手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

夏の日の想い出-ロケット実験にまつわる想い出(2)

2007-08-22 10:02:30 | Weblog
鹿児島県の内之浦町に出張していた当時、決して忘れられない人の中に、白崎孫志さんというおじさんがいる。70歳を過ぎた感じの方だ。甑島(こしきじま)で生まれたという、そのおじさんは、小さな内之浦町では、ほとんどの町民から知られている有名人で、みんなから「マゴじいさん」と呼ばれていた。たしか若い頃、漁師をされていた、と聞いているので、きっと昔は、ツワモノ漁師だったに違いない。
私たちが、出張で中俣旅館に泊まって、みんなが食事してるときなど、きまって私たちの前に姿を現して、だれかれとなくみんなに親しみを込めた眼差しで話しかけてくる。腰が前かがみに曲がりそうながらも、上体をできるだけピンと直立にさせた姿勢で、縁側の庭先に毎朝のようにスッーと現れて、挨拶される姿が今でも目に浮かぶ。子供たちと同じように、このようなおじいさんも好きな私は、すぐにマゴじいさんと親しくなった。
あるときの出張の時など、旅館にいた私に、マゴじいさんがいろんな芸術的な形をした木の根っこを持ってきてくれたことがあった。ロケット実験が無い期間に、私のために、マゴじいさんがロケット実験場近くの山林で、生け花の飾りつけに使えそうな、これらの木の根っこを採集して持ってきてくれたのだった。今でも、我が家にはそれらを保存してあって、それを見るたび、もちろんマゴじいさんのことを想い出す。
それから、もう一つ忘れ得ない想い出がある。私はマゴじいさんから、前もって、ロケット実験に関わる作業が無くて休みになる日に、「漁船に乗ってみないか」と誘われたことがあった。こうして、私は同僚一人を誘って、数人の漁師さんと共に小さな漁船に乗せてもらったのだ。そのとき、漁師さんたちは、焼酎のほかに、醤油や包丁やお皿やなども船に積み込んでくれたのだが、これって、マゴじいさんからの要請でそうしてくれたのは明らかだ。走り出した漁船は内之浦湾のほぼ真ん中あたりに停泊、その船上で、マゴじいさんをはじめ私たちは、その場で獲れた獲物をツマミにして、酒盛りを開いたのだ。獲れたてのイカを漁師さんが手早く料理してくれて、みんなして食べたのだが、そのときのイカの美味しかったこと、生涯決して忘れ得ない。まさに獲れたての新鮮なイカの白さは透明に近く、透き通っていたことが強く印象に残っている。
マゴじいさんは芋焼酎が大好きだ。で、私はあるとき、ロケットの実験期間が終わって東京に帰るとき、マゴじいさんに一升瓶入りの芋焼酎をプレゼントしたこともあった。
でも、その後、どのくらい後だったろうか、半年ぐらい後だったろうか、私が内之浦町に出張したとき、マゴじいさんを見かけなくなっていた。ウソかホントかわからないけれど、聞いたところによると、マゴじいさんが内之浦の町医者にかかっているとき、診察を待つ間に、焼酎を飲みながら、その医者の待合室の窓から転落して亡くなった、という。このことを聞いて、私は心底、寂しくなった。で、それに、もしかして、そのとき飲んでいた焼酎って、私が差し上げたものだったのかな、なんて思ったりして、責任も感じてしまう。

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