今朝のテレビ報道では、一昨日秋葉原で起きた無差別殺人事件で殺害された19歳の大学生の父親が「なんで死んだんだ、バカヤロウ。守ってやれなくてすまん!」と心情を語っていた。観ていてやりきれない気持になった。無念さがにじんだこの言葉、実に悲しい。
あまりにもむごい残酷なこの事件は昨日も今日も、どの新聞やテレビでも大々的に取り上げられている。事件の詳細が報道されるにつれ、冷静沈着に実行した犯人の行動が実に残酷きわまりないもので、あまりもの残酷さに言葉を失う。
事件を起こした犯人の背景にあるものについては、いつでも解雇できるようなフリーターの増加など雇用された者にとっては不安定な職業社会になっていること、とか、持てる者/持たざる者との日本社会の格差の拡大、必ず敗者が出る競争社会、官社会に限らず民社会でも横行している欺瞞やインチキ・不正行為等の現状社会の不満など、種々考えられる。恐らく、こういったものの融合が原因の一つになっているのではないか、と思われる。恐らく犯人は、このような環境に不満で犯行を行ったのかもしれないが、でも、だからといって犯行が正当化されるものでは絶対にない。
世の中の大部分の人たちは、現在の悪い環境の中で、大きな不満を持ちつつも、必死に耐えて頑張っているのではないか、と思う。
あまりにもむごい残酷なこの事件は昨日も今日も、どの新聞やテレビでも大々的に取り上げられている。事件の詳細が報道されるにつれ、冷静沈着に実行した犯人の行動が実に残酷きわまりないもので、あまりもの残酷さに言葉を失う。
事件を起こした犯人の背景にあるものについては、いつでも解雇できるようなフリーターの増加など雇用された者にとっては不安定な職業社会になっていること、とか、持てる者/持たざる者との日本社会の格差の拡大、必ず敗者が出る競争社会、官社会に限らず民社会でも横行している欺瞞やインチキ・不正行為等の現状社会の不満など、種々考えられる。恐らく、こういったものの融合が原因の一つになっているのではないか、と思われる。恐らく犯人は、このような環境に不満で犯行を行ったのかもしれないが、でも、だからといって犯行が正当化されるものでは絶対にない。
世の中の大部分の人たちは、現在の悪い環境の中で、大きな不満を持ちつつも、必死に耐えて頑張っているのではないか、と思う。