いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

悲痛な叫び!菅総理お願いだ早く!早く!辞任してくれぇ~!

2011年04月10日 07時08分54秒 | 兎に角書きたいの!
 今朝はこのタイトルで記述する予定だった。今朝の産経新聞を手に取ると私の思いと同じことが一面に大きな活字でしかも横書きで掲載されている。活字だけを表記してみよう!
 :首相執務室は開かずの間(横文字で拡大文字)
 :「何かあったらお前らのせい」
 :官僚の足遠のく
 :現場見ていないだろう
 :説明に逆ギレ
 :官邸機能せず
 :高飛車、淡白伝わらぬ指示
 :政務三役も「無言」
菅総理曰く、「まあ役人を使えるのは一に亀井さん」二に私、三に仙谷さんだな…」とそして執務室に籠もって一人で新聞や雑誌を読みふけっていたとは(ある官僚が執務室に山積みにされた新聞や雑誌の切抜きを見て)…

 今回は四大災害である。地震・津波・原子力爆発・菅総理の存在!もぐら総理の存在が復旧・復興に障害として立ちはだかっている。今日は記述することなくこの障害の現状は、4月10日付産経新聞を一読して欲しい!何ともやりきれない菅総理の存在である。私思うにこのような時期にとの論調もあるが、このまま菅総理の下で政治を進めたら日本は本当に沈没する。一時的時間のロスはあるが長期的視点に立ったら菅総理には是非辞任していただきたい。それが復興へのスタートである。
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[義援金」と「支援金」

2011年04月08日 07時30分28秒 | 兎に角書きたいの!
 新聞報道によれば、東日本大震災の被害者のために集まった義援金が、総額1,700億円を突破したそうだ。被災地を救おうと集まった善意は寄付先によって、「義援金」と「支援金」の二つに大別されるそうだ。

 「義援金」は、都道府県単位で設置される「義援金配分委員会」を通じ、全額が被災した世帯へ分配される。
 「支援金」は、主にNPOやボランティア団体宛のもの。利用方法は団体によって異なり、寄付金の一部が団体の運営費や経費に回る場合もある。

 義援金を所管する厚生労働省は、現在集まった義援金の配分については「現在調整中」として、具体的な対策を打ち出していないそうだが早急に被災者の手元に渡るよう実施して欲しいと願っていある。
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さくらさくら野やまも里も…

2011年04月07日 09時44分16秒 | 兎に角書きたいの!
 桜もいっきに開花し人それぞれの心を癒しそれぞれの思いに浸る今年の桜である。花といえば桜の花といわれるぐらいに、桜は代表的なものになっている。

 「万葉集」は、4,516首のおよそ三分の一にあたる1,500首ほどの歌に、150種類を越える植物を詠み込んでいる。もっとも多く詠まれたのは「萩」で140首あまり、次いで「梅」が118首、さらに「松」「橘」「葦」「桜」と続いている。詠まれている「桜」は約40首ほどである。梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや(829)と。

 「をとめらが かざしのために 遊士(みやびを)が かづらのためと しきませる 国のはたてに 咲きにける 桜の花の にほいはもあなに(巻8-1429)

「解説」乙女たちが、かざりにするかんざしのために、そして風流を解する男が頭の上にかざすかずらのために、天皇のお治めになるくにの果てまで、今まっさかりに咲いている桜の花の美しさといったら、なんてすばらしいんでしょう。」と日本中、どこへいっても、桜がまっさかりという今日この頃である。ついでに次の歌を噛み締めてみたい。

 「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからなし」(在原業平)
 春は本来のどかなな季節であるが、桜を愛するあまり咲くのを待ち焦がれ、散るのを惜しみ、また雨につけ風につけ、気にかかって落ち着かないという気持ちを反実仮想の機知をきかせて詠んだ歌と言われている。

 「花の雲鐘は上野か浅草か」(松尾芭蕉)
 「散る桜残る桜も散る桜」 (良寛)

 


 
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大銀杏に願掛け!

