Tは平敷から聞いた説明を思い出しながら話した。
「地図を見ると分かるが、テニアン、グアム、サイパンのあるマリアナ諸島と硫黄島のある小笠原諸島さらに伊豆諸島、駿河湾そして富士山を結ぶとほぼ直線が引ける。大体東経140度から145度の範囲に収まっている。つまりテニアンなどを出撃したB-29の大編隊は簡単な目視飛行でまっしぐらに日本列島に直進できる」
「航空士も搭乗していたが、ほとんど何もすることがないわけだ。機長は磁石と海面だけを見ていればいいわけだね」と老人が言葉をはさんだ。
「航空士というのはなんです」
「ナビゲイターですよ。天測によって航路を計算する役目です」
「人間GPSということですか」Tは物珍しそうに聞いた。
「そうね、戦後もジェット旅客機が出現してもしばらくは民間の国際線には必ず航空士がのっていた。そのころは民間航空のコックピットは四人制でね、操縦士(機長)、副操縦士、航空機関士それに航空士が乗り組んでいた。コンピューター機器が発達して、その後衛星を使ったGPSなんかが出来たから航空士はいなくなった」
「航空機関士というのも聞きませんね」
「これも機器のモニターがコンピュターで出来るようになったからいらなくなった」
「いまはたしか機長と副操縦士しか乗務いませんよね」とTは言った。
そうすると、新月でかつ星明りも雲海にさえぎられる闇夜でない限り機長は海面を見ていればまず経路を間違うこともないわけだ、とTは考えた。
「アメリカは主として日本空襲を目的として新型爆撃機B-29の開発を進めてきたが1944年に実戦に投入した。最初は中国奥地の四川省成都から日本の北九州工業地帯を爆撃する予定だったが、これが困難を極めた」と平敷の話を思い出しながらTは説明した。
「爆撃機は欧州、中東を経由してインドからヒマラヤ越えで空輸しなければならない。その途中で何機も墜落したらしい。また、部品や燃料の石油までヒマラヤ越えで運び込まなければならない。膨大な量ですよ。ビルマ(ミャンマー)、当時のインドシナ(カンボジア、ベトナムなど)、タイその他の東南アジアをすべて日本軍が占領していたからヒマラヤ越えしかなかったわけです。また、成都から2,300キロのあたりには日本軍の飛行場があって、成都が爆撃される可能性もある。中国本土の大部分は日本軍が占領していたから出撃したB-29は中国土上空ではやくも日本の戦闘機の迎撃を受けた。また、日本軍は米軍の編隊通過を逐一日本本土に無線で連絡していたから奇襲攻撃は出来ない。そこで目を付けたのがマリアナ諸島ですよ。まったくうまいところに位置していたものです。これらの島を出撃基地として使えなければ戦争はさらに数年続いた可能性がある。だから東条内閣はマリアナ諸島を絶対国防圏と定めたが、1944年6月ー7月の米国とのマリアナ沖海戦では日本軍は壊滅的な敗北を喫した。日本国内では東条内閣への反発がたかまり、東条内閣は崩壊した。東条は衆議院の解散総選挙で乗り切ろうとしたが失敗し、天皇に直訴までしたが指示を得られなかった。天皇は訴えに冷たく(そうか)と答えたという。これで天皇の指示が得られないことを悟った東条は退陣したのであった」