散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記20220601水 ~ 20220604土 (西天満 プチ断食 老化 ブログの交流)

2022年11月05日 13時51分04秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
20220601 水
午前中から午後にかけて、株関連の作業をした。
夕方ジムのレッスン ヒートエクササイズに参加。
足がかなり疲労した。
夜ファストフードで読書。

20220602 木
昼間は株関連作業(銘柄・業務内容・業績・チャート調査研究。資料ポートフォリオ作成 売買・・・)
夕方、昨日記作成投稿

20220603 金
昼からジムに行きフライデートレーニングやストレッチのレッスンを受講しその後プールに行った。
プールの帰りにはスパーに行き、大量の食材を購入した。
夜は遅れている昨日記を書いた。

20220604 土 (西天満 プチ断食 老化 ブログの交流)
2週間に一度のプチ断食の日は、あまり体を動かさないし、ジムやプールにはいかない。
このころ、コロナもずいぶん下火になったので、午後から久しぶりに、西天満に出かけた。
いつも行く、画廊を見て回った後、いつものように天満橋まで歩き、ファストフードで読書し、帰りは淀屋橋まで歩き、メトロで帰宅した。

プチ断食を始めたころは、プチ断食中もその後も空腹感がなかった。
しかし、何度かプチ断食を行うと、次第に断食中の空腹を感じるようになり、今では断食しなくても夕方になると、空腹を感じることもたびたびある。
空腹を感じることは、人体のきわめて正常で自然な生体反応に違いない。
空腹を感じなかったとき(プチ断食開始以前の時期)は、人体の持っているべき自然な生体反応の感度が鈍磨していたと考えられる。

多分こうした生体反応は、人体の生理活動や恒常性に様々な影響を及ぼしているのだろうと考えられる。
例えば細胞レベルでは老輩汚物を分解再処理し、タンパク質を再利用しているといったことが行われているのだろう。
近年の、生化学でそうしたことが徐々に明らかになりつつある。
生体反応を正常に保つことは、当然アンチエイジングや寿命にも関係するのだろう。

私は喜寿を過ぎた後期高齢者だが、同年配の人たちの老化速度の違いが気になることが多い。
老化は、遺伝的要素が強いといわれるが、日常の過ごし方(食事・運動・会話・好奇心―知的能力の活用=読書や議論や対話や芸術鑑賞)で、老化が大きく違ってくると思っている。
近年、老化に関して様々な本が出版されている。
日々の過ごし方で現状の老化をかなり遅らせることができるし、近い将来にはある意味若返りのサプリメントが販売されるともいわれていて、研究レベルでは一部実現しているという。
例えば、すでに老化により発生するしわの改善用の美容クリームは、販売されている。

しかし、サプリ等の使用で肉体的に元気であっても、知的・精神的に老化したのでは、私自身は、我慢できない。
老化し心身の機能が時とともに衰えることは、避けられないしそうした事実は受け入れるしかないが、できるだけ、少なくとも今の心身の機能を劣化させたくないと思っている。
私はホームヘルパー2級の資格を持っているが、その時実習で行った介護施設で認知症の人たちと接した。
介護施設の職員の人がいうには、認知症の人自体は自分が認知症ということを理解しておらず、本人は幸せなんだという。
確かに、その時認知症の人が嘆き悲しみ苦しんでいる人は見なかった。
しかし、認知症の人が一般家庭にいた場合は、家族の反応が反映され、そうしたことを認知症の本人が察知し不安や悲しみの感情を抱くかもしれない。

私のような、独居老人の場合、友人関係も少なく普段深く接する人はほとんどいないので、認知症になった場合でも、私自身はそのことを認識できないまま生活することになるのだろう。
その結果、外部から見て異常な生活環境になった時点で、民生委員や社会福祉協議会に発見され、行政的に見守りや介護の手続きが取られるといった事態は容易に想像できる。
しかし、それ以前に自分の知的楽しみが知的能力の衰えとともに減退し、芸術鑑賞の楽しみや読書や知的活動の楽しみがなくなり、殺風景な精神生活を送ることになるのかもしれない。
しかし認知能力が衰えるとそうしたことも認知できなくなるので、本人にとっては問題のない世界となるのだろう。

プチ断食の話から、余談が広がったが、そのついでにもう一つ無駄話を書く。
この昨日記は、私自身もう一人の私と対話する場でもある。
本来SNSやブログでは、コメントで読者と対話できるようになっていて、FBでは投稿者の唱えた考えを中心に、長文のコメントを何度もやり取りし、議論したことがある。
北山村が運営していた「むらぶろ」ではブログ上でお互いコメントのやり取りを楽しみ、対話もあった。
ブログ上で身の上相談のような話が交わされたこともあった。
「むらぶろ」では、年に一度北山村でオフ会が催され、全国から「むらぶろ」に投稿している人が参加していて、学校の体育館で開かれたオフ会の記事も掲載されていた。
「むらぶろ」では、コメントしなくても、「いいね」の機能があり「いいね」を押すと、「いいね」を押した人のブログとリンクしているので、逆にありがとうといったメッセージを「いいね」した人に返し、交流が生まれていた。
ブログの投稿者の大半は、現実の村長や役所の人も含む北山村の人たちで、そのブログには幼稚園や学校の様子やママ友同士の交流やガソリンスタンドやお店の様子など、日常茶飯のことが投稿されていた。
新宮市や田辺といった近隣の市町村からの投稿も多かったが、九州や北海道からの投稿もあった。
ニックネームを使っているが、地元の北山村民には投稿者は誰かわかっていたようだ。
このサイトでは村営企業?が特産品のジャバラや北山川下りを盛んに宣伝していた。
「むらぶろ」はなくなったが、当時私もたくさん投稿し、多くの人とコメントや「いいね」のやり取りをし、井戸端会議のようなものも拝見させていただき、楽しかった。
SNSの本格利用やブログの使用も、村風呂がきっかけだった。
一般のブログでは、井戸端会議や喫茶店のような軽い交流は、ほとんどないのでさみしい。
このgooブログでは、「いいね」やコメントをもらっても、個人的な返信のしようがない。

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