手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

昔の流行歌、聴いていると当時にタイムスリップさせてくれる

2008-06-12 16:20:50 | 家族
今日は、食事の後、家を出発するまでの少しの間、横になって、それと、電車に乗ってるい時に、携帯音楽プレーヤーで、昔の流行歌を聴いた。あおい輝彦さんの「あなただけを」とか、浅田美代子さんの「赤い風船」、それに男女カップルのチェリッシュが歌う「てんとう虫のサンバ」などだ。これらは、その歌がヒットしていた頃に私を引き戻してくれて実に懐かしく、当時を思い起こさせてくれる。聞いているときは、何もかも忘れてしまう。
現在でも結婚式のときに多く聞かれる「てんとう虫のサンバ」。チェリッシュが唄っている、この歌を聴いているとリズミカルで実に楽しい。なんだか童話の絵本を眺めているような錯覚に陥ってしまう。それに、チェリッシュの女性歌手のえっちゃんの歯切れのいい歌声にも魅了される。
「赤い風船」は昔、船越英二さんや森光子さん、堺正章さんたちが"時間ですよ"のTV番組で共演していた当時、浅田美代子さんも出演していて、番組の中で歌っていたのを想い出す。少女時代のみずみずしい歌声が実に可愛らしい。
あおい輝彦さんの「あなただけを」の歌が盛んにテレビから流れていた当時は、私の一家4人が川崎市の虹ヶ丘団地に住んでいた頃だった。当時はまだ、幼稚園に入園する前だった娘と、それに私も、テンポのいいこの歌が大好きで、二人で声を合わせて、よく口ずさんだものだった。もちろんドーナツ盤レコードも買ってきて、歌のメロディの調子に合わせて、私は娘と手をとりあって、ルンバを踊ったことも数え切れないくらいある。

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大事件と大地震とは共通?-秋葉原の事件、今の日本では起こるべくして起こったのかも

2008-06-12 10:11:45 | 社会
ほんとうは、もう、悲惨なこの事件については書きたくないところだが、連日のマスコミ報道を見るにつけ、どうしても頭の中を離れない。昨日は、亡くなった被害者の21歳の東京芸大の女性の通夜が行われたようだが、出席した恩師が「私の人生あげたいですよ!」と涙ながらに語っていたが、この気持、私には十二分に分かる。胸が張り裂ける思いだ。
かくも凄惨な犯行をやってのけた犯人は絶対に許せないが、一方で、犯人の両親が報道陣に謝罪していた写真も目にしたが、母親が土下座して詫びているのが写っていて、あまりにも哀れだ。両親や親族の方々の気持を察する時、さぞいたたまれない気持であろう。両親は、我が子を殺人者にするために育てあげてきたわけでは決してないはずである。生まれたばかりの赤ちゃんは、どの子も例外なく可愛くて、善良そのものであり、大きくなって必ず犯人になる、という宿命を持っているはずはないのだ。
この事件では、犯人は事件を起こす前に、携帯電話に、犯行を予告する文章や、フリーターの自分が置かれた勤務先での不満などの書き込みが、行われていたことが、後になってわかった。
両親から、可愛い可愛い、と育てられてきた子供が、何故犯罪を犯すにいたったのかに関して、この際、日本の社会は、十分検証しておくことが重要だ、と思う。「心」を最重要視しなければいけない、とわかっていながら、未だに人間教育・道徳教育に本腰を入れない文部科学省、ネジレ国会で衆議院と参議院との議論が噛み合わず議事が進まない現状、社会保険庁のずさんな保険管理問題、競争社会の中で多くの企業が採用している(いつでも解雇可能な)フリーターの激増、その一方で、相変わらず横行しているお役人の天下り、居酒屋タクシーに見られるお役人たちの税金の遣い込み・・などなど、現在の日本社会には、国民がうんざりする不平・不満で満ち満ちている。
犯人が携帯電話に書いた文章からは、こういったような不平・不満がびっしり溜まっている日本社会の"歪み"がもたらしたのではないか、とも読み取れる。地中深くたまった歪みが、ある限度を超えると、地震が必ず起こるのは、物理学の教える自然現象である。まさに今回の大事件は、不平・不満という歪みが限度を超えた結果として起こった日本社会を揺さ振る大地震なのではないか、と思う。
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秋葉原事件、19歳被害者の父が「なんで死んだんだ、バカヤロウ。守ってやれなくてすまん!」

