前夜、1時ごろ激しい雷雨に見舞われた。
ちょうど、床について間もない時だった。
それ以前から、遠くで雷の音が聞こえ、雨は降っていた。
1時ごろには、雷は、大音響で絶え間なく近くで鳴り響き、落雷の恐怖を感じた。
しかも、雷の音の大きさや持続時間や数量から、相当なエネルギーを持った積乱雲と思った。
雨も非常に激しく、1時間に35ミリほど?(ニュースで聞いた記憶)降ったらしい。
雨漏りの音が各所で聞こえ、いよいよ室内が漏ったらどうするか考えた。
幸い、1時間程度で、激しい雷雨は通り過ぎ、小降りになったので、知らないうちに寝ていた。
朝からプチ断食を実行した。
前夜の雷で寝不足のせいか、それともワクチンの副反応なのかわからないが、終日やたら眠気があり、たまに横になって寝た。
倦怠感はなく、注射個所の痛みも、前日よりさらに軽くなり、夜にはわからなくなった。
午後に、炊飯し冷凍ご飯を16食作った。
夕方6時過ぎに、間食を食べながらTVを見たのちに、ファストフードへ行き読書しノート作成中の本を読み終えた。
この日は、キーボードとマウスとタブレットを持ち込み、最終章のノート政策も行った。
後日この本の、序章からノートを作りたいと思っている。
以前ギリシャ哲学の本を読んで、「パルメニデス」か誰か思い出せえなかったが、その人が、物の存在の「ある」ことと「ない」ことを問い、哲学の元祖ということを書いてあったように記憶していたのだが、それがだれか、様々な古代ギリシャ哲学関係の本を読み直しても、今回の本に出合うまで名前を思い出せなかった。
最初に哲学がここから始まったというのは、彼の書いた物語・詩から始まると書いてあったように記憶する。
しかし今読み終えた本を読んでその問いを発したのは「パルメニデス」と分かった。
改めて以前読んだ本にあたって、パルメニデスが書いた詩を読んでみたい。(多分パルメニデスと彼の詩をもとに、どの本に書いてあったかすぐわかると思う。)
今回本を読了してギリシャ哲学の流れがおおよそ明確につかめた。
この本を読んで、ギリシャ哲学が決して過去の話ではないことも理解できた。
デカルト以来の観念論の流れや、唯物論の流れにもつながるのだ。
しかし観念論を批判した構造主義の源流は、ギリシャ哲学にないことも分かった。
構造主義・記号論のもとになった、言語学や文化人類学・民族学は19世紀20世紀の学問から生まれた思想だ。
近年、民主主義の在り方やプラトンの政治論が話題になったりしている。
この本の発行時期を考えると、この本から提起された古代ギリシャの民主制やプラトンの国家論から、哲人王の考えを含め、現代では絶対と思われてきた民主主義への問いかけが提起され始めたことも理解できるようになった。(古代ギリシャの民主制と、現代の民主制は全く違う。古代ギリシャでは、奴隷がおり女子や市民権を持たない市民は政治に参加できなかった。さらに政治形態は各ポリスで、異なっていた。民主制ではアテネの民主制が有名だが、それも時代とともに僭主制や貴族政治や民主制その他いろいろ変化している。)
しかし、プラトンがソクラテスを神学形成に利用したとこの本の著者は指摘しているが、ソクラテスの指向したものは、逆であったという指摘は衝撃的だ。
著作の無いと言われるソクラテスだけに、一般にプラトンの著作からソクラテスの言説を再現しているが、改めてこの本の著者の説の指摘事項に興味を持った。
ちょうど、床について間もない時だった。
それ以前から、遠くで雷の音が聞こえ、雨は降っていた。
1時ごろには、雷は、大音響で絶え間なく近くで鳴り響き、落雷の恐怖を感じた。
しかも、雷の音の大きさや持続時間や数量から、相当なエネルギーを持った積乱雲と思った。
雨も非常に激しく、1時間に35ミリほど?(ニュースで聞いた記憶)降ったらしい。
雨漏りの音が各所で聞こえ、いよいよ室内が漏ったらどうするか考えた。
幸い、1時間程度で、激しい雷雨は通り過ぎ、小降りになったので、知らないうちに寝ていた。
朝からプチ断食を実行した。
前夜の雷で寝不足のせいか、それともワクチンの副反応なのかわからないが、終日やたら眠気があり、たまに横になって寝た。
倦怠感はなく、注射個所の痛みも、前日よりさらに軽くなり、夜にはわからなくなった。
午後に、炊飯し冷凍ご飯を16食作った。
夕方6時過ぎに、間食を食べながらTVを見たのちに、ファストフードへ行き読書しノート作成中の本を読み終えた。
この日は、キーボードとマウスとタブレットを持ち込み、最終章のノート政策も行った。
後日この本の、序章からノートを作りたいと思っている。
以前ギリシャ哲学の本を読んで、「パルメニデス」か誰か思い出せえなかったが、その人が、物の存在の「ある」ことと「ない」ことを問い、哲学の元祖ということを書いてあったように記憶していたのだが、それがだれか、様々な古代ギリシャ哲学関係の本を読み直しても、今回の本に出合うまで名前を思い出せなかった。
最初に哲学がここから始まったというのは、彼の書いた物語・詩から始まると書いてあったように記憶する。
しかし今読み終えた本を読んでその問いを発したのは「パルメニデス」と分かった。
改めて以前読んだ本にあたって、パルメニデスが書いた詩を読んでみたい。(多分パルメニデスと彼の詩をもとに、どの本に書いてあったかすぐわかると思う。)
今回本を読了してギリシャ哲学の流れがおおよそ明確につかめた。
この本を読んで、ギリシャ哲学が決して過去の話ではないことも理解できた。
デカルト以来の観念論の流れや、唯物論の流れにもつながるのだ。
しかし観念論を批判した構造主義の源流は、ギリシャ哲学にないことも分かった。
構造主義・記号論のもとになった、言語学や文化人類学・民族学は19世紀20世紀の学問から生まれた思想だ。
近年、民主主義の在り方やプラトンの政治論が話題になったりしている。
この本の発行時期を考えると、この本から提起された古代ギリシャの民主制やプラトンの国家論から、哲人王の考えを含め、現代では絶対と思われてきた民主主義への問いかけが提起され始めたことも理解できるようになった。(古代ギリシャの民主制と、現代の民主制は全く違う。古代ギリシャでは、奴隷がおり女子や市民権を持たない市民は政治に参加できなかった。さらに政治形態は各ポリスで、異なっていた。民主制ではアテネの民主制が有名だが、それも時代とともに僭主制や貴族政治や民主制その他いろいろ変化している。)
しかし、プラトンがソクラテスを神学形成に利用したとこの本の著者は指摘しているが、ソクラテスの指向したものは、逆であったという指摘は衝撃的だ。
著作の無いと言われるソクラテスだけに、一般にプラトンの著作からソクラテスの言説を再現しているが、改めてこの本の著者の説の指摘事項に興味を持った。