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散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記20220610 金 (生野区見学会)

2022年11月06日 21時01分57秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午後から立憲パートナーズの見学会に参加した。
午後1時過ぎに家を出て、50分前後かけて速足で集合場所の生野区の御幸森神社まで行った。
行くだけで、かなり疲れた。
その後、御幸森神社でお話を聞き、コリアンタウンを歩いた。
最近、スポーツセンター関係の行事で御幸森神社に行ったことがあり、その時コリアンタウンは日曜日のため、若者たちで心斎橋以上に混雑していたが、この日は平日だったため、コリアンタウンの人出は少なかった。
その後桃谷近くにある、在日韓国朝鮮人の支援施設に行き話を聞いた。
今でも、差別問題は深刻らしい。
そうした中、廃校になった学校跡地の利用計画が、地域住民を巻き込んで進んでいて、民族差別のない大規模な交流施設ができるようである。
そうした運動に、以前ボクシング協会の会長をしていて辞任問題でマスコミをにぎわした、食品会社の社長が大活躍したらしく、今でも多くの人が彼のことを尊敬しているらしい。
それ以前に、署名活動で関係していた活動家が、朝鮮学校の優秀さを何度も強調していたが、ここでも同じ話を聞かされた。
朝鮮学校出身者が、東大をはじめとして国公立大学に多くの生徒が合格していて、スポーツ選手にも有名な選手を輩出しているという。
朝鮮関係支援施設で解散になり参加者の有志が、駅近くの喫茶店に集まりお茶を飲み雑談した。
そうした中で見えてきたことがあった。
多くの参加者が、郵政関連労組OBで日教組OBもいたし解同関係者もいた。
立憲の弱点が露呈していると思った。
私も労組の参加に賛同するし、解同や在日や障害者やLGBTQといったマイノリティーの参加も賛同する。
しかし一般市民の参加がないのでは、普遍的政党・市民政党としておかしいのではないだろうか。
喫緊の政治問題や経済問題を議論せず、人権問題・平和問題だけを強調して取り組むなら、到底一般市民の支持は得られないと思う。
平和問題に関してはウクライナや、北朝鮮や中国・ロシアは現実の脅威であり、単なる平和主義や非武装中立が机上の空論であることは、ウクライナや尖閣や北朝鮮の状況を見れば明白だ。
政党である以上、喫緊の課題である統一教会問題や、インフレ・経済問題や格差貧困問題=弱者の救済と経済の活性化や、電気自動車化やエネルギー問題・グリーンエネルギー問題に対する産業構造の転換や人口問題やジェンダーギャップ問題や新型コロナ対策といった喫緊の政治課題を、政党トップから立憲パートナーズのような最末端の下部組織まで意思統一し、組織内で議論することが先決だと思う。
そういう意味では、人権問題学習のみ活動の中心議題に置くのは政治感覚に乏しく、いかがなものかと思うし、そうした組織には一般市民の参加は限定されると思う。

各種差別・人権・貧困問題は、重要な主要手今の一つであるが、大きな政治課題とは別に、常に日常活動の一部に組み入れ、継続的に学習・運動する必要があると思う。(問題自体を知らなければ、問題は解消されない。問題を知ることは学習活動しかない。しかしそうした学習は日々大きな政治問題の片隅で、順次繰り返し学び常識化することが必要と思う。)
私の基本的な考えは上記のとおりであるが、同時に今回の見学会に参加して、民族差別問題の実態や生野区独自の行政と市民と企業を巻き込んだ、大規模な街づくり運動や開発計画を知ることができて非常に有益でよかったと思っている。
見学会終了後、有志達と喫茶店でおしゃべりした後、再び歩いて自宅まで帰った。
足は棒のようになっていた。
帰宅後、疲れをとるためプールに行って軽く泳ぎ、ジャグジーで疲れをとった。
家では夜遅くまで副食製造を行ったが、しんどかった。

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昨日記20220605 日 ~ 20220609 木

2022年11月05日 14時41分01秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
20220605 日
昼前、立憲のライングループのやり取りを読み投稿した。
午後屋根の修理を予定していたが、調べると補修用のシリコン接着剤がなく、予定を取りやめた。
その後は何となくTVを見て過ごした。
夕方から夜にかけて、冷凍ご飯を作ったり、副食製造を行った。

20220606 月 署名運動脱退 スマホでのネットバンキング失敗
この日、カジノの住民投票を求める署名が20万筆を突破したことが明らかになった。
この署名運動に真剣に取り組み、期間中は本当にしんどかった。
電話で連絡を受け、住所を聞き、指定された時間に1筆の署名をもらうため遠くまで自転車で出かけたことは、数え切れない。
むろん、週2回の街頭署名にも参加した。
それ以外に付随して各種打ち合わせも重ねたし、ビラ等の資材の受け取りに本部にも足を運んだ。
4月から5月までの2か月は、日常生活のパターンは崩れた。
この日、私の居住地域で結成した署名の会は署名終了後に解散すると役員同士で申し合わせたのだが、私は、約束通りこの会の役員をやめ脱退することを、ラインで他の2名の共同代表に通知した。
以前にも書いたように、共同代表の間で、この会の民主的運営がなされていないので、少数派の私は連絡係にてっしたが、それでも日々一般の署名希望者からの連絡があり、そのたびに指定された日時に自転車で走り回ったし、他の区まで出かけて、署名ステーションに出席し署名活動もした。
とにかく署名活動期間中は、精神的にも肉体的にもしんどかったし、疲労も蓄積した。

午後に、手持ちのスマホでネットバンキングや、クレジットカードでの手続きを試したが、どちらも失敗した。
どうやら手持ちのスマホが古いことに原因がありそうなことが分かった。
アンドロイドのバージョンが6.0なので古すぎるのだ。
スマホを買い替えるしかないと思った。

20220607 火
午後からジムに行き、コアトレーニング ヒートエクササイズ ストレッチのレッスンを受けた。
夜はファストフードで読書した。

20220608 水
朝から午後にかけて、株関連の作業を行った。
夕方からプールに出かけた。
夜、副食作りを行った。

20220609 木
昼間、株関連の作業を行った。
夕方、ジムに行った。
夜は副食作りを行った。

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昨日記20220601水 ~ 20220604土 (西天満 プチ断食 老化 ブログの交流)

2022年11月05日 13時51分04秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
20220601 水
午前中から午後にかけて、株関連の作業をした。
夕方ジムのレッスン ヒートエクササイズに参加。
足がかなり疲労した。
夜ファストフードで読書。

20220602 木
昼間は株関連作業(銘柄・業務内容・業績・チャート調査研究。資料ポートフォリオ作成 売買・・・)
夕方、昨日記作成投稿

20220603 金
昼からジムに行きフライデートレーニングやストレッチのレッスンを受講しその後プールに行った。
プールの帰りにはスパーに行き、大量の食材を購入した。
夜は遅れている昨日記を書いた。

20220604 土 (西天満 プチ断食 老化 ブログの交流)
2週間に一度のプチ断食の日は、あまり体を動かさないし、ジムやプールにはいかない。
このころ、コロナもずいぶん下火になったので、午後から久しぶりに、西天満に出かけた。
いつも行く、画廊を見て回った後、いつものように天満橋まで歩き、ファストフードで読書し、帰りは淀屋橋まで歩き、メトロで帰宅した。

プチ断食を始めたころは、プチ断食中もその後も空腹感がなかった。
しかし、何度かプチ断食を行うと、次第に断食中の空腹を感じるようになり、今では断食しなくても夕方になると、空腹を感じることもたびたびある。
空腹を感じることは、人体のきわめて正常で自然な生体反応に違いない。
空腹を感じなかったとき(プチ断食開始以前の時期)は、人体の持っているべき自然な生体反応の感度が鈍磨していたと考えられる。

多分こうした生体反応は、人体の生理活動や恒常性に様々な影響を及ぼしているのだろうと考えられる。
例えば細胞レベルでは老輩汚物を分解再処理し、タンパク質を再利用しているといったことが行われているのだろう。
近年の、生化学でそうしたことが徐々に明らかになりつつある。
生体反応を正常に保つことは、当然アンチエイジングや寿命にも関係するのだろう。

私は喜寿を過ぎた後期高齢者だが、同年配の人たちの老化速度の違いが気になることが多い。
老化は、遺伝的要素が強いといわれるが、日常の過ごし方(食事・運動・会話・好奇心―知的能力の活用=読書や議論や対話や芸術鑑賞)で、老化が大きく違ってくると思っている。
近年、老化に関して様々な本が出版されている。
日々の過ごし方で現状の老化をかなり遅らせることができるし、近い将来にはある意味若返りのサプリメントが販売されるともいわれていて、研究レベルでは一部実現しているという。
例えば、すでに老化により発生するしわの改善用の美容クリームは、販売されている。