2011年04月06日 09時01分37秒 | 兎に角書きたいの!
 鎌倉の鶴岡八幡宮境内にある大銀杏が倒壊したのは1年前の3月10日未明だった。それからの大銀杏の状況が気になっていたがようやく家内と鎌倉に訪れ大銀杏を目の当たりにしてきた。

 大銀杏は、倒壊しかろうじて残った根から2メートルほどの新芽が無数に活き良いよく成長していた。そして倒壊した幹の根元部分約4メートルも、残った根元のすぐ近くに移植されており、そこにも新しい枝が伸びていたが未だ観察が必要とのことである。

 大銀杏には鎌倉幕府3代将軍、源実朝(1192~1219年)暗殺するため、甥の公暁が潜んでいたとの言い伝えが残っている。この歴史的大銀杏の再生が図られるようとしている逞しい生命力に地震、津波に襲われた地域の人たちの復旧、復興を願って手を合わせてきた。
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こだまでしょうか

2011年04月05日 07時56分43秒 | 兎に角書きたいの!
 「遊ぼう」っていうと
 「遊ぼう」っていう。

 「馬鹿」っていうと
 「馬鹿」っていう。

 「もう遊ばない」っていうと
 「遊ばない」っていう。

 そうして、あとで
 さみしくなって、

 「ごめんね」っていうと
 「ごめんね」っていう。

 こだまでしょうか、
 いいえ、誰でも。  詩人金子みすヾ作

   みすヾさんに魅せられて  石井ふく子演出家・TVプロデューサー
 ある日、テレビトーク番組に出演して、金子みすヾと云う詩人の生涯をとり上げたのが、みすヾさんとの初めての出合いでした。
 みすヾ作品とその人となりを知ってドラマ化したいと思い始め資料を集めていると、みしゞさんと私の母が同じ年、お嬢さんのふさえさんと私が同じ年に誕生していることでした。不思議なめぐりあわせというのでしょうか?二人ともひとりっ子で、子供のろ「ふうちゃん」呼ばれて、滅多にない偶然が重なっていました。そして念願叶って、ドラマ化が決定し、みすゞさんと出会って9年がかりの夢が実現したのです。2001年TBS50周年記念ドラマ「明るいほうへ明るいほうへ」が松たか子さん主演で放送されました。。みすゞさんに魅了された私は、オナジ年東京芸術座で母から見たみすゞ「空のかあさま」を上演することが出来思いがけないすてきな、嬉しい出合いです。

 大超地震、津波でCM放送を自粛しTV放映は、上記の詩を流しお馴染みとなった金子みすゞの「こだまでしょうか」の思いを石井ふく子女史がみすゞ没後80年展にて寄せた文章である。

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市民派政治家

2011年04月03日 22時29分37秒 | 兎に角書きたいの!
 政治家には謙虚さが必要な一方、首相には揺るぎない自信と決然たる態度、勇気、的確な判断も必要だ。内外の情勢を顧み、「この難局を乗り切れるのは自分以外にいない」という不屈の精神が求められる。…「市民派政治家」たる菅直人首相には感じられない。…市民派政治家は、政党政治家の対極にある。信念や一貫性よりも、短期的で新鮮な反応を求められる。菅首相は幾度と訪れた危機を「長期的視点」で乗り越えることをせず、局所的反応で支持率を落としてきた。…
 この記事は震災発生一ヶ月前の2月11日付産経新聞に掲載された中曽根康弘元首相の寄稿文である。

 3月12日付新聞 首相も外国人献金104万円
 3月14日    首相は地震発生以来、一度も記者団ととの質疑を行わず、テレビカメラの前で一方的な発信を繰り返すばかり
 3月17日    首相は「全身全霊、命がけで取り組む」と発言
 3月22日    「停電対応を自画、自賛」
 3月30日    勉強だけして引きこっている首相は、必要ない!

 菅首相に毅然たる姿勢を求めてもこの人の性格なれば残念ながら無いものねだりだが何とかして欲しい!
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4月の指針

2011年04月01日 07時09分51秒 | 心に留めた言葉
 思い通りにしたいという心が不満の大きな原因である

「解説」 「何もかもすべてのことが自分の思い通りになったら、人生はどんなに素晴らしいだろう」と空想することは、誰にでも一度はあると思う。ところが現実はそう甘くはなく、むしろ思い通りにいかないことのほうがはるかに多い。よく考えてみれば、人間は自然に生かされ、世の中の一員として生活しているのだから、自分中心に世の中が回ってくれるはずがない。

 しかし、私たちはともすると、この事を忘れ、何事もつい自分中心に考え、自分の思い通りにしたい、させたいという欲望を持ち、それがうまくいかない場合には、勝手に不満を募らせていくことさえある。

 目の前の不満の原因は決して他にあるのではなく、結局「思い通りにしたいという自分の我が儘」にあることに気付くことである。不満の多い生活に埋もれてしまうことなく、おおらかな気持ちになって、充実した日々を生きることである。
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