老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

「頑張る」と「頑張れ」

2021年01月17日 19時12分36秒 | その他

 今日1月17日は、あの阪神淡路大震災(マスコミでは阪神大震災という呼び方が多い様ですが…)から26年目です。

 この日になると、ローソクで「がんばろう神戸」と書かれたイベントに代表されるように、復興に向っておられる被災者を励ます言葉としてすっかり定着、その後の東北地方を襲った東日本大震災でも盛んに使われました。

 また、私達も「頑張れ」「頑張ろう」と言う言葉を、何も気にせずに使っていましたが、少し前からこの言葉は被災にあったり、病気など様々な苦しみにあわれている方の中には、かえって重荷に感じるという様な声も出始めました。
その為、お見舞いなどの時には使うのに躊躇することがありましたが、若い頃の運動部活動などで身に着いた言葉として何気なく使っている事が多かったです。


 しかし、先日の毎日新聞の「憂楽帳」というコラムで、この「頑張る」という言葉の語源は他の人を励ます様な意味ではないというようなニュアンスの記事を見て、少し調べてみました。


 「由来メモ」などに拠ると、

◆「がんばる」は、江戸時代から見られ始めた言葉で、「頑張る」と言うのは当て字で、その語源には下記の2つがあるという事でした。

「我(ガ)に張る」説
・ある場所に座を占めて、少しも動こうとしないこと。(じっと居座る感じ)
  これから転じて⇒苦しさに負けずに努力をすることを意味するようになった。
・他の意見を押しのけて、自分の意見を押し通すこと(我をはる)

「眼(ガン)張る」説
目をつけることや、見張ること、よく見ることなど。
眼張るが転じて「頑張る」になったとする説。

◆何れにせよ、どちらも「動かない」といった同じ意味があるので、どちらが正しいといったことは、意味からは判断がつきません。
また、江戸時代には、「きばる(気を張る)」「いばる(意を張る)」「ほねばる(骨を張る)」など「~張る」の言葉がたくさんありましたが、全部「~を張る」であり、「我に張る」のようなに「~に張る」といった表現が見当たらないことからも、「がんばる」は「眼を張る」からできた言葉かもしれません。


 「語源由来辞典」でも同じような説明で、②の「眼張る」説が有力としつつも、同じような意味で使われる東北地方の「けっぱる」は「気張る」から、そして「じょっぱり」は「情張り」に由来するので、①の説も捨てがたいとされています。


 また、宗教思想家のひろ・さちや氏はに拠ると、下記のような説明もありました。
頑張るということは、実は自己中心的になるということです。「頑張る」という言葉の語源は、「我を張る」です。自分を押し通す、それが頑張るということです。競争し、自分の利益を優先させることが頑張ることなのです。
私が子どもの頃は「あの人、頑張ってはるなぁ」というのは、軽蔑の意味を込めて言われたものです。「もっとおとなしく温和になればいいのに」という意味でした。それがいつの間にか「頑張る」が美辞になってしまいました。おかしいですね。


 この様な語源だったようで、私は今後は自分を鼓舞する場合は「頑張る」といって自分に言い聞かせるのは良いとしても、他の人を励ますような場合には「頑張れ」という言葉を使わないようにしようと考えていますが、それにしても何故「頑張れ」「頑張る」と言う言葉がこの様に定着したのでしょうかね。

 一説では、前畑秀子選手が1936年(昭和11年)ナチス体制下のドイツで開かれたベルリンオリンピックの200m平泳ぎで優勝した際に、実況中のNHKの河西アナウンサーが興奮し、途中から「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」と20回以上も叫び、時差の関係で真夜中にラジオ中継を聴いていた当時の日本人を熱狂させて以来と言う事もありますが、それにしても頑張る事や他人を頑張らすことが好きな日本人ですね。


 海外では、結果によって判断されることが多いのに、日本では結果の如何ではなくて、その過程で頑張ることに価値を見出すというのは極めて特殊なことだと思いますが、かく言う私もどちらかと言うと典型的な「頑張り好きな日本人」でしょうね。(まさ)