しかし、サプリ等の使用で肉体的に元気であっても、知的・精神的に老化したのでは、私自身は、我慢できない。
老化し心身の機能が時とともに衰えることは、避けられないしそうした事実は受け入れるしかないが、できるだけ、少なくとも今の心身の機能を劣化させたくないと思っている。
私はホームヘルパー2級の資格を持っているが、その時実習で行った介護施設で認知症の人たちと接した。
介護施設の職員の人がいうには、認知症の人自体は自分が認知症ということを理解しておらず、本人は幸せなんだという。
確かに、その時認知症の人が嘆き悲しみ苦しんでいる人は見なかった。
しかし、認知症の人が一般家庭にいた場合は、家族の反応が反映され、そうしたことを認知症の本人が察知し不安や悲しみの感情を抱くかもしれない。

私のような、独居老人の場合、友人関係も少なく普段深く接する人はほとんどいないので、認知症になった場合でも、私自身はそのことを認識できないまま生活することになるのだろう。
その結果、外部から見て異常な生活環境になった時点で、民生委員や社会福祉協議会に発見され、行政的に見守りや介護の手続きが取られるといった事態は容易に想像できる。
しかし、それ以前に自分の知的楽しみが知的能力の衰えとともに減退し、芸術鑑賞の楽しみや読書や知的活動の楽しみがなくなり、殺風景な精神生活を送ることになるのかもしれない。
しかし認知能力が衰えるとそうしたことも認知できなくなるので、本人にとっては問題のない世界となるのだろう。

プチ断食の話から、余談が広がったが、そのついでにもう一つ無駄話を書く。
この昨日記は、私自身もう一人の私と対話する場でもある。
本来SNSやブログでは、コメントで読者と対話できるようになっていて、FBでは投稿者の唱えた考えを中心に、長文のコメントを何度もやり取りし、議論したことがある。
北山村が運営していた「むらぶろ」ではブログ上でお互いコメントのやり取りを楽しみ、対話もあった。
ブログ上で身の上相談のような話が交わされたこともあった。
「むらぶろ」では、年に一度北山村でオフ会が催され、全国から「むらぶろ」に投稿している人が参加していて、学校の体育館で開かれたオフ会の記事も掲載されていた。
「むらぶろ」では、コメントしなくても、「いいね」の機能があり「いいね」を押すと、「いいね」を押した人のブログとリンクしているので、逆にありがとうといったメッセージを「いいね」した人に返し、交流が生まれていた。
ブログの投稿者の大半は、現実の村長や役所の人も含む北山村の人たちで、そのブログには幼稚園や学校の様子やママ友同士の交流やガソリンスタンドやお店の様子など、日常茶飯のことが投稿されていた。
新宮市や田辺といった近隣の市町村からの投稿も多かったが、九州や北海道からの投稿もあった。
ニックネームを使っているが、地元の北山村民には投稿者は誰かわかっていたようだ。
このサイトでは村営企業?が特産品のジャバラや北山川下りを盛んに宣伝していた。
「むらぶろ」はなくなったが、当時私もたくさん投稿し、多くの人とコメントや「いいね」のやり取りをし、井戸端会議のようなものも拝見させていただき、楽しかった。
SNSの本格利用やブログの使用も、村風呂がきっかけだった。
一般のブログでは、井戸端会議や喫茶店のような軽い交流は、ほとんどないのでさみしい。
このgooブログでは、「いいね」やコメントをもらっても、個人的な返信のしようがない。

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近況報告 20221015 土 健康・運動の現状(追)

2022年10月22日 15時13分11秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
先週、健康診査を受け、その結果が届きました。
コロナの影響で、昨年の健康診査は受けていませんでした。
検査結果は、HDLコレストロールの値が148mg/dlと基準値より9mgオーバーした以外は、すべて正常値でした。
前回までは毎回肝臓の数値が少しオーバーしていて、生活習慣を改善という指示が出ていて、要観察や要受診以下の状態でしたが、今回それもすべて正常値になっていました。
後期高齢者になると、多くの人が慢性疾患を持っており、関節痛や体の痛みを抱える人が多いと聞いていますが、私は幸い運動による過労が原因の筋肉痛や筋膜の固着による一時的な痛みを除くと、身体の痛みもなく、慢性疾患もなく、健康で元気なのでありがたいことだと思っています。

この原因は、ジムやプールでの運動と、計画的な食生活と生活に合わせたサプリメント・補助栄養食品の摂取にあると考えています。
補助栄養食品には、3種類のヨーグルト(それぞれの効能を確かめて摂取している。)も含まれます。
サプリメントに対しても、ジムやプールの定期代に匹敵する金額を使っています。
私の健康に対する基本的な考え方は、病気やフレイル等で活動が不自由になり、そのために、多額の医療費と時間を使うくらいなら、予防にお金を使おうという考えです。
病気や身体の虚弱や身体能力の衰えは、自分の活動範囲を狭くし、活動量も必然的に低下します。
こうしたことは、人生を楽しく過ごすことの逆になります。
月に6-7万円で生活する貧困の独居老人にとって、同じ少ない生活費を使うなら効率的に使いたいと思います。
今のところ私の健康や運動に関する戦略・とQOLは、大成功と思っています。
多分私の肉体年齢は、60歳台と考えて思っています。

以前にも書きましたが、6月ぐらいから、再挑戦していることがありました。
数年前、バタフライの泳法を習得しようと、今通っているプールの水泳教室に何度か参加しましたが、バタフライで15m程度進める程度で、全く未熟な状態であきらめました。
今年のになり再度バタフライに挑戦しようという気になり、6月に1日だけ水泳教室に入りました。
バタフライ習得のつもりで入ったのですが、その練習の中でビート板を使ったバタ足で進みが極端に遅く、受講生から遅くて迷惑だから後ろに回れと言われました。
非常にショックを受け、それ以来プールでバタ足の練習に励むことになりました。(それまでビート板を使ったバタ足の練習は一度もしたことがなかった。)
その後バタ足の進む原理を考え、そのためのコツをつかみ、バタ足で普通に進むようになりました。(それまで足を曲げずまっすぐ伸ばしてバタ足を行っていた。物理的に考えると足を軽く曲げ、足の甲で水を後方にけりだすと推進力が付き、前に進むことが分かり実践すると、考えた通りにうまくいった。)
水泳教室で指導を受けたバタフライ泳法の問題点を参考にし、同時にユーチューブのバタフライの泳法も参考にしながら、独学で練習を重ね、今では25mをバタフライで普通に泳げるようになりました。(まだまだ未熟なフォームやタイミングの取り方です。同時にドルフィンキックのコツも最近つかんみ、それまで水中でドルフィンキックができるようになりました。)
それ以外に苦手にしていた背泳も泳げるようになりました。

プールでのことは以前にも書いて重複していますが、私にとってこの成果は非常に大きな成功体験になりました。
年を取ると、心身共に老化し、意欲も失われ、できるものができなくなるということが多いですが、バタフライの習得は、私にとって、やればできることもあるという大きな自信になりました。
(バタフライは、泳ぎも複雑で、手足のタイミングの取り方や同期が難しく、タイミングがずれるとすぐに沈んでしまう。)

運動に関して筋トレは、コロナ禍のジム閉鎖の影響もあり、コロナ前の数値より1割程度落ちて、以前の状態より筋力は落ちています。
加齢の影響もあるので仕方ないと思っています。
ランニングについては、筋力以上に持久力が低下し、60代後半では、時速9kmで30分間走れていたものが、今では時速8kmでも1分間程度しか走れません。
(現在、持久力を高め、とりあえず時速8kmで5分間走ることを当面の目標にしています。できれば、時速8kmでの走行時間を10分間以上にしたいと思っていますが、いったん大きく落ちた持久力をどれだけ戻せるか、新たな挑戦目標と思っています。)

以前にも書いたかもしれませんが、最近は腰や背中の曲がりが目立つようになり、その矯正に重点を置いています。
姿勢のゆがみを心配してくれる人もいるので、そうした人からのアドバイスももらいながら(話す機会がない)、自分でも考えて姿勢の歪みを直していこうと思っています。
腰や背中の曲がりを直さないと、長時間の走行や歩行に無理が生じます。
現実に数年前から走行時に腰が曲がりだす異常の発生に気づき、ランニングに支障がありました。
その時は、腰の曲がりの原因がわからず対策もなく放置していましたが、実はすでに4-5年前から長時間の歩行は、長時間運動すると腰が曲がるために、困難をきたしていました。
とりあえず、今のところジムで30分間トレッドミルを使って時速6kmで歩いていると、自然に体が曲がるので、それを常に意識して矯正しつつ、姿勢をまっすぐにして歩き続ける運動をしています。
この時、起立筋や腹筋関係のインナーマッスルに大きな負担がかかっていることを意識しています。
こうした筋肉の持久力は、遅筋の運動であり、適正な負荷で数十分単位の長時間の連続した運動を通じて鍛えるしかないと思っています。(5分や10分程度姿勢を保つだけなら、こうした長時間の運動は不要だが、外出すると数十分歩くことは多い。)
ストレッチのレッスンには積極的に参加しています。
腰や背中の歪みは、加齢の影響で、起立筋やインナーマッスルの衰えが原因と考えています。
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雨漏り・深夜の寝床移動 20201010

