能の作者の誰かだったと思うが、序破急ということを言った。小説の場合にもほとんどの場合当てはまる。しかしカフカの大部分の作品では序がない。破急とくる。小説の場合、最後に序が来るものがあるが、そういう倒叙法もない。だから世の中は理由もなしに不合理なことが起こると解釈するのがおおよそらしいが、これは間違っている。序を読者が考えなければいけない。この辺を解説した評論家は皆無ではないのか。
たとえば、長編小説「審判」は理由も分からずに主人公が審判にかけられる。なんども裁判が開かれるが最後まで、なんで裁判にかけられたか書かれていない。想像力だけは発達している評論家たちは、これはナチなどの来るべき独裁政権を予想したものであるという。糞飯ものである。カフカは善良な公務員であり、反政府的な意図や行動は見られない。
余談であるが、カフカには「判決」という紛らわしい名前のごく短い短編があるが、これには父の非難の根拠が示されている。そうして息子に入水自殺の判決を下す。おそらく序破急の伝統的構成を取ったカフカの唯一の作品ではないか。