先日、明日香・八釣の蝋梅を撮った後、立ち寄ったのが藤原宮跡。
大極殿跡に立てられた看板には、次のように説明されています。
藤原京は、持統天皇8年(694)から和銅3年(710)まで、持統・文武・元明天皇三代にわたる都でした。藤原宮はその中心部にあり、現在の皇居と国会議事堂、および霞ケ関の官庁街とを一か所に集めたようなところです。大きさはおよそ900メートル四方、まわりを大垣(高い塀)と濠で囲み、各面に三か所ずつ門が開きます。中には、天皇が住む内裏、政治や儀式をおこなう大極殿と朝堂院、そして役所の建物などが建ち並んでいました。
大極殿は、重要な政治や儀式の際に天皇の出御する建物です。赤く塗った柱を礎石の上に建て、屋根を瓦で葺くという、日本では最初の中国風の宮殿建築でした。建物の柱間は正面九間(45メートル)、側面四間(20メートル)、基壇を含めた高さは25メートルをこえ、藤原宮は最大です。現在は基壇の跡だけが残り、「大宮土檀」と呼ばれています。昭和十年(1935)に、日本古文化研究所がこの土檀を発掘調査し、藤原宮解明の端緒となりました。(掲示板より)
内裏を真北にして朝堂院を真南に建てられていたようで、その柱の跡には朱色の円錐柱が立てられています。
畝傍山を真西に、耳成山を北側に、東に香具山と音羽山・多武峰を、南には明日香方面をみることができます。
奈良の平城京と同じように一部の建物でも再建してもらえれば、いいのだが・・・。
なにも遮るものがない宮跡では、吹きすさぶ寒風がひときわ身に沁みます。
▲左奥に耳成山が見えます。案内板があるこのあたりは大極殿跡のようです。
▲その大極殿跡から東側を見れば・・・香具山と音羽山・多武峰が・・・。
▲倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の・・・・。ここから月が出るのを狙ってみたいものだが・・・。
▲西南には畝傍山が・・・朱の円錐柱が建ち並んでいます。これは何の跡なのか・・・。
▲この場所は藤原宮跡から東に1.5kほど離れた桜井市池之内近く。ここからの倉橋山(音羽山)の眺めもいいものです。