いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

「店」は「見せる」市の音・街のさざめき

2011年04月27日 09時45分48秒 | 兎に角書きたいの!
 濱谷浩写真作品展が日本カメラ博物館(千代田区一番町・地下鉄半蔵門駅4番出口)の隣にあるJCII フオットサロン(館長・森山真弓元法務大臣)で4月26日~5月29日の間開催されている。1930年代・東京の様々な風景である。「浅草・歳の市」「世田谷・ボロ市」「葛飾八幡宮・農具市」「辻売りと看板」のテーマ情景が写しだされている。私が気を引かれたのは「辻売りと看板」風景である。

「卯月焼印店の街頭販売」「新聞の立ち売り・新橋駅付近」「掃除道具売り・銀座7丁目」「太鼓つき手押し車の飴売り」「棒手振りの川魚売り・浅草六区」「野菜の担ぎ売り」「はんぺん売り」「豆腐屋・大森新井宿6丁目」「飴細工屋」「風鈴屋・浅草」「化学応用の夏帽子洗濯屋・銀座5丁目」「ブリキ直し屋・銀座6丁目」「コウモリ傘直し・東京」「羅字屋のキセル」「万年室売り・浅草境内」「かづさや半ゑり前かけ店岡田」「みす常酒店」「幽石堂竹腰印房」「旗・幕・服部年国分店」…この当時は帽子を着用しそれぞれの衣装に特徴があり姿勢がいい!

 八百屋が店先でスイカやキュウリを売るのは、商売であり宣伝でもあるそうだ。そして「店」は「見せる」という言葉から展開したものだ。と渋沢敬三は「日本広告史小考」に書いている。頭の上に薪などをのせて売る大原女や魚など天秤棒を担いだ「ぼてふり」は、風体や衣装をみせるだけでなく呼び声を出して売り歩いた。これも宣伝である。騒しい場所で売る時や遠くまで知らせるために、飴、うどん、おでん、豆腐、夜鳴き蕎麦屋などは、よく音の通る太鼓を叩き、鐘、ラッパやチャルメラなどを吹いた。…

 しばし静寂の中で親の時代の生活風景を思い偲んだ。あるものは自分も見たりして体験している風景である。濱谷浩氏は「写真は芸術にあらず」に共感し、「時間が過ぎるとともに変貌していく人間や街の様を留め置きたいと願って記録写真を撮り続けた。
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