2022年10月10日 18時52分47秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日近況報告で、雨漏りはほぼなくなったといっていましたが、今日の午前2時ごろに大雨が降り、私の考えが間違っていたことがわかりました。

夜中に激しい雨音で目が覚めました。
天井の4か所以上から雨漏りの音が聞こえました。
中には数秒おきに落ちる雨だれの音もあります。
とりあえずスマホで、雨雲レーダーを確認すると、その時私の住んでいる地域には30-50mmの極めて強い雨雲が通過中でした。
災害級の大雨なら、これだけ雨漏りするのも仕方ないと納得しました。
問題は、そうした雨雲が点々と、私の住んでいる場所に近づいていることでした。
雨漏りは天井と天井の下に張られた化粧板で、室内には雨漏りはしていませんが、この調子では室内への雨漏りも時間の問題です。
今回の雨漏りの位置は寝床から少し離れているようですが、修理前は寝床の真上が雨漏りしていました。
そのため、ここ数週間何度も屋根に上雨漏り個所の修理をした結果、寝床のある3畳の間の雨漏りはなくなりましたが、それ以外のところから雨漏りしているようですが、屋根に上って修理したときに、これから修理が必要と考えている部分あたりが雨漏りしていたようです。
しかし、今後寝床の上も再び雨漏りするかもしれないと考え、寝床を今に移すことにしました。
真夜中の、寝床移動です。マットレスの下の防寒シート・マットレス・布団・毛布・枕を移動させ、6畳の居間の幅1.5mほどの通路スペースに寝床を詰め込みました。(居間の中には南北に箪笥や段ボールや事務机や仏壇や櫓炬燵があり、その間に幅約1.5m幅で、玄関から3畳の間(私の書斎)を通り縁側への通路が通っている。)
9月の時の移動はマットレスもなしで、毛布と枕程度の移動で簡単でしたが、秋冬の寝床の装備になったので、大変な移動でした。
もし室内の雨漏があれば、朝になってからフローリング上の水たまりを処理しようと思っていました。
その後も大雨は続いたようですが、疲れて朝まで寝ていました。
幸い、室内への雨漏りはありませんでした。
朝は、ほぼ定刻どおりに起床し、朝食後長い昼寝を取りました。

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近況報告 20221009 日 

2022年10月09日 21時39分45秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
今年は残暑が厳しく9月末まで30度前後あり、10月3日までTシャツ1枚で過ごしていました。
その後急に気温が下がり、一昨日は最高気温が約17度と冷え込みました。
ここ数日、夜に冷え込んで目覚め、夜中に毛布や布団を出したりしています。
健康や経済状態は、問題ありません。
しかし、生活に影響しないように僅かな余剰資金で運用している株は、ウクライナ戦争に端を発したエネルギーや原材料の高騰で世界的不況への警戒から、株は乱高下し値下がりして、手持ち株も損失を出しました。
手持ち株は、年初から春にかけて一時大損を出し大赤字になりました。
その後の運用で運用益を出して元本は黒字になりましたが、夏から秋の運用の失敗で、また赤字になりました。
株は現物取引のみで、生活資金とは切り離しているので、赤字になっても生活上の経済状況には全く問題ありません。
健康維持のため、できる限りジムやプールに行っています。

プールでは、6月に大人のバタフライ・平泳ぎの初級中級の水泳教室に参加した時の練習で、ボードを使ったバタ足が進まず、受講生から遅いと、順番を最後に回される屈辱を受けました。
クロールでは他の受講生には負けないスピードと泳ぎ方に自信があったので、非常に悔しい思いをしました。
受講生はほとんど65歳以上の男女に見えました。
それ以後、独学でボードを使ったバタ足の練習に励みました。
バタフライも、練習にユーチューブの練習画像を参考に独学で練習しました。
実は、数年前にも何度かバタフライの初級教室に参加していましたが、手足のタイミングがわからず15m泳ぐのがやっとでした。
今回の講習受講時でも、数年前と同じバタフライで15m程度泳ぐのがやっとでした。
その後、ユーチューブ画像と講習会で習ったことを思い出しながら練習を重ね、バタフライも多少フォームに問題あるかもしれないが、25mを普通に泳げるようになりました。
ボードを使ったバタ足も、バタ足の推進原理を考察してコツをつかみ、問題なく普通に泳げるようになりました。

それ以外に、今年の講習受講時に背泳も泳いだのですが、進行方向が決まらず左右に大きくぶつかりながら泳いでいましたが、天井の目標を見ながら泳ぐように修正し、かなりまっすぐ泳げるようになりました。
最近は、プールに行くと、できるだけクロール・背泳・バタフライ・平泳ぎの4種目を泳ぐようにしています。
それ以外に、日本泳法の横泳ぎもできます。(中高生の時に、友人から習いクロールはできなかったが、横泳ぎはできた。50代ぐらいまではクロールは25m泳ぐのが限界だった。その後TVのテキストで当時の最新泳法を習得し、50mプールで1400mまで泳げるようになった。)
5-6年前までは、横泳ぎ、クロール、平泳ぎの3種目しかできなかったので、多少進歩しているようです。

先に述べたように、健康や体力や経済面は問題ありませんが、生活習慣には自由のため不規則になりやすい問題があると思っています。
日常生活は、気候の変動対応に時間を取られそうです。
屋根の雨漏りはまだ一部、大雨が降った時にわずかに漏れていますが、屋根修理の効果はあり、通常の雨では漏れはないようですし、雨漏りの箇所も把握しているので、後日修理する予定です。
株に関しては、冷暖房もなく外食や飲酒もせず生活保護以下の生活をしながら貯めた余剰資金を充当しているため、以前述べたように株の運用資産がすべてなくなっても、生活には全く影響ありません。
今後、夏の猛暑で、昼寝を多くとったり、やるべきことを先延ばしするなどの、なまけ癖がついているので、なまけ癖の打破が目標です。

健康問題で、追加しておきます。
いま、私にとって、腰と背中の曲がりの矯正が大きな問題です。
現在、自分で自分の体の状態を分析し、生活習慣(例:畳に胡坐をかいて畳に広げた新聞を長時間隅から隅まで読む)や背中や腰の曲がりを矯正する運動やストレッチを考え実行するつもりです。

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昨日記20220528 土 ~ 20220531 火  署名簿点検

2022年09月29日 21時48分40秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
5月28日 土 大型ボールの使用開始
5月25日で署名活動は終了したので久しぶりに、普段の土曜日が戻ってきた。
この日から、机での作業に、バルーン(プラスチックボール)を使用し始めた。
バルーンは、購入後数週間居間でバルーンの運動をしたが、すぐに飽きて、今では居間の片隅で無用の長物となっていた。
TVで、以前から健康のためにバルーンに腰かけて仕事をしているオフィスの映像を何度か見て、その気になった。
さて、再びバルーンに腰かけてみると、ずいぶん空気圧が少なくなっていたので、必死に空気を入れてから、使用を開始した。
現在もバルーンを使用しながら、PCを打ったり読書したりしている。
しかしバルーンを長時間使って、体を揺らしたり、弱いジャンプをしていると腹筋や背筋が疲労することがたまにあり、そういう時は、椅子に戻している。
午後から、録画祖整理した。
午後から夜にかけて、副食作りを行った。

5月29日 日 署名簿点検作業
朝10時から、小学校前にある、左翼政党系団体の事務所で、署名簿の点検集計を行った。
署名の不備とか担当地域外の署名は、署名数から外した。
2時間近くかけて、点検とカウントを終了した。

私は、点検作業をしながら、署名簿は個人情報の塊なので、コピーされないようしっかりと保管する必要があることを、点検作業参加者や共同代表に伝えたが、共同代表を含め周囲はすべて同じ系列の人たちのため、私にできることはそうしたことを表明することしかできなかった。
この点検作業では、今回担当した区のすべての受任者が集めた署名簿が、集まっていた。
そこには、自民党系の受任者が集めた署名簿や、私が受任者になることを説明に行った受任者の署名簿もあった。

私が初めに署名活動したときは、3人の共同代表制でグループとして署名活動を始めた。
その時は、他の二人の共同代表が、政党系の組織に関係しているとは言わなかったし、私は政党色を排除して、会の運営をするつもりだった。
しかし、活動を開始すると、他の二人の共同代表が、以前からの活動で交流があり政党系の市民団体で活動していることがわかり、私が主張して合意されたと思っていた趣旨は吹っ飛んだ。
その結果、私は外部との連絡係だけに徹することにした。
その後、私の居住区の受任者の会の発会式の時に、そのことがさらに明確になった。
署名終了後の集計作業のまとめでは、私は公正さを確保するために他の場所を借りてするべきと主張したが、無視され政党系団体の事務所ですることになった。

