まったく記憶に残らない小説というのが結構ある。これはその一つだ。最近書店で早川文庫の新刊を目にした。ずいぶん昔にハヤカワのポケミスで出ていたらしいが、書店で見かけることがなかった。
それで英文で読んだことがある(Dain Curse)のだが、このごろドストエフスキーにしろ、何にしろ新訳が出るとセンチメンタル・ジャーニーを決め込むことがあるので購った次第である。
読み始めて驚いた。まったく内容に記憶がないのである。いくら印象の薄かった本でも読んでいくうちに筋など思い出してくるものだが、それが全然。ここまで記憶から消えているケースは珍しい。自分のことをそういうのも何だか妙だがね。読んだことだけは覚えているのである。
大分前に此処でだか、何処でだか書いた記憶があるが、ハメットは作品の出来不出来の差がはなはだしい。また出来不出来とは別に、様々な風味の作品がある。思うに若いころから(それでも30前後からだろうが)、書き始めたので自分で色々なスタイルを実験的に試みたということによるのかもしれない。
この辺が50近くになってから、手すさびに犯罪小説を書き始めたチャンドラーと違うところだ。チャンドラーはいいにしろ、悪いにしろ、スタイルは固まっている。程度の差はあるにしても作品の質は狭い偏差値のなかにおさまり、平均値はかなり高い。
さてデイン家の呪いはオプもの(大探偵社の社員調査員)物語である。ハメットには短編、中編に多くのオプものがあるが、長編では赤い収穫と本作だけである。おなじオプだし、小太りの背の低い中年男だから同一オプのようだが、キャラは赤い収穫とはまったく違う。だからしコンチネンタル・オプ シリーズの一作とは違う。試行錯誤、常に発展途上のハメットには連作はないのかもしれない。
デインはオカルトものというか、ゴシック・ロマンふうというか、そんな味もついている。
最初に読後の印象が残っていないとかいたが、作品の質としては悪い部類に入ることはまちがいない。
登場人物の印象がみな薄い。はやりの言葉でいえばキャラがたっていない、というのかな。
訳者は最後にどんでん返しもあるし、芸のあるようなことをいっているが、切れはまったくない。キレのないどんでん返しなんておよそ意味がなかろう。
説明部分、謎解き部分が不釣り合いに長い。そして退屈そのものである。工夫がない。
ミステリーの書評では読者にタネを明かしてはいけないそうだが、私は業界の人間でもないし、そんなことに制約されない。が、ま、ちょこっと漏らすと種明かしはーー実は「デイン家の呪い」ではなかったーーということである。
これから全編をとおしての犯人は容易に想像がつくだろう。多分三分の一を読んだところで見当をつけなければミステリーの読み手とはいえない。
この本は書評欄には載せられない。あえて星付けをすれば評価は星一つだろうが、星一つのをのせるのもどうかね。というわけで左コラムにはのせない。