手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

まもなく満開の桜、見るのが楽しみ

2008-03-22 14:06:45 | 家族
今日は土曜日。一昨日は仕事の締めの都合で、その夜は、3時間くらいしか睡眠をとってなかったので、昨晩は熟睡し、今朝は目を覚ましたのが午前7時を過ぎていた。寝室の窓には厚手のカーテンが敷かれているとはいえ、その隙間からは強烈な陽の光が射し込み、今日の天気の良さを物語っていた。
と、まもなく、今年4歳になる孫娘が一人で寝室に入ってきて、ニコニコしながら私のフトンにもぐり込んできた。実は、昨晩、娘一家が、わが家に来て泊まっていたのだ。こうして、私は孫娘と二人して、お話したり、「ちびマル子ちゃん」の録画をテレビで観たりして過ごした。
8時頃。既に朝食の準備をしている家内が、寝室の私に、「今朝方、"八三郎さん"が脳梗塞で倒れたらしい」という、ニュースを伝えにきた。今朝がた、私の母のところに八三郎さんの親族からその旨、電話があったらしく、それを母から伝え聞いた家内が、私に知らせたのだ。八三郎さんは、母の妹のご主人で、80歳をとうに過ぎた方で、以前から、脳梗塞気味で病気がちなことは、私も伺っていた。
その後、私は、着替えて、娘一家とともに、みんなで賑やかに朝食。
そして、まもなく、母のところに、今度は、「"八三郎さん"が無くなった」旨の電話が入った。これにはビックリ。母は、急いで八三郎さんが彼の息子夫婦たちと一緒に住む家へと出かけていった。
八三郎さんといえば、かつては、私の父と、しょっちゅう将棋をやっていて、父とは親しい間柄であった。公務員だった昔、母の妹のお婿さんになった方で、謹厳実直な人柄で、温厚そのものの方だった。
春爛漫、まもなく桜が満開を迎えようとするこの時期、アノ世に逝ってしまった八三郎さんは、満開の桜を見ることができず、残念だ、と思っているのではないだろうか。
年にたった一度、それもほんの数日しか見られない満開の桜を堪能できる、というのは、じつに幸福なことだ。そうすることができる、というのも、「この世に健康で在る」から、である。八三郎さんの訃報を知り、私は、ますます、健康で在る、ことの有難さを、しみじみ気付かされた、という思いを感じる。

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