手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

ロケットOB/現役の仲間たちとの懇親会に出席し、生きて在ることの幸せを実感

2009-11-01 11:16:26 | 仲間・友達
昨日、「ロケットOB及び現役懇談会」が東京のホテルで開かれた。午後1時から4時までの3時間に亘って、開かれた会には、もう40年以上も前から、国産ロケット開発に向けて携わってきた多くの諸先輩などに混じって、私も参加した。
日本のロケットは故 糸川英夫先生が先陣を切って開発に取り組まれ、昭和45年2月11日には、日本初の人工衛星「おおすみ」を実現、その後、開発体制が現在のJAXAに至るまで、幾多の変遷を経て、育ってきた。
私は、昭和37年(1962年)4月から45年(1970年)12月まで、公務員として国立大学付属の研究所(註:当時のこの研究所の建物は、現在解体され、現在は国立新美術館になっている!)に勤務していた折、ロケット打ち上げ時のレーダーやテレメーター絡みの作業に従事してきた。私が研究所にいた頃は、糸川英夫先生をはじめとした大学の先生方が中心になって、ロケット打ち上げを推進していた関係もあって、昨日の会合でも、大学の教職員が大勢出席していた。
昨日のような会合は、今までも、3年おきとか不定期的に行われてきているが、会を重ねるごとに、会員の高齢化で、亡くなる方や病気で療養されるなどで、出席人数が減ってきているのは寂しいかぎりである。
昨日は、約150人くらいが列席した中、私はいろいろな人たちと言葉を交わすことができて、楽しかった。
かつて、郵政省からの諮問を受けて、現在の地上デジタルテレビ移行の推進の答申を行った、というY先生、とか、かつて、南極越冬隊長をされたEさんなどとも言葉を交わした。Eさんとは、かつて4人ほどの仲間と伊香保温泉に一泊旅行して、ホテルで「星影のワルツ」を熱唱したことがあった。彼もそのことをよく憶えていて、近況を聞いたら、今は毎日、朝風呂に入って、体重管理に気を配る一方、4人の孫娘(たしか、4歳の孫娘と2歳の孫娘3人(3つ子ちゃんだそうだ!))と遊ぶのが日課だ、ということをニコニコしながら語ってくれた。
会場では、研究所時代に私を指導してくれた二人の恩師とも親しく話をさせていただけた。最初に指導してくれた、今でも最も尊敬するK先生、それと、その後、指導してくれたH先生だ。H先生は、研究や仕事に非常に厳格・厳密に取組まれる先生で、周囲から恐れられていた方で、私も当時非常に苦手意識を持ちながらも、研究作業に明け暮れたものだった。昨日、先生にご挨拶したら、H先生自ら、手を差し伸べてこられて、堅く握手。そのH先生は終始ニコヤカな顔で、当時の苦労話などを懐かしみつつ、笑いながら語り合うことができた。
また、会場で、私に声をかけてきた人がいたが、お顔を拝見しても、最初どなたか思い出せず、胸の名札を見て思い出せた方にも出逢えた。Nさんとわかった彼とは、昨日がなんと約40年ぶりの再会だった。彼は、研究所時代に私が、よく研究用の部品などを発注していた商社(たしか田丸商会と言った)の社員だった方で、あの当時よりも、ずっと横に太っていて貫禄たっぷりだ。彼は、柏に住んでいて、今は週2回ほどピアノのレッスンに通っていて、時々ピアノ発表会にも出ている、と顔を輝かして話してくれた。
懇親会が済んだあと、私は同じ研究所時代を過ごした友人二人とともに、近くのロッテリアに入って、コーヒーをすすりながら、しばし、いろんな話題に花を咲かせた。その中のひとつとして、私が日頃疑問を感じている問題--円の周の長さは、どうして直径に円周率を掛けたものなのか?--なども含まれている。
以上のように、そんなわけで、昨日の会合では、当時の仲間と久しぶりに再会し、旧交を温めることができて、すごく楽しかった。こういうことも、健康で長生きできているからこそ、であり、生きて在ることの幸せをつくづく実感できた一日であった。


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