善の心8:軽安(きょうあん)――爽やかに生きる心

2006年03月17日 | メンタル・ヘルス

 重く荒れた不安な心は煩悩であり、軽やかで安らかな心(軽安・きょうあん)が善である、というのはとてもわかりやすい話です。

 そのわかりやすい話が、毎日の自分の心の実情かというと、なかなかそうはいっていませんが。

 しかし、私たちは時々、爽やかな気分になれることがあります。

 個人的な話をすると、爽やかに生きたいというのが私の人生の重要なテーマの一つです。

 (身近な方にはよくお話しているとおり、もう一つ最大のテーマは、人から見てではなく自ら省みて美しい――もっとポップにいえば「かっこいい」――と思えるように生きたいということなのですが)。

 ドロドロして荒んで、重苦しく不安でいっぱいの人生ドラマが好きな――ように見える――方もしばしばおられるので、これは善悪というのではなく、趣味の問題にすぎないようにも思えます。

 しかし、そうなのでしょうか?

 コスモスに創発が起こると、エネルギーの特定部分への偏重・過重が全体へと広がってバランスがとれ、新しい、軽やかで安定した構造・秩序が生まれるようです。

 心についても基本的なかたちは同じなのではないでしょうか。

 軽やかで安らかな心は、コスモスの創発的な秩序の心における現われだと考えられます。

 ですから逆にいえば、どんなささやかに見えることでもいいから、何かコスモスの秩序、というか新しい秩序を生み出すコスモスの創発的な進化に沿った心のあり方や行動をした時、心は爽やかになる、ということだと思われます。

 爽やかに生きたかったら、世界を自分の思いどおりにしようとせず、自分の思いを世界・コスモスの思い・方向性どおりに修正しましょう、と自戒も含めて、私はみなさんによくお話します。

 これは、個人の問題だけでなく、社会全体の問題としてもいえることだと思います。

 みんなが爽やかに安心して生きることのできる世界(「緑の福祉国家」?)を創るには、世界を人間の都合に合わせるのではなく、世界・自然・コスモスの秩序に人間社会のかたちを沿わせることです。

 「軽安」が善であるというのは、単なる趣味の問題ではない、と思います。


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コメント (5)
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