スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

秋色に染まりつつある庭の実たち

2009-08-31 17:36:04 | 出来事

くしくも台風11号が関東方面に向っており、風雨が強まっているとか。
日本全土に吹き荒れた「民主旋風」は、『政権交代』を勝ち取りました。

思っていた以上の民主党の大勝で、新たに誕生した「チルドレン」の働きが期待されるが・・・二の舞にならないよう願うばかりです。

昨晩の選挙報道に見入って、今日は眠い。
台風の影響なのか、今日は涼しい。
庭の花たちも一息ついたようで・・・秋色に染まりつつある実が目に付きます。


▲「ジュズサンゴ」と「ノブドウ」。野葡萄の、この色合いが綺麗です。

▲「ヤブラン」と「コムラサキシキブ」。

▲「ウメモドキ」と「マユミ」。

▲「ハナトウガラシ」と「ヤマボウシ」。

▲「ビナンカズラ」と「ライム」。今年、ライムは、2個しか成らなかった。

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あなたはどの党を? 『ボートマッチ』で調べると・・・。

2009-08-29 18:20:36 | 出来事

明日は、第45回衆院選の投開票。
大阪での期日前投票は、4年前に比べ、1.7倍とか・・・。投票に対する関心が高いという。
いよいよ政権選択をかけた公約対決に審判が下る。

まだどの党を選べばいいのか迷っておられる方のために、『ボートマッチ』なるツールが出ている。
各党のマニュフェストから抽出された項目に答えると、自分の考えに一番近い考えの党が選べるのです。
一度、試して見るのも面白い。
どの党を選ぼうか・・・と悩んでいる人は、是非、どうぞ。

 → 『毎日ボートマッチ(えらぼーと)』 ← あなたが選ぶ党は?

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山野草を求めて・・・・

2009-08-28 18:14:18 | 出来事
昨日、用事で出かけた先から寄り道して、吉野方面に山野草を探しに行きました。

昨年、見つけておいた「ウバユリ」と、野生化した「タカサゴユリ」の自生地を訪ねたのです。

残念なことに、その場所は道路拡張工事のため、ウバユリの跡形がなく・・・。

それでは・・・ということで、近くを探すと・・・ありました。「ウバユリ」と「タカサゴユリ」と「ビナンカズラ」が・・・。

既に、花を摘み取られた跡もあって・・・。また、近くまで道路工事が来ている事もあって・・・保護するつもりで、根っ子から引き抜いて持ち帰り、植え込みました。
真夏に植え替えして、根付くかどうかわかりませんが、何とか生き残ってほしいと思います。
無事、根付いてくれれば、空き地に移植するつもりです。


▲道端に自生していた「タカサゴユリ」です。

▲「ウバユリ」と「タカサゴユリ」を植え込みました。育ってくれればいいのですが・・・。

▲「ビナンカズラ」の蕾もありました。これは、根っ子が付いていましたから・・・根付くと思いますが・・・。
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第48回・桜井市夏季大学へ <下>

2009-08-26 21:16:22 | 出来事


▲『桜井市夏季大学』の会場となった大神神社「大礼記念館」前から大鳥居と二上山を眺める。

一昨日、大神神社・大礼記念館で催された『桜井市夏季大学』を受講してきた続きです。
最後の講師は、西四国考古学研究所代表・清水眞一氏による『三輪山の神々』~三つ鳥居の謎~。

『三輪山の神々』~三つ鳥居の謎~


先生は、4年前まで桜井市に住まわれ桜井市文化財に勤められ、21年間三輪山を仰いでおられたのです。
そんな毎日を過ごす中、「大神神社が本当に日本最古の神社なんだろうか?」と、疑問を抱いておられたそうだ。

はじめに
古いといわれる根拠としては、
1.山そのものが神であり、神殿がなく拝殿のみである。
2.拝殿前の綱掛け鳥居がある。
3.禁足地の存在。
4.三つ鳥居の存在。

