
コロナ禍で3年間中止していた町人会の総会・懇親会を今年度は開催することになり、その話し合いである。
会合にいつも利用していた宮崎県ビル(2021年3月記事)が立て替えられることになり、見納めでもあった。
記念に何枚か写真に収めた。
定礎板には竣工昭和45年(1970年)とあり、我々世代には懐かしい当時の県知事名があった。
県関連の事務局や事業所があり、上階は宮崎県出身の学生寮、職員宿舎になっているらしい。

その日、左側の会議室では大宮高校同窓会の方々が利用していた。
我々役員会は少人数で、右側の事務室をお借りした。

2005年9月、郷里の高千穂線が台風14号で甚大な被害を受けた。
高校時代の同級生Mさんから、復興させるべくシンポジウムを実施したいので手伝ってくれと声がかかり、Zさんと私と、高千穂町出身の人らも加わり、夜を徹して準備した。
当日2005年12月4日、会場となった会議室は参加者で溢れ、壁際に立ったままの人たちもいた。
会合で部屋に入るたび、胸の奥に鈍い疼きを感じていた。
今日、ここで「宮崎県ビルお別れ会」が開催されたとのことである。