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八識13:意識-マナ識-アーラヤ識

2006年03月08日 | 心の教育

 人間の心の奥底で、アーラヤ識-マナ識の悪循環構造ができあがると、それにコントロールされたかたちで意識と五感が働きはじめます。

 ここからいよいよ、ほんとうにさまざまな煩悩が実際に表面に現われてきます。

 病気に譬えれば発症ですね。

 しかし唯識が公正・妥当にも捉えているのは、意識には煩悩の働きが現われるだけでなく、善の働きも現われるということです。

 マナ識の説明のところでいい忘れましたが、マナ識は確かに4つの根本煩悩に覆われてはいるがそれ自体は善悪どちらでもない、「有覆無記(うぶくむき)」だとされています。

 心の奥には自分へのこだわりはあるのですが、そのことそれ自体が善であるわけでも悪であるわけでもない、というのです。

 したがって意識はマナ識にコントロールされているとはいっても、いつも悪いことばかりするわけではなく、その気になれば善を行なうこともできるのです。

 それどころか人間は、いい人である自分にこわだっているために熱心に善を行なうということさえあります。

 さらに、意識は真理の教え・ダルマに出会えれば、それを理解することもできます(今、ネット学生のみなさんが体験しているとおりです)。

 さらにまた意識は、真理の教えを理解するだけではなく、その理解に基づいて覚りに到るカルマつまり修行をすることもできます。

 縁起の理法や空の教えに出会うことのないまま大人になったふつうの人(凡夫)の意識は、煩悩だらけになってしまいがちですが、幸運にも出会うことができると、理解することも修行することもできます。

 理解するのも修行するのもカルマ・業であり、それは種子となってアーラヤ識に蓄えられていきます。

 覚りの種子は意識からアーラヤ識に蓄えられるプロセスでもマナ識を浄化し、やがて芽を吹いて意識にのぼるプロセスでもマナ識を浄化するのだと考えられます。

 そのことによってアーラヤ識-マナ識の悪循環が徐々に断ち切られていきます。

 意識は覚りのカルマを行なうことができ、アーラヤ識は覚りの種子を蓄えることができる、そこに人間の覚り-救いの確実な基盤がある、といってまちがいありません。


*心の三層構造と煩悩の関係を示した図を入れました。拡大して見てください。浄化も同じ構造で行なわれます。


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コメント (4)
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