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穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ギャツビーの「オールド・スポート」

2013-01-23 07:25:05 | 書評
グレート・ギャツビーで頻出する「オールド・スポート」というニックへの呼びかけ、新潮文庫の野崎孝役では「親友」になっている。たしかにこれでは全然感じが出ていない。

ほぼ同年輩の「俗物」の友人という設定が語り手のニックである。彼が闇世界の人間らしいギャツビーに対置されているのがこの小説での仕掛けである。これが成功している。ニックは証券、債券市場を『勉強』して、その世界でやっていこうという俗物である。

しかし、純なところもあり、おなじ米国中西部だっけ、の旧家の出として、同じようなバックグラウンドの超俗物というべきブキャナンという友人よりも上流階級の倫理を体現しているようなところもある。

そして父親の教訓というのが冒頭に出てくるが、これが見事な伏線をなしている。何事も偉ぶらないで相手を思いやるところがあり、それがギャツビーのような『危なっかしい』キャラクターを学生時代からニックに引きつけている。と誠に流れるような設定である。

"Gatsby, who represented everything for which I have an unaffected scorn."

なんてところもある。しかし、ギャツビーの純愛にほだされて情事の仲立ちをしたり、彼が死んだときに誰も弔問にこないので、葬式の手配を自分一人で引き受けたりするところがある。

二人の関係は友情ではない。駄目なヤツ、変なヤツだがどうも気にかかる、放っておけないという関係だ。これはチャンドラーのロング・グッドバイでのマーロウとテリーの関係のようなものだ。これを友情などという安っぽい中学生言葉で呼ぶとたちまち臭気を放ちだす。

でもって、「オールド・スポート」であるが、当時の英国の大学辺りで使われたらしい言葉で、劣等感を隠しながら虚勢をはるギャツビーが使いそうな言葉である。オールド・スポートは年の割には老成したニックをからかう言葉として選ばれたのだろう。

スポートには相手をからかう意味があるらしい。プレーボーイという意味も有る。これは堅物のニックに対する反語ともなる。

このオールド・スポートというのは、そう言う意味では、クリーン・ヒットだ。さて、訳となると村上氏の言うようにむずかしい。

若旦那、変だな、ご老体(同年輩の老成した友人に言うときにはほぼ意味が合致するかもしれない)、旧友(old chap、これはちょっと弱いな)、my friend(野崎訳の親友に近いかな、dear friendか)。

私だったら、ご老体にするかな。

&: もっともギャツビーは仇敵のトム・ブキャナンにもオールド・スポートを使っているから口癖かな。トムの場合は女遊びもするからスポートでも遊び人という含意のほうが強いのかもしれない。