穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

2-0:連続心中魔・太宰治

2018-07-15 08:25:29 | 妊娠五か月

 自殺未遂二回、心中三回(未遂二回、既遂一回)

  これが太宰治の自殺、心中歴である。心中に一回失敗するということはたまには、あるようである。しかし、その場合、二度と試みることはないらしい。再度試みるとしても絶対に失敗しないように行うだろう。しかも心中ごとに相手が違うというのは異常である。同一人物と再度ということはあるかもしれないが。

  彼の場合、狂言あるいは自殺ほう助、殺人の疑いがかけられたこともあるらしい。

  昭和4年のカルモチンによる自殺失敗は、当時左翼運動にかかわっていた嫌疑による逮捕を逃れるための狂言だったという説がある。二回目は首つり自殺というが、あまり失敗したという例はないらしい。

  最初の心中では女は死亡し、太宰は生き残った。警察は自殺ほう助を疑ったらしい。二回目は男女ともに生き残った。三回目は成功したが、捜査をした警察によると最後の段階で太宰にためらいが見られた証拠があるという。

  ちなみに彼を師匠と仰ぐ田中秀光は太宰の墓前で自殺したが一回で成功させている。心中ではなく一人で実行した。

  太宰治の嗜癖をどう解釈するか。一人で死ぬより連れがあったほうがいいということに落ち着くのだろうがその心理は如何。秋葉原大量殺人事件とか土浦事件とかあるが、報道される犯行の動機とかきっかけを読むと、復讐する相手を狙えばいいものを(この言い方に語弊があるが)、どうせならなにも関係のない人間を多数ターゲットにするという人間の原始的心理が垣間見えるような気がする。中東の自爆テロなんかも似ているのではないか。つまり個人(個)より種、種より類のほうがいいというか大きい仕事を達成したというホモサピエンスの原始的な満足心理ではなかろうか。太宰の場合もそれに通底するようだ。一人よりも二人のほうが種概念に近くなる。

  太宰治の創作活動は戦争中極めて多産であって、日本の古い民話に題材をとった健康的な作品が多い。戦時下非常時にあって小説の出版印刷に回される用紙には厳しい統制があったなかで太宰治の次から次への作品発表は異例であった。軍部当局のお眼鏡にかなわなければありえない。

  かれが自殺、心中騒ぎを起こした時期は大戦以前と以後に集中している。帝国の興亡を賭けた戦いでは毎日毎時間、彼我双方で大量の死があった。敵国人の死があり、日本国民の大量の死が毎日あった。そういう強烈な光芒のなかにあっては太宰の死に対する嗜癖は充たされていたのだろう。

  終戦によって世の中の一切のくびきが絶たれ、正反対の「民主国家建設」が叫ばれるようになると太宰の対象は再び個人と小規模な種概念に向かうしかなかったのであろう。彼の関心は無頼な生活と薬物中毒と矮小化された個人的な死に向かったのであろう。

 

 

 

 


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