見知らぬ人と、グループを作り活動するときには、相手の背景を慎重に調べる必要があることを思い知った。
同時に、今回はじめて政党関連の市民団体の内部に入り込み、その内部から人の動きを見て、その事務所が市民団体のメンバーの日常的居場所になっていることを知った。

この日大阪は32度と暑かった。
夜はファストフードで読書したが、帰宅後財布を落としたことに気づき電話で問い合わせると、店に届けられていたので、すぐに回収に行った。
いろんな意味で、ストレスを感じた一日だった。

5月30日 月
株関連の作業を行い、昼間は、長らく閲覧していなかったFBを長時間かけて閲覧した。
夕方から夜にかけて副食製造を行った。

5月31日 火
起床は、8時だった。
相当疲労がたまっていたようだ。
午後から、ジムに行きレッスンを受けた。
無心に体を動かし、汗をかくと肉体は疲れるが、精神的にはすっきりする。

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昨日記20220520 金 ~ 2022027 金

2022年09月27日 21時45分59秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
5月20日 金
前日の疲労で、起床は8時半になった。
午後からジムで筋トレし、夜はファストフードで読書し、少し日常感覚を取り戻した。

5月21日 土 (プチ断食 隣の区での署名ステーションでの活動)
プチ断食実施。
午前、生野区のとある議員が運営する施設に行き、署名ステーションを設営した。
一昨日の私の担当地域に500枚、朝から夜まで必死の思いでポスティングしたチラシは、この場所での署名活動の案内であった。
チラシをポスティングしながら、ポスティングした地域と署名ステーションが500m以上離れているので、署名に来る人は少ないと予想していた。
昼に共同代表が商店街で署名活動するので、チラシを手渡し、そのまま自転車で30分以上かけて署名ステーションまで行った。
そこで、チラシを作った女性と合流し、署名の受付を夕方まで行った。
チラシはその女性が1000部以上手作りで制作したもので、一昨日ポスティングしたチラシはその中の500枚だった。
その女性は、以前に公立の文化施設で広報・企画を担当していたキャリアウーマンだった。
署名ステーションには、施設を運営している議員も顔を見せ、いろいろ話しあった。
そこには、議員とつながりのある人たちが、入れ代わり立ち代わり訪れて署名した。
署名活動を終えてからプチ断食明けに、近くのファストフードにより読書した。

5月22日 日
午後から、ある党の下部組織の大阪市支部の発会式があったので参加した。
実態が伴わないのに、形だけやってる感を出すのはよくないと考え、そういう趣旨の発言もしていたが、大阪市外の支援者の意見が通り実施することになり実行されたものだ。
業績の悪い企業や組合や学校や様々な組織では、よく見かけるパターンだ。
参加しながら失望感だけが残ったし、この先の運営もなんとなく想像がつく。
あまり深入りしないことにした。

5月23日 月
区役所前で定例の署名活動を行った。
夜はある政党の下部機関のライへの対応に夜中まで時間を取られた。

5月24日 火
朝、株関連の作業をし、昼前にスーパーマーケット前での署名活動を行った。
午後から、ジムに行きレッスンを受けた。
帰宅後は、疲れてTVを見て過ごした。

5月25日 水
この日が署名活動の締め切り日だった。
朝、署名活動に関連して電話があった。
署名したいがどうすればよいかというので、こちらから、署名を受け取りに行きますと答えた。
すると先方の人は、突然小学校の同窓生ではないか、と私に問いかけた。
まさに小学校で一緒によく遊んだ友達M氏だった。
すぐに、彼の事務所に行き署名をもらい、しばらく昔の思い出話をした。
午後、共同代表達が決めたスーパーでの署名活動に参加した。
最後の署名活動だった。
帰宅後はストレス解消に、プールに行き、夜はファストフードで読書した。

5月26日 木
午後、ジムに行った。
署名は目標を超える17万筆が達成されたとの情報が入った。
この夜。大雨が降り雨漏りがした。

5月27日 金
朝、株関連の作業を行い、夕方からプールに行った。
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昨日記20220507土 ~ 20220519木

2022年09月24日 19時03分34秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
5月7日 土(プチ断食)
プチ断食実行。
昼間、録画ファイル・フォルダーの確認と整理を行った。
夜は、炊飯・冷凍ご飯の製造16食と副食製造を行った。
断食明けのファストフードには、行かず。

5月8日 日(歴史散歩参加 敬老パス紛失)
朝から、ジムの運営企業が主催する、歴史散歩に参加した。
大阪城公園に集まり、藤田美術館や淀川や毛馬の閘門をめぐり、旭スポーツセンターまで約10km近く歩いた。
その間、参加者と交流し、他の区のスポーツセンターの状況を知ることができた。
旭スポーツセンターは、料金は高いが入浴施設が利用できるという。
私の通っているスポーツセンターは、料金が安いようだ。
帰宅時に、メトロ・市バスの敬老パスを紛失したことに気づいた。
帰宅後再度調べなおし、メトロの遺失物取り扱い所に電話をかけ調べたが、私のパスの遺失物届はなく、仕方なく再発行の手続きを行った。
夕方から、ストレス発散と疲労回復のためプールに行き、汗をかいた。

5月9日 月
朝に、都島警察署から前日なくした敬老パスの遺失物拾得届があったとの連絡があった。
しかし前日の夜、敬老パスの再発行の手続きをしたので、拾得物の敬老パスは使えないので受け取りしないと伝えた。(再発行の手続き開始時点から、古い敬老パスは見つかっても効力を失う。)
午前中カジノ反対住民投票の署名活動の準備をした。
しかし、午後、3時から4時区役所前で署名活動する予定だったが、雨が降っていたので行かなかった。
ミーティングの時、雨天中止を決めていたし、何度も確認した。
しかし、他の人は中止していなかった。
この人たちは、いくら文書で確認しても自分勝手に行動する人たちで、勝手に自分たちのルールを通す強いもの勝ちの非民主的な人達だと思った。
私は、連絡係に徹し、文書で決められたことだけをすることにした。
後日、3人でミーティングした時に、自慢げに雨の日の活動の事を話していた。
私は、雨天中止の合意事項(文書にも記載)を一言だけ述べた。
皆で合意したことを守らず、自分たちの都合だけで様々なことを決める人たちがいることを初めて知った。
その人たちは、組織の幹部であったり様々な市民活動やサークルで指導的働きをしているというのだが、リベラル系の組織にも結構非民主的な体質があると思った。

5月10日 火
久しぶりに、ジムのレッスンに参加した。
午後一番のレッスンは2時から始まるので、今までのように昼食の準備や後片付けをしていると、参加できないので、大変だ。
最近(8-9月)では、昼食関連の調理から片付けおよび、ジムプール行きの準備(前日夜に洗濯し干したものを、たたみバッグに収納する)に時間がかかるので、3時に始まるストレッチか2時半ごろに始まるレッスンから参加するようにしている。

5月11日 水
午前中株関連調査・作業を行った。
別グループの署名活動関係者から電話で質問があり、対応した。
午後から署名活動の本部へ行き、大量のチラシチラシを受け取った。
夕方、スーパー前で、朝電話を受けたグループに合流しチラシの一部を渡すとともに、1時間署名活動を行った。
そのグループは、リベラル政党のいくつかの下部組織の参加者で構成されていると言っていた。
のぼりや拡声器や署名机まで用意し、一斉に声を上げて、署名を呼びかけたり、演説をしたりして、手慣れたものだった。
しかし署名の集まりは少なく、立ち止まって聞く人もほとんどいなかった。
彼らの運動方法は、数十年前のままで非効率でマンネリ化していると思った。
多分、組合の行う政治運動もよく似たところがあると思った。
最新のマーケッティング手法を勉強したり、取り入れたりする発想はなさそうだ。
少なくとも、こうした傾向はリベラル系政党や市民運動に共通することであるように思っている。

5月12日 木 署名活動 ライン SNS疲れとネットとの付き合い方。
午前中署名活動で、共同責任者からラインと電話があり、苦情を言われた。
ラインを見ていないというのだ。
そもそも、共同責任者と会ったときにメールは週に1度しか見ない日もあると、私は言った。
現実には、1週間どころか、数週間メールを見ないこともあり、大量のメールを削除するのに、時間を取られたことが頻繫にある。
そうしたときに、削除前に発信元を確認し、時に発信内容を確認するが、役所からのお知らせで必要なものは保存し、株やその他購入契約関係の案内も保存している、むろん個人的な通信はすべて保存しているが、個人的なやり取りはゼロである。
署名運動に、かかわってから共同責任者との間でラインを始めたが、ラインは個対個なのでどうしても放置するわけにはいかない。
共同責任者からは、しょっちゅうラインを送信してくるが、どうでもいい内容が多い。
立憲の下部組織でも、ライングループに入ったが、やはりFBやツイッタでの記事と同じような批判記事を大量にアップされ読まされるので、うんざりしていた。
幸い、立憲の下部組織については、スマホの機種変更を理由に一時ラインを抜けて、そのままになっている。
ラインに関しては、いまだに使い方がよく理解できていないし、FBやツイッターに比べ個人的に拘束されやすく、面倒だと思っていて、ライン友達を増やしたいとは思わない。。

