スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

「故里の梅」の碑  ⑪

2007-09-21 00:40:34 | 魅せられた「書」探訪
お彼岸です。
長谷寺・彼岸講のお世話係として、「彼岸入り」の昨日から26日の「彼岸明け」まで、長谷寺のお手伝いをさせて貰う予定である。

昨日の午前中は、本堂での塔婆の申込み受付と塔婆書きであった。午後からは彼岸中に限り開けている納骨堂の管理・案内である。


この長谷寺の中回廊と上回廊の間にある「蔵王堂」前に、紀貫之の「故里の梅」を示す石碑と案内板がある。

紀貫之が、初瀬詣で久方ぶりに訪れた宿の主人に厭味を云われ、その心変わりを皮肉って詠い、「古今和歌集」、「小倉百人一首」に載っている「故里の梅」である。

『人はいざ 心も知らず故里(ふるさと)は 花ぞ昔の香に匂ひける』
  
また、隣には「一茶」の歌碑もある。

此裡に春をむかへて  『我もけさ清僧の部也 梅の花』

長い回廊を喘ぎながら歩いてきて、上回廊を見上げて息遣いを整えるため、ふと右側を見るとこの碑に出会う。


彼岸講の事務所は山門下の駐車場近くにあり、そこで昼食を摂る為、本堂までの長い回廊の往復は、かなりキツイ。でも、いい運動になる。








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東大寺余話

2007-09-15 22:17:00 | 魅せられた「書」探訪
昨日、東大寺境内にある「榊莫山さん」揮豪の石碑、扁額、そして境内の様子を紹介しましたが、このとき掲載し切れなかった未掲載写真を紹介致します。


東大寺南大門(国宝)。東大寺の正門。天平創建時の門は平安時代に台風で倒れた。現在の門は鎌倉時代に再建されたもの。屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25mもある。大仏殿にふさわしいわが国最大の山門である。


本坊の塀越しに咲く百日紅。その向こうには若草山が見える。


今年生まれた小鹿。あまりの暑さで日陰でひと休み。


二月堂に向かう参道から大仏殿を臨む。


鐘楼 (国宝) 。鎌倉時代の東大寺復興に大きな足跡を残した重源上人を継ぎ、大勧進となった栄西(ようさい)禅師が承元年間(1207~10)に再建したもの。重さ26.3tもある梵鐘は東大寺創建当初のもので、日本三名鐘のひとつに数えられている。


二月堂 (重要文化財) 。二月堂の名は、このお堂で修二会が旧暦の2月に行なわれることからきている。良弁僧正の高弟実忠の草創と伝えられるが、寛文7年(1667)の修二会中に堂内から出火、焼失し、現在の建物はその2年後に再建された。


二月堂から大仏殿を見下ろす。


二月堂に上がる回廊からお堂を臨む。


二月堂に向かう裏参道。練塀(練土と瓦を交互に積み重ねた塀)と石畳は、風情がある。スケッチする人が多いところでもある。


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東大寺・・莫山さんの揮豪を訪ねて ⑩

2007-09-14 16:58:07 | 魅せられた「書」探訪
昨日、莫山さんの揮豪、そして莫山さんが褒めた書・石碑などを求めて奈良・東大寺境内を散策した。南大門-本坊-大仏殿-法華堂-二月堂-中性院と、広い境内を汗をかきながら訪ねた。

平日にも関わらず、観光バスで小学生・中学生の団体が・・・そして海外からの観光客も多い。そして、当然、放し飼いされている「鹿」も多い。

南大門横の駐車場から南大門前に向かう途中にあったのが、まず「世界遺産・東大寺」の石碑。これは莫山さん揮豪によるもの。

「世界遺産・古都奈良の文化財 東大寺」と彫られている。特に「東大寺」の字が良い。

南大門前の手前にあった会津八一の歌碑。

『おほらかに もろて の ゆび を ひらかせて  おほき ほとけ は あまたらしたり』
歌意としては、
「大きくゆったりと両手の指をお開きになって、大仏様はこの宇宙に広く満ち広がっておられる。まるで宇宙そのもののように。」ということらしい。
歌だけを彫り込んだ、スッキリした歌碑だ。


大仏殿の中門・回廊だ。

中門から大仏殿を臨む。夜間はライトアップされる。


二月堂に向かう参道石段にあった土産物店の軒下にあった石碑。誰が書いたのか分からないが、面白い。


二月堂。お水取りの時によく見かける角度である。


二月堂の横にあった莫山さん揮豪の石碑。「二月堂 西国三十三所巡拝道」。


二月堂から境内を見下ろす。大仏殿の屋根を手前に、遠くに生駒・葛城連山が見渡せる。


二月堂のお堂に掛けられていた莫山さんの額。お寺の方に聞くと「百華百香」と書いてあるそうだ。


二月堂と回廊とを挟んで、大仏殿の屋根を写すこの角度が好きなのでつい撮ってしまいました。


二月堂回廊側溝の石組みの隙間に綺麗な苔が・・・。


二月堂回廊の登り口にザクロの実が・・・。かなりの古木でした。


お寺の方に聞くと「チュウセイイン」と読むらしい。これも莫山さんの字だ。この東大寺で一番偉い方のお住まいらしい。


二月堂に登るこの道は裏道であるが、一番風情がある。練塀(練土と瓦を交互に積み重ねた塀)と石畳の参道の右手に、北河原公敬住職が住まわれている「中性院」がある。

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莫山さん揮豪の石碑 ⑨

2007-09-05 11:52:03 | 魅せられた「書」探訪
相変わらず、莫山さんの書を追っかけております。
「石碑を見るだけなんて、ついて行けないわ!」と、カミさんも呆れております。


