コスモロジー式結婚式

2006年03月26日 | 生きる意味
 教え子の結婚式の司式のため、2日ブログの更新を休みました。

 その代わり、花嫁・花婿はもちろん親族や友人のみなさんにも直接、結婚式、披露宴の2度にわたって、コスモロジー的な結婚の意味についてメッセージを伝えることができました。

 私にとってブログは、メッセージを伝えるための重要な、しかし1つの手段なので、ずっと読んでいてくださる読者のみなさん、ご理解下さい。


 「私は花嫁さんの大学時代の教師ですが、牧師の資格も持っていますので、ぜひ、きみの結婚式の司式をやらせてほしい、とこちらから頼んでやらせてもらいました。

 お教えした宗教学の時間にも話したのですが、もうキリスト教か仏教かイスラームかといったことにこだわっている時代は終わったと思います。

 いちおう式はキリスト教のかたちで行ないますが、そこで使われる「神」という言葉は、神、仏、天地・自然、ご先祖さま、宇宙などどういう言葉でも、ご自分で納得のできる言葉に置き換えてお聞き下さい。

 どういう言葉を使うにせよ、私たちが自分を超えたより大きな何ものかによって生まれ、生かされていることは事実だと思います」と前置きし、

 男と女が出会うことの不思議さ、いのちはコスモスから預けられたものであり、そして有限であること、結婚はコスモスから与えられた、愛し合うという人生最大の喜びを体験するチャンスであること、しかしそのチャンスを活かすには「愛されたかったら、愛しなさい」という精神的な意味での大人の智慧が必要であること、などをお伝えしました。

 花嫁・花婿と同世代の若い方が多いということも、結婚式という特別な場ということもあったのでしょうが、みなさんが熱心に感動をもって聞いてくださったようです。

 そばで聞いていた会場の係りの方が、後で「今日、私は先生のお話をうかがうためにここにいたような気がします」とわざわざご挨拶に来てくださったのも、とてもうれしかったことの1つです。

 コスモロジー的な見方で世界を見ると世界が実に美しく見えます。

 それはもう特定の宗教や思想の枠を超えて、ほとんど誰でも共有できるものである、ということを今回も実感しました。


 誠実な人柄の花婿、初々しい花嫁の姿に、まるで父親のような気分になって、最後のお見送りの時に、彼女には「幸せになるんだよ」と、彼には「幸せにするんだよ」と言うと、彼女はうれしそうにうなづき、彼は即座にしっかりと「必ず幸せにします」と答えてくれました。

 たくさんの人にお説教をさせてもらい、そして祝福をさせてもらって、自分も幸せな気分にさせてもらえる、いい仕事を選んだな、と改めて我ながら喜んだことです。

 彼女らの願いどおり、よく晴れて、桜が開花し始めた、いい日でした。

 うれしさのあまり、披露宴の後、他の教え子たちと飲んでかなり遅くなり、ようやく市谷駅に着くと、昼間はそれほどでもなかった外堀公園の桜がみごとに開いていて、なんとも美しい夜桜の風景でした。

 残った物好きな数人と私たち夫婦は、桜並木の下を飯田橋駅まで歩くことにしました。

 家に帰り着いたのは1時近く、ブログの更新は無し、というわけでした。


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コメント (5)
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