最近(9月)はSNS疲れが話題になっているが、私もSNSと距離を置きたいと思っている。
情報収集にはSNSは欠かせないが、友達づきあいは、本当に気の合う友達だけに絞りたいと思う。
SNSを含むねっとにつかりすぎると自分を見失い、情報洪水に流されると思う。
自分を見失わず時折立ち止まり内省して、現実の世界(自然・環境・社会・各種組織yさコミュニティー内の自分の立ち位置)を見極め、自分のしたいことや意思を重ね合わせSNSと付き合いたい。

5月13日 金
午前に電話があり、署名活動に参加したいという。
多くの署名を集められるというので、連絡をくれた人のところに直接説明に行くことにした。
急いで自転車を飛ばし、JR近くの古い長屋に行った。
長屋の一軒を活動拠点にして、女性だけの消費者運動や様々な趣味のサークルを展開しているという。
活動歴は長く、会員も府下で10人以上いて、様々な催しをしているらしい。
言葉に対する反応で、ジェンダー問題に極めて敏感なことが分かった。
とりあえず相手の要望を聞き、本部に直接行って、署名活動の受任者になることを勧めた。
その後、彼女は午後から本部に行き、受任者となって署名活動を行ったようだ。
午後にも、署名活動の共同責任者から電話があり、署名活動している所まで新しい署名簿を渡しに出かけた。

5月14日 土
午後に、TVを録画しようとして、失敗した。
原因を調査し、PCやHDの設定や名前やリンクを設定しなおし、長い時間かけて正常化した。

5月15日 日
午後英語力が気になり、英語ニュースをネットで見聞きした。
30年前に語学留学した時は、それなりに読み聞き話すことができた。
その後10年以上、英語には全く触れることはなかった。
気付いた時には、私の英語力は多分中2程度とみている。
そうしたことが、心の中で蘇り、英語を勉強しなければと思うことがある。
この日もその一つで、長い目で見れば3日坊主どころかこの日だけで英語の勉強は終わった。
最近(9月)この昨日記のように、途切れても再開する方式で、英語を読み書きできるようにできないものかと思っていて、今後できるだけ、英語に接しようと思っている。

5月16日 月
午後から区役所に行って、敬老パスの再発行手続きを行った。
再発行のための手数料を支払った。
その後区役所前で行っている、共同責任者達と行っている定例の署名活動に参加した。
夜になって署名を受けに指定された家に出かけ、署名してもらった。
帰りにファストフードに出かけ、読書した。

5月17日 火
午後から、久しぶりにジムに行き汗をかいた。

5月18日 水
午前中署名活動関係者から、問い合わせと依頼があり対応した。
午前と午後に、株関連の調査と作業をした。
午後にも別の署名活動関係者から連絡相談があった。
夕方になり、署名活動関係者から、専用チラシを受け取りに、30分かけて自転車で待ち合わせ場所まで行きチラシ500枚を受け取った。
待ち合わせ場所にいた女性が、自分で専用チラシを作ったというので驚いた。
夜に立憲のパートナーズオンライン集会(全国)があった。
参加予約していたので、接続するとネットミーティングにつながったが、設定が悪かったのか音声が全くつながらないので退出した。

5月19日 木 署名活動チラシ配布
午前中、指定された地域のチラシ配布を行った。
枚数は500枚。
昼に、食事をとりに帰宅し少し体を休めた。
午前中だけでかなり疲労した。
午後から再びチラシ配り(ポスティング)を行った。
3時前にチラシ配布をやめて、区役所前に行き、共同責任者たちと一緒に署名活動を行った。
私は重複を避けて、スーパー前で署名活動を行った。
1時間の定例署名活動終了後、再びチラシ配布に向かった。
500枚配り終えたら、日が暮れていた。
疲れをとり、汗を流すためプールに行った。
プールでリラックスして帰宅後一休みする間もなく、以前に電話で指定されていた家に署名をもらいに出かけた。
指定された家の主変は街灯がなく、暗くて探すのに非常に苦労した。
たまたまその家の近くにいた人に聞いて、家を見つけることができた。
署名をもらい、帰宅してから洗濯や食事作りはきつかった。(トータル1時間以上かかった)
この日寝たのは、午前1時を過ぎていた。
くたくただった。
何のためにこんなしんどいことをしているのかと、署名活動を恨んだ。
それでも引き受けたことは、約束通りしっかりやらねばならないと思いなおした。
同時に市民運動の一端を経験し認識できた。

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近況報告 20220923金 右腕が上がらず筋膜リリース 雨漏り対応(一部加筆修正)  

2022年09月23日 18時15分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
健康状態や経済状態は、今の時点では全く問題ありません。
前回の近況報告以後いろいろあってまだ、昨日記遅れっぱなしです。
この調子だと。一回2週間分にまとめて書かなければ追いつかないようです。
昨日記の集約記事(1-2週間分をまとめる)では、大きな記載事項がない日は、一日2行以下にします。

さて9月8日の近況報告から今日まで、いろいろありました。
屋根を修理して、これで雨漏りがなくなると思っていました。
9月5日から9月10日までは毎日ジムで運動し、そのうち3日間は、ジムの後プールに行きバタフライの習得に励みました。
その間に、深夜までの副食製造という作業もありました。
副食製造では、キャベツの千切りや、硬いカボチャの短冊切や肉のサイコロ切りといった力作業がたくさんあり、右腕を酷使することも、よくあります。
屋根の修理作業だけでも大変な作業で、瓦屋根のコーキング作業でシリコンシール材をガンで埋めるのに、右腕を激しく使い疲労していました。
水泳のバラフライも腕の筋肉を激しく使います。
9月9日金曜日ごろイギリスのエリザベス女王が亡くなられたのですが、そのころには、上記の作業が集中的に重なったため右腕に軽い痛みを感じていました。
しかし、右腕や肩の痛みは右腕を使わなければ、筋肉痛はそのうち治るだろう思っていました。
普段、肩こりはめったに起きないが、今回は、右肩の痛みを感じていたので、いつもの筋肉疲労と違うと、多少不安に思っていました。
9日の夜寝るときには、右肩にかなりの痛みを感じたので湿布薬を貼りました。

9月10日 土曜日 (右肩痛く寝込む 右肩上がらず 左手のみで家事 深夜に寝ながら激痛こらえ最激痛点に筋膜リリース実行)
朝から痛みが激しくなり、外科医院に行くか鍼灸医院に行くか悩みましたが、様子見することにしました。
とりあえず外出もせず安静にすることにし、食事関連の家事をする以外は、寝て暮らしました。
しかし、夕方には食材もなくなったので、スーパーに買い出しに出かけました。
帰宅後、副食がないため、夕方から肩に痛みと疲れを感じながら、3時間ほど調理作業をしていました。
右腕はさらに痛くなり、肩まで上げることができません。
痛みは強いが、右腕の痛みが関節なのか筋肉なのかわからず、とにかく少し腕を動かすと右肩や筋肉が激しく痛みました。
夜の食事関連の家事(調理 洗い物・・)は、左手を主にして、右手は食器を支えるだけにし、スピードを半分ぐらいにして行いました。
手を洗う時、右腕にはほとんど力が入らないことに気づき、不安になりました。

寝るときには、左側を下にして右腕を右側面に乗せるだけで、右肩に耐えられない激痛が走りました。
右腕の自重だけで、右肩の傷?に影響を与えたようです。
もし肩の関節に傷ができたのなら、大変なことになると心配になりました。
ただ、右肩周辺の腕の筋肉全体に痛みが走るので、筋肉の疲労や損傷か、それに付随する筋膜の固着の可能性もあると考えました。

そこで寝ながら、肩周辺の筋肉の激痛点(トリガポイント?)を探りました。
すると、肩の関節に痛みはなく、筋肉そのものには、筋肉疲労による特有の痛みはあるが、筋断裂のような激痛点はなく、右肩前面の、右腕と鎖骨と、胸の筋肉の合流しているあたりに、激痛点があることがわかりました。
可能性として、その部位の筋肉の断裂と筋膜の固着を考えました。
筋肉の断裂の場合、傷口が治癒するまで動かすのはよくないが、筋膜の固着の場合はその周囲を揉んで揺らし、筋肉と筋膜の固着をはがせばよいので、激痛点周辺の筋肉を、激痛をこらえながらぐりぐりと揉みました。(激痛で涙が出た)
その後、痛みが続くので痛み止めの必要性を感じ、コロナワクチン接種時に購入した解熱・鎮痛剤のアスピリンのバッファリンを服用しました。
寝るときは、背中を下にして仰向けになって寝ましたが、医院に行かなかったことを後悔しました。
この日は、疲労を感じつつも痛みで熟睡することはできませんでした。その後、痛みが増したり、その部分が腫れるのではないかと心配しながら様子を見ましたが、痛みはおなじで増えることはなかったので、知らないうちに寝てしまいました。