<o:p></o:p>

鳥居の形の基は、朝鮮半島に伝わる棒2本のそれぞれの上に鳥が飾ってあるものと思われるとか。これは村の入り口などに見られるという。

三つ鳥居の謂れ
三つ鳥居があるところには、古来より本殿が無く、拝殿より三つ鳥居を通して山を拝む形式で、鳥居が3つくっついた形式だ。
この三つ鳥居は、「三輪神社」と、北側に位置する「檜原神社」にある。


▲大神神社(三輪神社)の三つ鳥居。拝殿と三輪山の間に位置します。

▲大神神社から北1kmにある大神神社の摂社である「桧原神社(ひばらじんじゃ)」も同じ形の「三つ鳥居」があります。ここも三輪山をご神体としているため、本殿はありません。

3人の神さま
鳥居1つが、一人の神の為であれば、三つ鳥居は3人の神さまのためのもの。
三輪の地名も、三つの輪、つまり3つの地域を表わすと思われる。とすると、3つの輪は、三輪・巻向・初瀬山のことではないだろうか?

集落を囲む濠・・・「環濠集落」・・・この濠から「水輪」・・・ミワ、三輪?とも考えたが・・・。
でも、巻向遺跡辺りでは、地形に高低差があるため濠として水を溜める環濠集落は作れなかったと、思われる。

神仙思想の世界
三輪山の西、巻向の地にある「箸墓古墳」は、前方後円墳で、この形は壷の形である。

① 壷形説の根拠
中国の神仙思想に、西は崑崙山(こんろんざん・西王母)、東は蓬莱山(ほうらいざん)もしくは蓬莱島(ほうらいとう・東王父)が住むという信仰がある。
中国・チ南画像石墓に描かれている二人の神像には、それぞれの神とそのお付の者、そして座っている地は、壷形に描かれており、崑崙山には白虎が、蓬莱山には青竜がついている。
白虎は西の方角を指し、青竜は東を指す。東の海の彼方に浮かぶ蓬莱島こそ、わが国である『倭』の国の事と考えたのが三世紀の首長たちではなかったであろうか。

② 3人の神々
古来、三輪山・巻向山・初瀬山は、それぞれ独立した山というよりは、初瀬川より西の山の連なりとして大きく『三輪山』と考えていたと思われる。だからこそ、その西側には大神神社を、東側には長谷寺を配して、信仰の山・聖地とされたものであろう。三人の神々の住むところ、すなわち不老不死の国・蓬莱山なのである。

古墳時代500年間を通して、この蓬莱山区域には1基もの古墳を作らせず、6代に亘る天皇宮殿を営んだ地でもある。

③ 王都建設事業
神仙思想に基づく王都建設事業は次のところにも見られる。
飛鳥時代・・・・ミハ山、甘樫山、岡寺山の間の『飛鳥京』。
白鳳時代・・・・耳成山、畝傍山、天香具山の間の『藤原京』。
次の平城京は、同じく神仙思想にかかわりを持つ『風水思想』に拠って、王都建設の選地がなされており、これ以降の長岡京・平安京もこれに従っている。
しかし、中世以降もこの三山思想は、日本文化の根底に根強く残っている。それは、茶道の「山岳茶碗」、絵画の「富士三岳図」、着物のカスリの模様など・・・に。

<o:p></o:p>

おわりに
日本に神仙思想がもたらされた三世紀の段階で、三輪山山塊は聖地として選ばれ、その膝元に大和政権の王都がいくつも作られた。その中心に大神神社が存在したことは言うまでもなかろう。そう考えると、日本最古の神社と見て、何ら不都合はないと思われる。


<o:p>▲230名が聴講。来年も、参加しょう!
</o:p>

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50ccバイクで本州縦断の旅

2009-08-25 14:26:26 | 出来事

昨日、奈良市に住む甥っ子が、約20日間のバイク旅からの帰途、わが家に立ち寄った。
真っ黒に日焼けして、手の甲はヤケド状態だ。長袖と手袋で覆われない部分が日焼けしているのだ。
リュックを背にした何処の登山者か、はたまた浮浪者か・・・と思うほどの容貌だ。