2008-06-10 11:44:27 | 社会
今朝のテレビ報道では、一昨日秋葉原で起きた無差別殺人事件で殺害された19歳の大学生の父親が「なんで死んだんだ、バカヤロウ。守ってやれなくてすまん!」と心情を語っていた。観ていてやりきれない気持になった。無念さがにじんだこの言葉、実に悲しい。
あまりにもむごい残酷なこの事件は昨日も今日も、どの新聞やテレビでも大々的に取り上げられている。事件の詳細が報道されるにつれ、冷静沈着に実行した犯人の行動が実に残酷きわまりないもので、あまりもの残酷さに言葉を失う。
事件を起こした犯人の背景にあるものについては、いつでも解雇できるようなフリーターの増加など雇用された者にとっては不安定な職業社会になっていること、とか、持てる者/持たざる者との日本社会の格差の拡大、必ず敗者が出る競争社会、官社会に限らず民社会でも横行している欺瞞やインチキ・不正行為等の現状社会の不満など、種々考えられる。恐らく、こういったものの融合が原因の一つになっているのではないか、と思われる。恐らく犯人は、このような環境に不満で犯行を行ったのかもしれないが、でも、だからといって犯行が正当化されるものでは絶対にない。
世の中の大部分の人たちは、現在の悪い環境の中で、大きな不満を持ちつつも、必死に耐えて頑張っているのではないか、と思う。
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秋葉原の無差別殺人事件、背筋も凍りつく!

2008-06-09 16:26:37 | 社会
昨日の日曜日、私は我が家で家内と共に、何気なくつけたテレビで、鎌倉を訪ね歩く旅番組をおもしろ、可笑しく観て楽しんでいた。ところが、番組途中に画面の端に、"秋葉原で傷害事件発生、5人が心肺停止"といったようなテロップが何度となく流されていた。事件が発生してまもない状況らしく、これ以上の詳しい状況はわからないながら、私は、ものすごい事件が発生したな、と、心が痛んだ。
同日、夜になり、この事件で、死者が7人、それに10人ぐらいの人々が負傷したことを知り、事件のすさまじさを思い知った。犯人は25歳の男で、レンタカーのトラックで、歩行者天国の道路にあえて突っ込んで、次々と人々を轢いたそうだ。その上、トラックから降りた犯人が倒れた負傷者に馬乗りになって、ナイフで突き刺していた、と云い、更に、負傷者を介抱する警察官にも切りつけた、という。逮捕された犯人は、「相手は誰でもよかった」と、無差別殺人を明言したそうだが、それにしても実にひどい事件で、背筋が凍る。
死亡した人の中には、19歳の男子学生とか、フルートが得意だという21歳の東京芸大に通う女子学生などもいて、実に可哀想。これから、やりたいことが無限にあるであろう彼らのことを思うとき、実にやり切れない。さぞ、無念であろう。そしてまた、これら死亡した人たちの家族や知人などのことを思うとき、その悲しみや怒りは、いかばかりかは、察するに余りある。想像を絶するものがある。
そう言えば、つい最近も、「相手は誰でもよかった」という無差別殺人が発生していて、非常に恐ろしい世の中になったものだ、と言わざるを得ない。どうして、こんな大それた犯行ができるのか、私には全く理解できない。あの犯人はほんとに人間なのか、って、疑いたい気持ちになる。
今後は、再びこのような犯罪が絶対起こらないようにすることが重要である。その為には、こういうような恐ろしい犯行を平気で正気で行わせるにいたったものは、何なのかを、徹底的に追求・検証することが大切だ。犯人の育った家庭環境のせいにするのだけでは全くの片手落ちだ。人間教育をつかさどる政府機関の文部科学省をはじめ各省庁などは、政府、諸官庁の役人などによる、汚職や乱れた行動を反省して、襟をただして、今後どんな政策/対策を打ち出すべきかを早急に取り組むべきである。
例外なく言えることは、この種の事件は、命の大切さの認識が欠如していることが根本原因になっている、と思う。
なお、大量無差別殺人事件があった昨日6月8日は、なんと、7年前に関西の池田小学校に男が侵入して小学生8人を刺殺した無差別殺人事件と、くしくも同じ日だったそうだ。偶然とはいえ、何かしら妙な因縁みたいな感じがしてならない。
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昨日のサッカーW杯予選、日本側の選手交代遅すぎ!!