9月11日 日曜日
起床したときは右肩の腫れはなく、痛みは前夜と同じでした。
筋膜の固着が原因なら、もう少し痛みが少なくなってもいいのだがと思い、がっかりしました。
とにかく、この日は外出もせず安静にすることにし、食事関連の家事をする以外は、寝て暮らしました。
それでも、10日までは、右腕を動かすと右肩から上腕部がすべて痛かったのが、なんとなくその範囲が縮小してきたように感じました。
そこで、昼頃右腕の可動域を調べると、右腕は前・横・後ろと肩の高さまでなんとか上がるようになりましたが、肩から上に挙げようとすると激痛が走り挙げられませんでした。
また、腕を左横(胸の前)方向に動かすと激痛が走りました。
関節の痛みがないことから、今回の痛みの原因は、腕関連の筋肉の一部が小さな断裂を起こし、同時に筋膜が固着したものと考えました。
夕方になって、なんとなく痛みが軽くなったような感じだったので、右腕の可動域を再度チェックしました。
すると、力を入れて頑張ると強い痛みはあるけれども、後ろ、横、前方向は頭の上まで腕をゆっくりと上げることができました。
この時、腕は非常に重く感じました。
しかし左側(胸の前)方向は、激痛が走ったままでした。

この日も前日同様トイレにも苦労し、Tシャツを脱いだりパジャマを着ることが、左手だけでは極めて難しい作業であることを知りました。
その日の夜は蒸し暑く、裏庭で左手のみを使って冷水シャワーを浴びました。
左手だけの衣類の着脱に苦労したことは、いうまでもありません。(まだ右腕は、痛くて簡単に上げ下げできない。)
寝るときは、左側を下にして、右腕を右側面に乗せると、前日のような耐えられない激痛ではなく普通の痛みになりましたが、前日と同じ姿勢で寝ました。

9月12日 月曜
起床時右肩の腫れもなく更に痛みが和らいだように感じました。
外科医院に行くつもりだったのですが、腫れや熱もなく痛みが減少しているので、様子見することにしました。
前日同様、空いている時間は動かず安静にして、傷が治るのを待ちました。
この日は、左側を下にして寝たときに、右腕を側面に乗せても激しい痛みはなくなりました。

13日 火曜日
プチ断食を実行しました。
本当は11日の日曜日に行う予定だったのですが、右肩怪我の治療のために体の修復材料となる栄養分の補給は欠かせないので、プチ断食を延期しました。
怪我の治療中の9日から12日までは、栄養補給のため普段より食事も多く取り、プロテインを多く摂取しました。

14日 水曜日
不安ながら、ジムに行く。
恐る恐るけがの治り具合を気にしながらレッスンにも参加しました。
9月10日時点の状態では、こんなに早く回復するとは全く予想できませんでした。
怪我の原因は、筋膜の固着が原因で、その個所の筋膜リリースを行ったことが早期の回復につながったように思います。(筋断裂ではなく、激しい筋肉疲労の可能性)

16日 金曜日
台風14号が日本海を通過し、大阪も一時大雨が降り、ひどい雨漏りが発生しました。
雨漏りは3か所発生し
17日は屋根に上り、半日かけて瓦屋根の隙間を、シリコンシールでふさぎました。(重労働)
しかしこの日。夜の雨で再び雨漏りが発生。
寝場所を居間に移し、雨漏りに備えました。
就寝中蚊が出没し寝不足に。(いつも寝ているところには蚊帳を設置するので安眠できる。)
18日には、再び屋根の上り、前日の雨漏り対策のため屋根の修理を行いました。(疲れた)
19日月曜は、英国女王の国葬が行われた日。
最強クラス(925hp)の台風14号が上陸。
この日の夜、大雨が降り、再び雨漏り発生し、深夜までその対応に追われ寝場所移動しました。
天井の雨漏りの個所は3か所でしたが、距離が近かったので、ビニル袋を使い1か所に流れ落ちるようにしました。
雨漏りの量はかなり減少しており、屋根を補修した効果はあったようです。

9月20日火曜日 夜雨漏り対策用のシリコンシール材を購入し近くのファストフードで読書。
9月21日水曜日 屋根に上り長時間修理を行いました。
度重なる屋根の修理と副食製造で多少疲労。


(9月9日から11までの記事には、執筆時長時間の休みを入れて書いたため、時系列に誤りがあったので、9/24に大幅に加筆修正をしました。記載内の修正は、予定日報表のコメントに基づいていて、事実を反映しています。)
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近況報告 20220908 雨漏り対応  20220908木 2330

2022年09月08日 23時38分09秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
8月19日の近況報告とその後の5月の昨日記投稿以来の投稿です。
私は、健康問題や経済的問題もなく(月6-7万円で生活する貧困状態ではあるが)元気に過ごしています
今後、随時昨日記を書く予定です。

今、実生活上の緊急事態が現在進行中で、今夜は寝床の位置を変えなければなりません。
夕食そっちのけで対応しています。
外は強い雨が降っていて、天井は3か所以上から雨漏りしています。

はじめは洗面器で雨漏りを受けていましたが、雨だれの水が飛び散って、周りは水しぶきで濡れています。
そこで、ごみ箱を雨漏り受けにしていますが、それでも水しぶきが飛び散っています。
雨漏りは、さらに広がり3か所からさらに増えています。
50年以上前の、父親の素人工事で天井板の下に化粧板を貼ったことで、そこに雨漏りの水が溜まり、その継ぎ目から水が漏れているようです。
漏れた水は、貼られた板に沿って低いほうにしずくが流れ適当に落ちているようです。
雨漏り受けには1時間で1センチ以上水が溜まっています。
雨漏りの一部は、今原稿を打っているPCのある机の横で、頭を左に傾けると雨漏りに当たります。
今夜は、まともに寝られるのか心配です。

雨漏りの直接の原因は瓦のずれです。
昨日、屋根に上り、雨漏りのしやすそうなところを、シリコンで埋めました。
しかし、築90年近い長屋の瓦は割れやすく欠けもあり、大きくずれ動いています。
原因は、数十年以上前に長屋の端にいた大家さんの工場がプレス加工をしていたので、その時の振動が原因で瓦がずいぶんずれていて、隙間だらけになり雨漏りの原因になっているのです。(現在工場は廃業しそのときの大家さんは転居し、今は別の人になっています。)
更に前の路地は、行き止まりなのですが、ほとんどの家は車を持っていて頻繫に通るし、奥には工場が2軒あり、重い荷物をつんでドラックが行き来していて、そうした交通による振動も屋根瓦のずれに大きく影響しているようです。

とにかく、雨が小やみになるのを待つのみです。
早く、夕食をとらないと日付が変わりそうだ。
腹減ったー

午前0時過ぎ夕食を終えました。
雨も止んだようです。
雨雲レーダーの画像を見ると、1時間半前の午後11時前には1時間に50mmを超える大雨が私の住んでいる場所に降っていたようです。
1時間に50mmの豪雨では、古い屋根の雨漏りも仕方ないのかも。
一つのバケツには、10センチ余りの、雨漏りの水が、もうひとるのバケツには5センチメートルの水がたまっていました。
雨はやんだが雨漏りは、まだ数秒間隔で落ちていますが、そのうち雨漏りも止まるでしょう。(多分天井板にたまった水が流れきるまで1時間以上かかるかも。)
食後の片づけや雨漏り処理、寝床は別の部屋で準備、寝るのが2時ごろになりそう。
明日は、また屋根に上り補修しなければ。

今回の出来事は、貧困層の独居老人という属性・構造を嘆きたくなる。(普段は、貧困層の独居老人と公言しているし、今の立ち位置を嘆かわしいと思うことはめったにないし、金持ちをうらやましいと思うこともほとんどないが、それでもたまにある。
例えば、私が多少経済的に余裕のあった30代から40代のときに、気ままにスキーや観光に出かけたり、外食や飲み会が日常的だったり、語学留学や民芸雑貨買い付けのために南米旅行した、といったことを思い出す時である。)
これから後片付けが大変だ。


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昨日記20220507土 ~ 20220515 日 遠足 敬老パス紛失 

2022年08月24日 21時35分52秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
20220507土 プチ断食 副食作り 録画ファイル整理
翌日に、催し物に参加する予定があったので、日曜日予定のプチ断食を、この日実行。
午前中は何もすることなくTVを見た。
昼から午後にかけて長時間別置きHDの録画整理を行った。
録画ファイルは部門別のフォルダーを設け収納するように変更した。
この日以前の録画は収録日順で、様々なジャンルの録画が時系列順に収納されている。
それを例えば音楽であればクラシックとオペラ&バレーとに分けた。
美術も、現代 近代 印象派 古典 日本画 彫刻 仏教美術といった感じで分類しようと考えている。
そのためにはフォルダーを作り、HD内のファイルの録画内容を見て収納フォルダーに入れる必要があり、非常に時間がかかる。
夕方から夜は、食材の買い出しと副食作りに時間を費やした。

