元旦の夜、鹿児島の先輩から「年末に妻が亡くなった」と、ふりしぼるような声で連絡がありました。
この先輩は、私が社会人生活に入った時の会社の先輩で、仕事だけでなく社会人としての心構えなどを指導頂いた方で、自宅に泊めていただいたりして奥さんにも非常にお世話になっていました。
先輩と同い年の奥さんは、認知症と共にパーキンソン病も併発されていて、昨年1月に介護施設に入所された由をお聞きし、奥さんのお見舞いも兼ねて先輩にお会いしたいとの気持も強く、昨年春にコロナ騒ぎの中をツレアイ共々鹿児島の知覧まで出かけました。
コロナ騒ぎの中で施設が面会禁止となっていて、残念ながら奥様にはお会いできませんでしたが、初めての知覧の町を案内頂いたり、先輩のお家に泊めて頂き、夜遅くまで同じくツレアイを介護する身となった立場での問題点や心構えなどと共に、先輩と奥様の出会いやその後の事を詳しくお伺いして、先輩の奥様に対する痛いほどのお気持をお聞きしました。
先輩にとっては、奥さんを入所させてからは、コロナ騒ぎで面会も出来ないのが大変な苦痛の様で、帰阪後も“時々奥さんが治療の為に通院される時にその病院の待合室や入口で束の間の面会しかできない”と悲痛な連絡を数回受けましたが、その時には必ず「大事な奥さんは、一緒に居れる間に大事にしとけよ」と言われていました。
幸いにも、奥様の最期は施設ではなく、近くでお住まいの次男さんが勤めておられる病院で、先輩が付き添いながら迎えられたようですが、東京におられるご長男にはコロナの為にお葬式への参列も見合わさせたとのことです。
このコロナ騒動の中で、施設や病院に入っておられる肉親との面会ができなかったり、死に目にも会えなかったり、お葬式にも出られないという悲痛なお話しを良く聞きますが、本当にこのようなコロナ騒ぎが少しでも早く収まることを祈らざるを得ない正月です。(まさ)