2008-06-08 11:04:03 | スポーツ
オマーンの地で、なんと気温36度という酷暑の中でオマーンと争った試合をTV観戦した。観て思ったことは、敵地での審判の判断というのが相当問題があるように思えたこと。そして、もう一つ、日本選手の交代時期があまりにも遅すぎた、という思いだった。家内と応援していた私は、後半に大久保選手がレッドカードで退場になる少し前から、岡田監督は、一刻も早くすぐにも選手を交代させて、控えのエネルギーまんまんの選手に代えるべき、と見守っていた。疲れて脚が止まり気味の相手側に一撃を浴びせる絶好のチャンスだ、との思いがあったからだ。でも、現実に二人の控え交代選手がピッチに立ったのは、なんとロスタイムの頃だった。私はガッカリ。これでは、どうしてもこの試合で勝ちを取ろうとする岡田監督の真意は伝わってこない!!ダメだ、こりゃ!!
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人を騙す・洗脳する情報操作って実に恐ろしい

2008-06-07 12:53:50 | 社会
今朝の読売新聞の6面に小さく、"ブッシュ政権の「情報操作」指摘  上院委報告書"というタイトルの記事が載っていた。米上院情報特別委員会が、ブッシュ政権がイラク開戦前に、旧フセイン政権の脅威について、情報操作を行っていた、とする報告書を発表した、と、いうのである。
私がこの記事に接して思ったことは、新聞やテレビなどから、いろんな情報を得ている私たちに対して、ともすれば、その情報が故意に改変されている場合があることを、よくよく教えている、ということである。かつてナチス・ドイツが独裁者あるいは軍部などの指揮の下、情報宣伝組織に行なわせたもの、とか、日中戦争時には大日本帝国と中国国民党や共産党などが情報戦の一環として行った、等々、これらは例外なく情報操作を意図したものだそうだ。
振り返ってみると、これまでにも、記事や写真/映像などの情報を制限したり、改変するといった数々の情報操作が行われていたことがあったが、近年問題になったテレビのやらせ映像などもその代表例だろう。
情報操作、と言えば、私個人の場合も会社員の当時に苦い体験があった。後になって分かったことだが、当時は気がつかなかった件がある。サラリーマン時代の当時、私と同僚との間を仲たがいさせようとたくらんだ友人がいて、その友人は、私に向かって、"同僚があなたのこと、こんな悪口を言っていたヨ--"と、打ち明け話をしてくれたことがあった。その後、同僚は、と見ていると、なんとなく、それまでの私への態度と違ってきていて、こうしてその後は、同僚と私の中は嫌悪の仲になってしまったことがあった。おそらく友人は、同僚に向かっても、私の悪口を吹聴したのに違いない。
昨今の情報化時代、情報操作は極めて精巧に、緻密に行われている可能性があることをわきまえておくことが大切だと思う。私たちは、情報操作の罠にはまっている場合があることをよくよく注意しなければ、と思う。世界最大の掲示板と言われている2ちゃんねるでは、そこに書かれた誹謗中傷が原因で、自殺者が出るなど、これも情報操作のせいであろう。
死線をさまよう病人に、家族が医者の厳しい宣告を、情報操作して本人に伝えて元気を出させる、など良い意味での情報操作もあるにはある。でも、世の中には、情報操作によって、人を傷つけ、不幸に陥れる、洗脳するなど、とんでもないことが堂々とまかり通っていることをよくよく注意したいものである。
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小さい時は誰もが両親やおじいちゃん・おばあちゃんに大切に育てられてきたはず

2008-06-06 21:36:56 | 
今日の夕方、私は帰宅途中の電車の中で二人の女子高校生を見かけた。彼女たちは、誰が見ても、いかにも一目で高校生とわかる紺色の制服を身につけていて、その清楚な身なりは、感じが良くすがすがしい。その彼女たちを眺めながら私は、今年、小学1年生と幼稚園年少組の孫娘たちも、いずれは彼女たちのような女子高校生になるんだろうな、なんて考えをめぐらせた。そして、その一方で、今、私が孫たちを可愛がっているのと同じように、電車の中の女子高校生たちも、小さい時は、彼女たちの親をはじめ、おじいちゃんやおばあちゃんたちなどから、目の中に入れても痛くないくらいの思いで、だいじに大切に育てられてきたんだろうな、って思ったものだった。
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なかなか頭のハエが追えない!