20220508 日 歴史散歩・毛馬閘門 敬老パス紛失
朝から、JRで大阪城公園まで行った。
通っているジム・プールの合同散歩に参加した。
大阪城公園から、藤田美術館―淀川堤―毛馬閘門―旭スポーツセンターまで約10km歩いた。
私が通っているスポーツセンターからの参加者は私一人だったようだが、他のスポーツセンターからは多くの人が参加していた。
小さな公園での昼食時、他の参加者との交流を楽しむと同時に、他のスポーツセンターの情報を得ることもできた。
終了後メトロに乗ろうとして、敬老パスがないことに気付いた。
当然、周囲を探しまわり、メトロの駅でも落とし物を確認したがなかった。
帰路は、現金で切符を購入し帰宅した。
駅の駐輪場では、6時間以上の駐輪で300円支払う羽目になった。
帰宅後すぐに、駅で聞いた連絡先に連絡し敬老パスを停止した。
しばらくの間は、交通機関を使った外出はできないと思った。
交通費が経済的に大きな負担になり、今までどおり利用すると、確実に赤字になる。
家賃抜きで月6万円余りの生活をする身にとって、片道数百円の交通費は大きな出費なのだ。
当面、メトロを使った外出は控えることにした。

20220509 月 
ほぼ終日TVを見たり、マイペースでゆっくりと副食製造を行う
昼に、警察署の遺失物係から電話があり、敬老パスの拾得届があったと連絡があった。
拾得場所は公園で、昼食時の公園で落としていたらしい。
しかし、落としたその日に、敬老パス管理会社に紛失届を出したので、再発行の手続くに入り、その時点で落とした敬老パスは失効し使えなくなると言われ念押しされていたので、拾得物の所有権を放棄した。

20220510 火
新聞広告で、大手製薬会社のミクロン単位でウイルスを除去でき、通気性が高いという高性能マスクを見て、ネットで注文した。
午後からジムに行き、レッスンを受けた。

20220511 水
午前中株を調査した。
午後署名活動本部に自転車で行きチラシをもらってきた。
その後 スーパーの前で他のグループと一緒に署名活動を行った。
彼らは、政党に直結したグループで、日常的に街宣活動し、このスーパー前では週1回定期的に街宣活動をしていると言った。
署名活動終了後、夕方からプールに行った。
その後、気分転換のためファストフードに行き、読書した。
夜遅く、署名活動の、ラインのやり取りに時間を割いた。
疲れた。
市民運動の大変さが分かった。

20220512 木
午後署名活動のことで、電話やラインのやり取りでかなり時間を割いた。
夜は副食製造を行った。

20220513 金
午前中、署名活動のため、環状線近くの路地裏長屋の、とある市民グループの活動拠点に行き、女性代表と面談した。
10-20人の女性グループで、さまざまな活動を行っているらしい。
男性には、強い警戒感を持っている様子だった。
署名活動の概要を伝え、パンフレットを渡した。
どうやら直接署名活動事務所の本部へ行き、受任者になり署名グループを作り署名活動するようだった。
夜は遅れている、昨日記を書いた。

20220514 土
メールの整理や、録画ファイルの整理を行った。
夕方、昨日記を書き、その後自宅から商店街やその周辺をウオーキングし、約1時間速足で歩いた。

20220515 日
夜にファストフードで読書した以外、目的をもってこれといったことをするでもなく、適当に過ごした。
なんとなく疲れた感じだった。

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近況報告 20220819

2022年08月19日 20時56分25秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
再びの近況報告です。
前回、昨日記を書くと言いながら、夏休みの宿題同様放置したままで申し訳ありません。
(とりあえず反応もないので、このブログの常連の読者はごく少数で、ゼロに近いと思っています。
多分ブログをアップロードしたときに、たまたまアップロード後数十分間の間に、このブログが目に留まって、なんとなく読んだ人が数十人程度いるのだろうと思っています。それでも、誰も見てくれなくても自分の生きた証としてこれを書き、同時に自分を振り返り自分で対話します。)

さて、貧困の独居老人である私は、無冷暖房の夏を、自分の持てる科学知識を駆使しながら、酷暑を乗り切りつつあります。
10年ほど前は、今よりもっと過酷な状況で夏を過ごしていました。
室内が高温になる要素として、炊事場においてある冷蔵庫があり、これが室温を高めていると考えていましたし、実感していました。
冷蔵庫が動き出すと、冷蔵庫の外壁温度が上昇し、炊事場は更に高温になり、その空気が居間や書斎兼寝室兼通路に流れこみ、眠れない夜になったりしていました。
そんなわけで、当時は高温のため終日半ば朦朧としてやる気もなく過ごし、日が傾く3時ごろから50m屋外プールに行って暑さをしのぎつつ、泳いで運動能力の低下を防いでいました。
プールの帰りには、駅近くのファストフードで泳いで疲れた体を休め、涼をとりながら本を読んでいました。
プールとファストフードにいる時間だけが暑さから解放される時間で、私にとっては天国のような時間でした。
帰宅後は、夜になっても33度以上ある室温に、頭はボーつとし、無気力になり、とりあえず夕食を作り食事を済ませ、朝食や昼食を準備するといった無気力で単調な日々を送っていました。
就寝中も、蚊と暑さで寝覚めることは、ほぼ毎日のことでした。
この時だけは、貧困生活の苦痛を感じました。

現在も無冷房で生活環境は変わっていませんし、室温は夜や早朝でも31度あります。(換気能力を工夫してあげたので、室温が低下した。)
10年前と比べ、網戸を作り炊事場の冷蔵庫の排熱を、サーキュレーターを駆使して炊事場の窓から排出するようにしてから、ずいぶん室温の上りが少なくなりました。
同時に、玄関の明り取りの窓を外し網戸に変え、裏庭側も網戸を付け、扇風機やミニファンを使った結果、32度であっても風がよく通るようになり、何とか苦痛なく作業ができるようになりました。
ちなみに今、この机の上は32度53%で、斜め後ろからミニファンで弱風を送っているので、苦痛を感じることもなく作業をしています。
ただし、夏が始まるときに、30度以上の高温になれるまでの暑熱順化の間の数日間は、大変な苦痛を感じます。
10年前は、Tシャツが数時間で汗が搾れるほどびしょびしょに濡れていて、1日数回着替えていましたが、今は、Tシャツの一部分が汗で湿っている程度です。

いろいろこまごましたことを書きましたが、現在健康状態は全く問題なく、元気に過ごしていますが、完全自炊のため、食事関連家事は手抜きをすることができず、大変です。
ジムと室内プールは、体を冷やす目的もあり、頻繫に通っていて、健康維持できている原因の一つと思っています。
その他、日常生活に、変化はありません。

日々の行動は予定日報票をつけていて、15分から1時間単位で行動がわかるようにしています。
それを見ながら、明日からマイペースで遅れている昨日記を作成する予定です。
多分、今までと同様1週間分程度をまとめ書きして、投稿すると思います。

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近況報告 20220723

2022年07月23日 19時49分07秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日記の更新、更新するとしばらく放置状態が続き、一向に更新が進みませんが、これからもできるだけピッチを上げて更新するようにします。

全国では、このまま収束するかに見えた新型コロナのオミクロン株でしたが、その変異株BA.5型が6月から過去に見たことのない勢いで急激に感染拡大し、全国で20万人越えの日が続いていて、医療体制に影響を与え、最大の社会問題になっています。(ワクチン接種を3度した人も感染する。)
この状況では、ギャラリーまわりといった混雑した場所への外出は、取りやめる必要があるかもしれないと思っています。
その他ウクライナ戦争の影響で、インフレが世界的に加速し、特に石油ガス等のエネルギーや、小麦等の食料品価格が暴騰しています。
また、中国は、ゼロコロナ政策で経済成長が大きく落ち込み、世界経済に悪影響を与えています。
ウクライナ戦争は、膠着状態。
一時ロシアが東部で攻勢に出ていたが、アメリカからの高性能兵器で状況が変化している様子。
南部では、ウクライナが攻勢に出るという報道も。
国連・トルコの仲介で、ウクライナの穀物輸出が再開できる可能性。
しかし調印翌日ロシアがオデーサ港攻撃。(一説にはロシア内部の連絡不足が有力。)

私生活では、健康上問題なく元気に過ごしています。
近年、さぼり癖(ずぼら)が強くなったような気がします。
もともと、多少ずぼらな性格があったのですが、会社員時代は公私ともにずぼらではなかった(計画的だった。)のですが、中南米に行ってから、現地の生活に感化され、なるようになる・明日は明日の風が吹く・アスタマニャーナ(多分神の思し召しのままにといった発想からきているのではないかと思う。カソリック系・ラテン系ではそうした考えが強い。)といった考えが、だんだんと私の生活態度に浸透しているようです。
どちらかというと、ラテン系の、生活を楽しみ、したいことをするという考えになってきていると思います。
したがって、もともと世間体とか人様の目を気にしていなかったのが、さらにそういう傾向が強くなったようです。