勤めている会社に1ケ月の休みを貰って、8月4日に自宅を出発。10日目に本州の東側を周ってきて、一端自宅に戻り、その後、昨日まで西側と四国を周り、帰ってきたのだ。
四国・徳島からフェリーに乗り、朝方に和歌山に着き、午前11時頃わが家に到着。
気が緩んだのか、休憩・昼食のあと夕方まで漠睡・・・・。声を掛けて起こしても、返事すれど起きる気配なし。よほど、安心したのだろう。一度に疲れが出て、ダウンしたのだろう。


中古の50ccホンダ・スーパーカブに、寝袋と着替えを積んでの一人旅。
国道1号を東へ進み、1日目は静岡まで行ったとか。
20日間のうち、3日間は友達宅で休養。従って実質17日間で、奈良-静岡-東京-宮城-青森-山形-新潟-岐阜-奈良。一端自宅に戻り、奈良-兵庫-鳥取-島根-山口-広島-愛媛-徳島-和歌山-奈良と廻ったことになる。

全走行距離4,000km。単純計算して1日、平均235km走ったことになる。1日16時間ほどは乗っていたとか・・・。
新潟県村上市から奈良まで18時間ぶっ通しで走ったことが最高の走行距離だとか。
国道中心に走ったそうだが、上り坂になると時速20kmほどになるため、なかなか進まなかったとか。

この期間中は雨天が多く、景色を楽しむどころではなかったようだ。それでも、青森の峠での、綺麗な森と雲海の中の走行、そして、箱根の坂道が印象的だったそうだ。

恐い思い出としては、国道走行中のトラックの追い抜き。身体スレスレのところを追い抜かれヒヤッとすることが何度かあったとか。

楽しい思い出も多かった。奈良ナンバーを見て、こんな遠くまで・・・と驚かれることは頻繁で・・・同じような格好でサイクリングしている人ともメール交換して友達になったとか。
アチコチの「道の駅」で休んでいると、コーヒーなどを奢ってくれる人も多かったとか。

宿は「道の駅」にあるベンチ。東北では、降雪や吹雪のため扉がついていて蚊などが防げる。しかし、西日本では、扉なし。これにはマイッタとか。
風呂は「道の駅」には大抵あって、50円や100円で入れたとか。まあ、その点では清潔なライダーなのだ。
もちろん、公園などで野宿も・・・でも熟睡はできなかったとか。

毎日、同じ姿勢で運転していると、腰・首に痛みを覚え、ダウンしかけたこともあったという。
夜間に走れば暑くはないが、周りの景色が楽しめない。かといって、昼間の長時間走行は、かなり目が疲れる。絶えず景色が後ろに飛ばされるため、車から降りると目がクルクル廻り、ジッと立っていることが出来ないという。身体に違和感を覚えたのもこの頃だったとか。

青森から函館行きのフェリーに乗られず、北海道に渡ることができずにUターンしたそうだが、北海道一周もしたかったという。

人情味があったのは、東北の人達。優しい言葉を掛けてもらったり、差し入れを受けたり・・・とか。その点、西日本では言葉さえ掛けて貰えなかったとか。

全国の主な地に友達が居て、それらを訪ねるのも今回の目的らしい。もちろん、鳥取の祖母に逢いに行くことも・・・。20歳過ぎの若さゆえに出来る冒険だろう。
彼の人懐っこい性格、物怖じしない性格が、一気に本州縦断へと走らせたのだろう。

腰と背中が痛い、ネコ背になったような気もする、という。
一日一日の出来事は、しっかり覚えているという。写真も撮った。でも忘れないうちに、記録しておいたほうがいいよ、というのが精一杯のアドバイス。

なにはともあれ、無事に帰ってくれてホッとするところだが・・・当分は、単車に乗りたくないといっていたが・・・さて、いつまた、スタートするかわからない。
貴重な体験は、彼のこれからの生き方にプラスとなるように祈りたい。
 

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