2008-06-06 16:17:43 | 家族
午前中のこと、仕事の成果をインターネットで送信すべく、パソコンを操作していたときのこと。
2階のベランダに洗濯物を干すために1階から上がってきた母が、私のところに来て、なんと、1カ月も前に起きた、我が家の"事件"のことを蒸し返して発言してきた。"事件"とは、・・
--実は、約1カ月前の夕方のこと。私が、階段下で、そこに一時的に保管しておく飲料水パックなどを整理していたとき、2~3枚のなにやら割り引き券みたいな紙片を発見した。当時、私はメガネをしていなかったので、紙片の内容を確かめなかった。そこへ、家内がちょうど外出先から帰宅したので、紙片を渡したところ、彼女が、紙片は金券だ、という。階段下の保管場所は母も使っているので、私は、母がなんらかの調子でその金券を置き忘れたのでは、と思い、家内に、金券を母に渡してくれるよう依頼した。で、"事件"はここで起こった!。家内が母に金券を渡したとき、母は家内に向かって、「私は、金券を階段のところに置いたためしはない!ちゃんと所定の引き出しにしまってあったはずだ!!」と言った、とのこと。--これには、私も家内もビックリ!。階段下のところで私が発見したいきさつを話しても、母は絶対にそんなことはあり得ない!の、一点張りだった。要は、母は、私か家内のどちらかが、勝手に引き出しを開けて金券を持ち出したのだ、と言うのである。母は、犯人は私か家内だ、と言うのだ。かくて、私たちは押し問答を繰り返したのだったが、母はあくまで自分の主張を変えようとせず結局、こんなときのいつもの口癖:"神様だけが知っているのだから"と言って、ウヤムヤなまま、時間切れとなった。--
さて、今日は、仕事中でもあり、かつて押し問答に終始した事件の蒸し返し発言は、私にとって実に迷惑極まりないことだったが、母は引き下がらず、例によってクドクドとした長い話に付き合わされる羽目になった。そして挙句の果てに母は、犯人は家内だ、と断言したのだった。私はあきれ返った。この母の思い違い、もしかしたら母は認知症になったのかな、なんていう事も考えられるので、この先が心配になった。
恐らく、母は"事件"のことを、離れて暮らす私の弟や妹たちに電話で長々と話していることだろう。ま、それはいいとして、母と別居して暮らしている弟や妹が実にうらやましい!!
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ジグソーパズルを買う、とすれば・・ミレーの名画「落穂拾い」

2008-06-04 11:17:44 | 教育
先日、娘の家族と一緒に、彼らの買物に付き合って、大型電器店に行った時のこと。手持ち無沙汰だったので、アチコチ売り場を見物していたら、ジグソーパズルなども売られていた。壁には、その完成品も飾ってあって、楽しい。その中には、ミレーの描いた「落穂拾い」の絵とか葛飾北斎が描いた「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の絵などもパネルに納まって飾られていた。大きさは、たしか75cm X 50cmぐらいで、こんな絵を部屋のどこかに飾ってみたら、素晴らしいな、と思った。これらは1000ピースから構成されていて、2500円くらいだった。
こういう絵っていうのは、ミレーや葛飾北斎を知らない子供たちにも、きっと有益なものだ、と思った。いづれ、学校で、ミレーや葛飾北斎の絵を習うことになることだし、いいことずくめだ、と思った。
私も、そのうちに、いずれ、この、ミレーの描いた「落穂拾い」の絵のジグソーパズルを買おう、と思っている。
私には実は、この「落穂拾い」の絵には、特別な思い出がある。数年前だったが、東京・渋谷の展覧会場で、この絵の実物を見物したときに、絵に込められた深い意味があるのを知り、私が感銘を受けた作品となったのだ。
絵の中の登場人物として、特に目を引くのは、中央部分に描かれた三人の女性たち、それに、後方、遠くで、小麦の収穫物を荷車に積んでいる男たちで、これらの人々は、小作人、いわゆる「土地を持たぬ人々」だ、ということ。三人の女性たちは小麦の収穫の後、刈り残したり、運ぶ途中に落ちてしまったりした穂を、腰をかがめて拾っている、とのこと。絵をよく見ると、後方に馬にまたがった人が描かれているが、この人は、小作人たちが、収穫物の小麦を持ち逃げしないように、見張っているのだ、という。
ミレーは、ノルマンディーの貧しい農民の子どもだったそうで、落穂拾いに込められた貧しい農民の気持ちを理解していたからこそ、この絵を描いたのではないか、と、いうこと。つまり、「落穂拾い」は豪農と貧農との格差を描き込んでいる作品だ、ということだ。
渋谷で、この「落穂拾い」の絵を見て、絵に込められた深い意味があるのを知った当時、中学校の土曜教室で講師をしていた私は、生徒たちに、その"深い意味あい"をお話したり、もし、時間があったら、渋谷での展覧会を見に行ったら?と、薦めたものだった。
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