手打ち蕎麦をする私の徒然日記

2003年1月に手打ち蕎麦に初挑戦。手打ち蕎麦の事ばかりでなく、日常インパクトのあった事柄を思ったまま綴ったブログです。

ブルトレの運転手さん、乗務員さんの気持ち

2009-03-14 11:42:59 | 想い出
寝台特急「富士」/「はやぶさ」が昨日で姿を消したことで、東京駅を発着するブルートレインはすべて無くなったが、勿論、今朝の新聞にもこのことが報じられていた。
最終便の乗車券が発売された2月13日には寝台席券320枚が、10秒で完売した、というし、同列車のラストランを見届けようと、昨日の東京駅ホームには約3千人のファンが集まったそうだ。
昨日の午後6時3分、汽笛とともに青い客車がゆっくり動き出すと、ホームには、「ありがとう」「お疲れさま」「さよなら」などという歓声が上がり、拍手で包まれた、という。
こんな記事やニュースに接していると、懐かしい昔が思い出されてきて、ジーンと胸が熱くなり、涙が込み上げてくるのを覚える。中でも、長い間に亘って、同列車にかかわってきた運転手さんや乗務員の方々の気持ちは、いかばかりであろうか。これまでのいろんな想い出や、懐かしさに、おそらく胸がはちきれんばかりの気持ちを抱いていたのではないか、と想像する。
昨晩、多摩川河川敷では、鉄橋を通過する同列車に向かって約100人のファンが「ありがとうブルートレイン」と書かれた長さ約20メートルのボードを掲げ、ペンライトを振って見送ったそうだが、各地で似たような光景を目にしたであろう運転手さんたちには、感慨ひとしおのものがあっただろう。
3/14付 西日本新聞朝刊には、こんな記事が掲載されていた。--熊本発東京行き寝台特急「はやぶさ」の運行最終日となった13日午後5時すぎ、鉄道ファンでにぎわうJR鳥栖駅のホームに、かつて「はやぶさ」の車掌を務めた穴見三人(みつと)さん(81)=鳥栖市古野町=の姿があった。1番ホームに列車が入ると、穴見さんは青い車体をいたわるように、そっと手を触れた。 旧国鉄に入ったのは、終戦間もない1948年。博多車掌区に所属し、83年に定年を迎えるまでの大半を「はやぶさ」とともに過ごした。「はやぶさは私の人生そのものです」。東京から1人で九州旅行に向かう途中、体調を崩した男子高校生を静岡駅で降ろし、東京に戻る手配をした。「感謝されましてね。現在も手紙のやり取りが続いています」と話す。
 退職して26年たつが、自宅近くを走る「はやぶさ」の存在は思い出以上のものがあった。「明日(14日)の下りを最後に見られなくなるのは、何とも寂しい」。走り去る「はやぶさ」の記憶を胸の奥に刻むように、じっと見送っていた。
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