先日100歳でご逝去された三笠宮さまの本葬に当たる「斂葬(れんそう)の儀」が今日執り行われました。
1915年生まれの三笠宮さまは、現天皇の叔父になる方で、学究の徒としてオリエント歴史に精通されていたのは有名ですが、その他にもレクレーションやスポーツ関係の発展にも多大の寄与をされました。
また、自らの戦争体験から戦中・戦後に戦争非難の立場から色々な発言もされた非常にユニークな皇族でした。
◆学校卒業後は陸軍軍人の道を歩まれ、太平洋(大東亜戦争)開戦後、陸軍大尉時代の1943年(昭和18年)1月から翌1944年(昭和19年)1月まで「若杉」という姓で南京の支那派遣軍総司令部に勤務されたようですが、
・その時に現地の様子を“軍は中国との戦争が長引き戦闘が泥沼状態になっており、軍紀が乱れている者が一部いる事を深く反省すべきである”と総司令官に進言し、対中政策のブレーキ役となったことは有名です。
・また後年、いわゆる「南京事件」が問題になった際にも、“犠牲者数が議論されているが、数が問題なのではない。虐殺が行われたこと自体が問題なんだ”とも話されたそうです。(11月4日毎日新聞夕刊)
◆更に、1959年、神武天皇が即位した日とされる紀元節の復活の動きが活発になっていた頃には、考古学者・歴史学者としての立場から、神武天皇の即位は神話であり史実ではないとして強く批判し、積極的に復活反対の論陣を張られました。即ち、
・“過去のことだと安心してはおれない。こんな動きは、また戦争につながるのではないだろうか”と思い悩み、多くの専門家の協力を得て、“真実は何か”を伝えようと思われたようです。
そして、自ら編者となって出版された「日本のあけぼの」(光文社)の「はじめに」で、“偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵(ののし)られた世の中を、私は経験してきた”と書かれています。
・更に、日本紀元を架空と断じ、“架空な歴史を信じた人たちは、また勝算なき戦争を始めた人たちでもあった”そして、旧陸軍軍人として大いに責任がある、と「文芸春秋」にも寄稿されています。
このため、一部では「赤い宮様」と呼ばれるようになり、日本の復古・右傾化を模索する人たちからは疎まれるようになりましたが、このようなお考えを公にされたことは皇族として非常に思いきった行動だったと思いますし、皇族の良心として現天皇の戦争観などには少なからぬ影響を与えているとも推測されます。
ご冥福をお祈り申し上げますとともに、現在のこの国の為政者が戦争を経験された三笠宮さまの発言を、もっともっと心で受け止めて欲しいと願います。(まさ)
1915年生まれの三笠宮さまは、現天皇の叔父になる方で、学究の徒としてオリエント歴史に精通されていたのは有名ですが、その他にもレクレーションやスポーツ関係の発展にも多大の寄与をされました。
また、自らの戦争体験から戦中・戦後に戦争非難の立場から色々な発言もされた非常にユニークな皇族でした。
◆学校卒業後は陸軍軍人の道を歩まれ、太平洋(大東亜戦争)開戦後、陸軍大尉時代の1943年(昭和18年)1月から翌1944年(昭和19年)1月まで「若杉」という姓で南京の支那派遣軍総司令部に勤務されたようですが、
・その時に現地の様子を“軍は中国との戦争が長引き戦闘が泥沼状態になっており、軍紀が乱れている者が一部いる事を深く反省すべきである”と総司令官に進言し、対中政策のブレーキ役となったことは有名です。
・また後年、いわゆる「南京事件」が問題になった際にも、“犠牲者数が議論されているが、数が問題なのではない。虐殺が行われたこと自体が問題なんだ”とも話されたそうです。(11月4日毎日新聞夕刊)
◆更に、1959年、神武天皇が即位した日とされる紀元節の復活の動きが活発になっていた頃には、考古学者・歴史学者としての立場から、神武天皇の即位は神話であり史実ではないとして強く批判し、積極的に復活反対の論陣を張られました。即ち、
・“過去のことだと安心してはおれない。こんな動きは、また戦争につながるのではないだろうか”と思い悩み、多くの専門家の協力を得て、“真実は何か”を伝えようと思われたようです。
そして、自ら編者となって出版された「日本のあけぼの」(光文社)の「はじめに」で、“偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵(ののし)られた世の中を、私は経験してきた”と書かれています。
・更に、日本紀元を架空と断じ、“架空な歴史を信じた人たちは、また勝算なき戦争を始めた人たちでもあった”そして、旧陸軍軍人として大いに責任がある、と「文芸春秋」にも寄稿されています。
このため、一部では「赤い宮様」と呼ばれるようになり、日本の復古・右傾化を模索する人たちからは疎まれるようになりましたが、このようなお考えを公にされたことは皇族として非常に思いきった行動だったと思いますし、皇族の良心として現天皇の戦争観などには少なからぬ影響を与えているとも推測されます。
ご冥福をお祈り申し上げますとともに、現在のこの国の為政者が戦争を経験された三笠宮さまの発言を、もっともっと心で受け止めて欲しいと願います。(まさ)