散歩者goo 

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昨日記20210613 日(深夜激しい雷雨 プチ断食 本読了)

2021年06月15日 20時57分49秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
前夜、1時ごろ激しい雷雨に見舞われた。
ちょうど、床について間もない時だった。
それ以前から、遠くで雷の音が聞こえ、雨は降っていた。
1時ごろには、雷は、大音響で絶え間なく近くで鳴り響き、落雷の恐怖を感じた。
しかも、雷の音の大きさや持続時間や数量から、相当なエネルギーを持った積乱雲と思った。
雨も非常に激しく、1時間に35ミリほど?(ニュースで聞いた記憶)降ったらしい。
雨漏りの音が各所で聞こえ、いよいよ室内が漏ったらどうするか考えた。
幸い、1時間程度で、激しい雷雨は通り過ぎ、小降りになったので、知らないうちに寝ていた。

朝からプチ断食を実行した。
前夜の雷で寝不足のせいか、それともワクチンの副反応なのかわからないが、終日やたら眠気があり、たまに横になって寝た。
倦怠感はなく、注射個所の痛みも、前日よりさらに軽くなり、夜にはわからなくなった。
午後に、炊飯し冷凍ご飯を16食作った。
夕方6時過ぎに、間食を食べながらTVを見たのちに、ファストフードへ行き読書しノート作成中の本を読み終えた。
この日は、キーボードとマウスとタブレットを持ち込み、最終章のノート政策も行った。
後日この本の、序章からノートを作りたいと思っている。
以前ギリシャ哲学の本を読んで、「パルメニデス」か誰か思い出せえなかったが、その人が、物の存在の「ある」ことと「ない」ことを問い、哲学の元祖ということを書いてあったように記憶していたのだが、それがだれか、様々な古代ギリシャ哲学関係の本を読み直しても、今回の本に出合うまで名前を思い出せなかった。
最初に哲学がここから始まったというのは、彼の書いた物語・詩から始まると書いてあったように記憶する。
しかし今読み終えた本を読んでその問いを発したのは「パルメニデス」と分かった。
改めて以前読んだ本にあたって、パルメニデスが書いた詩を読んでみたい。(多分パルメニデスと彼の詩をもとに、どの本に書いてあったかすぐわかると思う。)
今回本を読了してギリシャ哲学の流れがおおよそ明確につかめた。
この本を読んで、ギリシャ哲学が決して過去の話ではないことも理解できた。
デカルト以来の観念論の流れや、唯物論の流れにもつながるのだ。
しかし観念論を批判した構造主義の源流は、ギリシャ哲学にないことも分かった。
構造主義・記号論のもとになった、言語学や文化人類学・民族学は19世紀20世紀の学問から生まれた思想だ。
近年、民主主義の在り方やプラトンの政治論が話題になったりしている。
この本の発行時期を考えると、この本から提起された古代ギリシャの民主制やプラトンの国家論から、哲人王の考えを含め、現代では絶対と思われてきた民主主義への問いかけが提起され始めたことも理解できるようになった。(古代ギリシャの民主制と、現代の民主制は全く違う。古代ギリシャでは、奴隷がおり女子や市民権を持たない市民は政治に参加できなかった。さらに政治形態は各ポリスで、異なっていた。民主制ではアテネの民主制が有名だが、それも時代とともに僭主制や貴族政治や民主制その他いろいろ変化している。)
しかし、プラトンがソクラテスを神学形成に利用したとこの本の著者は指摘しているが、ソクラテスの指向したものは、逆であったという指摘は衝撃的だ。
著作の無いと言われるソクラテスだけに、一般にプラトンの著作からソクラテスの言説を再現しているが、改めてこの本の著者の説の指摘事項に興味を持った。

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昨日記20210612 土(大きい副反応なし Note作成)

2021年06月15日 13時14分44秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
朝から副反応を心配していた。
熱があるのかと心配し体温を測ると36.0℃。
平熱よりわずかに高く、少し動いたり家事や散歩をするだけでもこの体温になるし、たぶん少し重ね着をするだけでも、体温は上昇すると思う。
体温測定後Tシャツ一枚に着替えた。(室温25℃)
多分、ジムでランニングをしているときは38℃以上になっていると想像している。
発熱の副反応はなかったが、接種部位の痛みは明らかにあった。
筋肉痛の痛みとは違うし、軽い痛みで、腕を動かしたり意識しなければ痛みを感じない程度の痛みだ。
接種部分は、周囲と比べ、わずかに赤くなっていた

昼に昨日記を書いてから、昼食をとった。
昼食後、YouTubeを視聴した。
河合隼雄氏と養老孟司氏の講演会を視聴した。
二人とも、TVや本や記事の情報から、日ごろから尊敬していた人である。
それ以外にも、YouTubeには多くの尊敬する知識人の講演会がUPされていて、それ以外にも大学クラスの専門分野の講座があったり、またいわゆるお稽古事や趣味や政治社会問題に関係したものや、音楽番組もあり、そうしたものを無料で視聴できるので、専門分野ごとにフォルダーを作り収納していて、時間のある時に順次視聴する予定である。
そうした講演会を視聴する場合、音声速度を、1.5倍速以上にしている。
TVの録画も、音楽以外は再生速度を上げて視聴する場合が多い。

夕方には、2軒のスーパーに食材を買い出しに行った。

夜になって、洗面器とタオルや石鹼のセットをビニル袋に詰めたものと本とタブレットをリュックに詰め込み、自転車でファストフードに行き、哲学関係の本を読書した。
最近はギリシャ哲学にも関心があって、いくつかそうした関係の本をパラパラ読んでいだ。
今回は、読み進めると面白かったので、ノートを取りながら読もうと考えだした。
以前から気づいていたが、読書の時ノートを取るのと、ノートなしの読書とでは、理解に大きな差があることに気づいていた。
当然、講義や打ち合わせも同様で、メモやノートを取っていないと、重要な点を見逃したり、記憶違いや、早とちりや、混同を引き起こすことが多い。
何より、ノートを読み返すと全体が俯瞰でき、議論の構造や問題点が見えてくる。
速読のトレーニングを積んでいれば、ノートの有無の結果は多少違うかもしれないが。(速読では、各詳細の記憶内容の正確さが試され、早く読めても読み間違いが多ければ、速読ではない。)

ここ1-2週間、ノートを取るための試行錯誤をしていたが、ことごとく失敗した。
そこには、タブレット操作上の問題や、ネット上のリンクや認証や更新問題(一時期、半年や一年に一度しかタブレットを使わないことがあった。)やネットワークの問題や、アプリとしてのNoteの操作方法への理解不足といった多くの問題が、複雑に絡んでいた。
しかし、4-5日前から更新問題も解決し、ノート作成の手がかりを見つけ、少しずつアプリとしてのNoteへの理解が深まり、以前から思い描いていた使い方が実現できるようになりだした。
この日は、読書後、銭湯へ行く予定だったので、それまでタブレット端末プラスキーボードとマウスで使用していたものを、タブレット単体だけでどの程度Noteとして使用できるか、実用性をテストすることにした。
その結果、入力スピードはかなり落ちるが、画面上のキーボードを使用しても問題なく使用できることが分かった。
緊急事態宣言のため、ファストフードの店内営業が終了する8時前に店を出て、銭湯に行き、疲れをいやした。

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