「山粕問屋屋敷跡」の石碑

昨日、榊莫山さん揮豪の碑を求めて、三重県境近くの宇陀郡曽爾村山粕(やまがす)にある「山粕問屋屋敷跡」の石碑を見に行ってきた。

国道369号線、室生寺に向かう道を左に見て、栂坂峠を過ぎたすぐの分かれ道との正面にこの石碑があった。あの独特な莫山さんの文字が遠くからでも認識出来る。

往時、この曽爾村山粕は、長谷寺~伊勢神宮の「伊勢参り」の本街道であったところで、馬や、篭の手配、 荷物、手紙の配送などを行い、賑やかな宿場が形成されていたところだ。今は、その面影も無い。
問屋屋敷跡として建てられたこの碑は、新国道と旧道の堺にあり、左側は旧道に続いているのだ。

そういえば、莫山さんの住まいは三重県上野市、曽爾村とは直線距離ではそんなに離れていない。親戚があったのかも知れず、頼まれて書かれたのかも知れない。



安倍文殊院の東門に建つ大石碑

もうひとつの石碑は、桜井市安倍文殊院の東門に建つ大石碑。
この石碑の文字も榊莫山さんのものだ。
平成16年9月、「安倍晴明公壱千回大法要」記念として建立されたもので、この石は5mを越す名石「大島石」である。

「三人寄れば文殊の知恵」という言葉で知られる安倍文殊院は、大化元年(645年)に阿倍倉梯麻呂が創建した安倍寺が前身である。
天橋立の切戸文殊、山形県の亀岡文殊と並ぶ日本三文殊の一つ。この中でも安倍文殊院だけが文殊様と直接対面することができる。

快慶作の本尊文殊菩薩騎獅像(重要文化財)は、高さが約7mもあり文殊像の中では日本一の大きさを誇っている。横に従う優填王なども快慶の作で、重要文化財に指定されている。

境内には文殊池に阿倍仲麻呂にちなんだ金閣浮御堂が立ち、精巧に造られた石室をもつ文殊院西古墳(特史)、巨石を積み上げた閼加井古墳(知恵の窟)から「知恵の水」が飛鳥時代から涸れることなく湧き出ている。
私は、この湧き水で書初めをした記憶がある。
また、平安時代の陰陽道の大家として有名な安倍晴明像が安置されている。

知恵にあやかりたいとする「受験祈願者」が後を断たず、地元では「安倍の文殊さん」と親しまれている。



一茶の句 「青梅や 餓鬼大将が 肌ぬいで」 榊莫山さんの揮豪だ。

昨日、紹介した「道明寺」にあった一茶の句碑。ヒキノさんから「莫山さんの書のアップは・・・・」とのことで・・・ありました。あとで使おうと思っていたのですが・・・。
それにしても、味わいのある文字です。見飽きません。

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大阪府・道明寺天満宮を訪ねて ⑧

2007-09-04 21:32:21 | 魅せられた「書」探訪
莫山さんの書かれた石碑を探していたところ、大阪府藤井寺市の道明寺天満宮に「一茶」の句碑があることを知った。
昨日、大阪市内からの帰り道、この天満宮に立ち寄ったところ、いろいろ面白いことに遭遇したのだ。

では、この道明寺天満宮とは一帯どういうところなのか。ちょっと面白そうなので調べてみた。

この天満宮は、もともと菅原道真公のおばに当たる覚寿尼公が住職を務めていたお寺。
明治の神仏分離令により道明寺は天満宮の約50m西に移設。
天満宮の境内にはその名残として、菩提樹の木と参道跡が残されている。
約80種800本が咲く梅の名所として知られているところなのだ。

境内には、やたらと灯篭や石碑が建ち並び、さすが菅原道真公とかかわり深く、現在も学問の神様として地元の人々に親しまれているのだ。

この境内で見かけた興味深い石碑・灯篭・樹木を紹介致します。


筆塚。学問の神様として知られる道真公は、また書聖と称され、書の神としても信仰を集めている。
古くなった筆に感謝し、さらなる書道の上達を祈願する筆まつりも行われている。
毎月25日、骨董市が開催されている。


一茶の句 「青梅や 餓鬼大将が 肌ぬいで」 榊莫山さんの書だ。


「君が代は千代に八千代に さざれ石の巌となりて苔のむすまで」
 国歌に歌われているさざれ石です。 この石は白亜紀後期(約七千年前)の和泉層礫岩なのです。



昭和53年(1978年)に、敷地内の三ツ塚古墳の周濠から大小2基の修羅が出土したのだ。 修羅(しゅら)とは、古墳を造るときに必要な巨大な石を運ぶためのソリなのです。ここは道真公の先祖土師(はじ)氏の領地であり、この修羅を使った土木技術も土師一族のものであったと思われる。でも、これはレプリカなのだ。


境内を探したが見つからず、権宮司に案内して貰った。本堂の東西の軒下にあった。一対の燈篭としては、日本で2番目に古い燈篭といわれている。文禄年間の銘があった。


権宮司の許可を得て、閉館中の天満宮天寿殿の中庭にある天満宮で一番古い燈篭を見せて頂いた。康元2年(1257年)の銘があった。


境内のアチコチに石碑があった。


元慶8(884)年、菅原道真公がこの天満宮に滞在し、五部の大乗経を書写した。その時、その大乗経を埋納する地を示したのが、ここ西の宮。天満宮から西側50mほどのところにある。
ご近所の方に聞きながら、この西の宮を訪ねた。
この地の経塚から生えた木を「もくげんじゅ」と言い、その種子で数珠を作り、念仏を唱えると、極楽往生できるというのが、謡曲「道明寺」に謡われている。
現在、「もくげんじゅ」は大阪府の天然記念物に指定されている。


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