屋門を訪ねた時、門の前に真っ黒な物体があって・・・最初は??・・・よく見るとホンモノの蒸気機関車。
何で、こんなところに置いてあるの?

長屋門を撮るのに邪魔になって・・・なんて、言いません。



8620形 蒸気機関車「金剛・ハロー号」

この機関車の概要が記されていました。
和歌山線で活躍し、雄大な金剛山麓を走り続け、そのたくましい姿と86形の愛称を表すため『金剛・ハロー号』と名づけられたいう。

兵庫県の川崎車両で大正141月に製作、2月から使用開始。製造費は618万円・・・今日の貨幣価値では幾らになるのかなぁ。
ここに到るまでに地球を64.6周走ったことになるそうで、これは多いのか少ないのか・・・?

このスポーク働輪は今でも国鉄のシンボルとして帽章に、また制服の釦に刻まれているそうです。
8620
形の元祖8620号(1号機)は昭和37年10月東京青梅公園に当時のままの姿で保存。ラストナンバーは88651号機であり、この78675号機は616輌目に製造されたものであるという。

蒸気機関車の歴史は、明治5年(1872年)に新橋~横浜間を走ったイギリス製のC150型からはじまり、昭和51年(1976年)までの約100年間、日本全国を走り回った重厚で力強い雄姿が、静かに佇んでおりました。

あの黒い煙をなびかせる姿、車体を包む白い蒸気、ピーッという汽笛の音、石炭を燃やす匂い・・・遠い昔を思い出しました。



▲今にも走り出しそうで・・・。
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<o:p><幻の陸橋></o:p>

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<o:p>同じ五條市の国道24号線をまたぐようにあるのが「五新鉄道跡」。</o:p>

<o:p>大正時代の中頃、五條を起点に十津川沿いに線路を敷き、新宮までの「五新鉄道」の構想が生まれました。</o:p>

<o:p>昭和に入って建設が始まったものの、太平洋戦争をはさみ、戦後も工事は続きましたが、自動車の普及で途中で中止。</o:p>

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<o:p>一部の線路用地は、バス専用道路としてはいるが、このような陸橋が使われずに残っている。この橋の先端は吉野川の手前まで切断している。
確か、大塔村の天辻トンネル自動車道の下にも鉄道トンネルが掘られていたはずだ。
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▲国道24号線を跨いでいる、幻の「五新鉄道」の陸橋。


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