今年は梅雨が6月にあけて、その後猛暑が来て、7月に戻り梅雨が来て、全国に長期間災害級の豪雨を降らせ、戻り梅雨が明けたとたん、猛暑となり激しい気候変動に見舞われ、体調を維持するのが大変です。
それでも、昨年シーズンオフに購入した中国製の蚊帳を初めて使用し始め、昨年まで就寝中の蚊対策で夜中に何度か起きていて睡眠が妨げられていたのが、夜中に起きることがなく、目覚ましが鳴るまで安眠しています。
現在、32度50%ですが、汗もほとんどかかず、扇風機を2台使い、1台の普通の扇風機は縁側から玄関に向け風を送り、もう一台のミニファンは斜め後ろからこの机(PCのある事務机)に向かい風を送っていて、暑さも感じることなくかなり快適です。

今週は、骨盤の背面の筋肉疲労に悩まされ、今週ジムでのストレッチや水泳その他の軽い運動で、筋肉疲労はかなり軽減されました。
この筋肉疲労の原因は、歩行から来たオーバーワークと考えています。
最近は、姿勢を正して速足で歩くことを重点に心掛け歩いています。
近年はジムとプールに行くことが増え、ジムでは2-3時間以上プールでも1-2時間程度過ごしています。
ジムでは、インストラクターを含め常連さんと顔なじみになり、世間話もしたりすることも多く、人付き合いの希薄な私にとって、数少ない社交場の一つとも言えます。
中には、私の体のゆがみを気遣ってくれる人もいたりして、孤独な貧困層の独居老人の私にとって、非常にうれしい励み?になります。

その状態で、先週は4回目のワクチンをうちに阿倍野まで出かけたり、池田市の石橋にある画廊まで出かけ、その帰りに西天満を歩き、足腰が強く疲労しました。
そのうえ先週は、プールでビート板やバタフライの練習をしたり、ジムで時速7km30分間走ったりしたことが、疲労の主な原因になったようで、特に骨盤背面から腰の筋肉が激しく疲労したようで、一時鍼灸・接骨院での治療も考えていました。

先に述べたように、先週末から今週の骨盤後ろの筋肉痛の原因は、正しい姿勢を意識して長距離速歩で歩いたことで、急に腰に負担がかかったことが大きな原因の一つだったのです。(腰が曲がりつつあった。)
それでも、プールでバタフライの練習を再開したように、私はそんなことで負けないし、今も元気です。

食事関連の家事は、炊飯・副食作り・片付け・買い物含め、いまだに一日三分の一程度の時間を浪費しています。
しかし、60代のころから、TVを見ながら副食作りをする時が多く、その場合は手を頻繫に止めたり、だらだらと作業をするので、倍ぐらい時間がかかることが多いようです。
こうした悪習も克服し、大阪弁でいう「チャッチャ」と作業をする癖を取り戻すようにしたいと思います。(サラリーマン時代は「チャッチャ」と作業をしていた。)

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昨日記20220502月 ~ 20220506 金

2022年07月14日 21時47分30秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
20220502月
終日、カジノ反対署名の受任者に配るルートを地図で設定したが、半分もできなかった。
とにかく住所にマークを付けるのが大変だった。
夜ストレス解消のためプールに行った。
無心で25mプールを往復すると気持ちいい。

20220503 火
この日も前日と同じ作業を深夜まで行った。
自転車で回るルートの候補が色々あり、どれが最適か迷った。
非常に疲れた。

20220504 水 案内配布で強い疲労
朝から日暮れまで、前日作ったコースに従い、区内のカジノ反対署名活動の受任者に署名活動受任者の集いの案内を配布して回った。
いわゆるポスティングである。
マンションや集合住宅は。郵便受けを探すのにかなり苦労した。
結局日没までには終わらず、8時ごろまで案内を配達した。
足は棒のようになりフラフラになるほど疲労した。
ある意味、自分が馬鹿らしく思えた。
と同時に、市民運動はこうしたことの積み重ねなのだろうとも思った。

配達途中、連休の町はがらんとしていて、車の通りもほとんどなく人々はのんびりと歩いていた
なんで、こんなことしているのかと思った。
それと同時に、5月6日開催で集まらないのではないかと思ったり、私が作成した案内文と比べると、共同代表が作成したはがきサイズの案内文の内容は、まるで組合や政党員のような人たち向けの呼びかけ文のように思え、一般市民の市民運動に参加す多様な人たち向けの呼び掛け文ではないと感じていて、集会の成果に影響するのではないかと思った。
多分、彼は普段から集会等のこうした案内をたくさん作っているのだろうと思った。

20220505 木
12時過ぎから、共同代表の指示で区民センターで行われた、9条関係の芸人集会に参加する人たち向けの署名活動をした。
他府県からの人たちも、多くいたが、そういう人たちは署名の対象外だ。
さらに、この催しの主催者が会場でも署名活動をしていたり、また署名を済ませている人も多かった。
結局、署名は期待したほどは集まらなかった。
思い付きが多く効率の悪い運営と思った。
私は、2対1で結論ありきのため連絡係に徹することにしているので、残り二人の共同代表の意見に従って行動した。

20220506 金
午後からジムに行き、久しぶりに筋トレやウオーキングを行った。
夕方から区民ホールに出かけ前日配布した受任者の集いの発会式会場の準備をした。
時間になると来たのは、左翼政党関係の団体役員ばかりだった。
一般の受任者はだれ一人来なかった。
しかも彼らは、共同代表も含めほぼ全員顔見知りか、顔なじみだった。
さらに、途中から共同代表が、司会の席を外しもう一人の共同代表が司会を継続した。
彼は別の階で行われている、左翼政党関係の団体の会合で、その会の役員もしているので、挨拶に行ったという。
その後その会の役員が、受任者の集いにも参加した。
こうした実情を知って、左翼政党関連の諸団体が、布の糸のように絡まりあって、複合協力しながら市民運動を展開している実態の一端を垣間見た。
私の考えでは、客観的に見て受任者の集いは大失敗であった。
こうなると私の地域の署名活動は、左翼政党関連の諸団体の掌中で動くことになるのだろうと思った。
何より共同代表は、そうした団体の強い影響力の下でコントロールされている可能性が強いと思った。
これ以前に、私が共同代表から政党?の事務所に時間指定で必ず来るよう言われたのは、その序章だった。
二人が出席したミーティングでは町内会長まで二人を出迎えたという。
左翼政党関係諸団体は、医療・税金経営・介護・子育て・・・といった様々な分野で網の目のように張り巡らされ、お互いに協力しているのだろうと推測している。(これは自民党や公明党でも似たような構造を持っていると思われる。)

昔ギャラリーを経営していた時に、親しい有力な作家が「芸術は人に勇気と希望を与えるものでなければならない」と言い始めた。
その後、多くの作家が同じ文言をオウム返しのように言い始めた。
はじめは、私もその言説に賛成したが、多くの若手美術家が同じことを言い出し強調するので、おかしいと思いつつ、芸術について改めて考えてみた。
すると悲惨な作品とか悲劇的な作品や、混乱するような名作が、様々な芸術(美術・音楽・・・・)に多くあることに気づいた。
そこでそうしたことを口走る作家たちに、私の考えをぶっつけ、政治が芸術をコントロールしようとするなんてとんでもないと、言った。
その後、私と親しい作家たちが、そんなことを発言していると、この画廊はつぶれるといった。
それからしばらくして、毎週必ず来る常連の作家たち、20数名が一斉に来なくなった。
それで、改めて来なくなった人たちは、政党関係のグループに属していることを知った。
それでも私は、自分の考えを曲げなかった。
芸術はすべてのものから自由でなければならないと思っていた。
そもそも私の芸術観は記号論=構造主義に大きく影響を受けている。
ロマン派等の主観主義=観念論(マルクスも含む)は、芸術と結びやすい。
その原点は、感情表現で、構造主義的に見れば自然なことであるし、異論はない。
構造的に見た場合、表現は自由であるべきだし、すべての表現が鑑賞対象になるのだ。
そもそも人間が表現する芸術という人間活動は、人間の内面を投影したもので、主観そのものなのだ。
ナチスや、軍国主義や、共産主義は特定の傾向の芸術を推奨し、違う傾向の芸術作品は退廃芸術として厳しく取り締まった。
政治は芸術に介入すべきでないのだ。
芸術への介入は基本的人権や民主主義の根本原理と絡む問題でもある。
今回の、署名活動の運動を通して、画廊時代の苦い思い出と同じ=政治勢力が組織的に活動し、人脈を武器にして、自分の思う方向に動かそうとする非民主的(相手の意見も尊重し合意を図ることをしない=自分たちだけが正しいと考える)圧力を感じた。

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