④産業界の競争力優先
色々な問題を抱えながらも、政府は脱原発を明確に打ち出さず、逆に平成30年度における電源構成の目標では原発を20~22%としています。
最大の理由は“電力価格抑制による、産業界の国際競争力維持”です。
産業立国を標榜する日本では当然のこととして、この観点から原発を容認される方が多いですが、長年の地域割で安泰な経営基盤を背景にした電力ロビーや産業界による国策への働きかけの結果とも言えるでしょう。
前述の廃棄物の処理問題や万一の場合のリスクなどを考えると、原発による発電コストが本当に割安なのか、まだ不明な点が非常に多いと思われます。
要するに、現在の施策は、とりあえずの経済力の維持・向上が最優先で、国民の安全は二の次ということでしょう。
⑤原発立地自治体への優遇措置
・原発立地自治体の多くは、“安全確保が条件”といいながら、原発誘致並びに稼動に積極的です。
原発立地場所の多くは、従来は過疎地に分類される地域で、原発建設と稼動に伴う莫大な助成金、更に建設/稼働に伴う、地域経済への目先の潤いを考えれば仕方ないことでしょう。
悪い言い方をすれば、国の政策が過疎地の自治体を“シャブ漬け”状態にしているのです。こういう構造が定着しているからこそ、某大臣のように“要は、金目でしょう!!”という住民や自治体を侮辱した発言に結び付くのでしょう。
・そこで作られる電力は大都会や産業界など地元にはほとんど関係ない所で消費され、万一事故が起これば地元が負うという構造になるわけです。
個人的には、過疎地への対策はもっと別な方法で考えるべきだと思いますし、どうしても原発稼働が必要ということなら、その電力の恩恵を最も享受する大都会や大工場が密集する所に設置し、危険性も負担すべきと思います。正にリスクは受益者が負うべきでしょう。
この点は、ある意味で沖縄に集中する米軍基地問題や、都会地でのゴミ焼却場の建設反対運動と同じ根だと思います。
・如何に過疎地とはいえ、国民が住んでいるのですし、生命の重さは都会の密集地に住んでいる人と、何ら変わらないはずです。
これに関して思い出すことは、福島の原発事故後に福島県富岡町の関係者にお会いした時に、その方がぽつりと自嘲的にもらされた言葉です。“富岡町は今回の事故の発生場所ではなかったが、福島第2原発があり、その各種助成金に大きく依存していた。このような環境を考えると第1原発の事故で全町が避難を余儀なくされても、大きな声で不満も言えない…”
⑥原発事故の場合の対策は国が全責任を負うべき
・先日の大津地裁の高浜原発稼働差し止め仮処分決定で、重視されたのはこの点でした。
現在では、原発立地予定地の自治体の賛同があれば、原発建設が出来る様ですが、福島原発の事故で経験したように、万一の場合は立地自治体だけでなく、広範囲な影響が起こり、住民の避難や環境への配慮は十二分に考慮されるべきでしょう。
この点からいえば、仮に原発を推進しようとすれば、避難経路の確保や、除染や健康への配慮は、地元自治体や営利企業である電力会社だけで対応できることではなく、国が責任を持って事前に設定し対応すべきものでしょう。
・万一、規制委員会が想定している以上の規模の地震や津波が起こった場合は、誰が責任を負うのか。
福島であれだけの経験をし、まだ何も解決されていない状態の中で、再稼動する以上、原発稼働については、電力会社や基準を制定した人だけでなく、国が全面的な責任を負うことは避けられないでしょう。
更に、原発再開に伴う関係者(規制基準の制定を含めて建設を承認した人/政策として原発を推進した国や自治体関係者/運転従事者/原発による電力を要求した事業所や人など)も充分にこの責任を負う覚悟が必要でしょう。
・また、司法独立の立場から考えれば、住民の訴えを退けて稼動を承認した司法も、当然ながら責任を問われるでしょう。
民間会社の場合は、万一不足の事態/事故が起きて会社倒産に至るような場合も、その事業を立案し、携わった会社/社員が全責任を負いますし、これに協力した回りの企業も大きな影響を受けるのが当然で、一つの事業推進決定には物凄く大きな責任がかかるのです。
これと比べると、原発推進については、“正に原発ありき”が優先され、廃棄物の処分や事故時の対応など、全てのリスクの所在がウヤムヤのままのような気がしてなりません。(まさ)
色々な問題を抱えながらも、政府は脱原発を明確に打ち出さず、逆に平成30年度における電源構成の目標では原発を20~22%としています。
最大の理由は“電力価格抑制による、産業界の国際競争力維持”です。
産業立国を標榜する日本では当然のこととして、この観点から原発を容認される方が多いですが、長年の地域割で安泰な経営基盤を背景にした電力ロビーや産業界による国策への働きかけの結果とも言えるでしょう。
前述の廃棄物の処理問題や万一の場合のリスクなどを考えると、原発による発電コストが本当に割安なのか、まだ不明な点が非常に多いと思われます。
要するに、現在の施策は、とりあえずの経済力の維持・向上が最優先で、国民の安全は二の次ということでしょう。
⑤原発立地自治体への優遇措置
・原発立地自治体の多くは、“安全確保が条件”といいながら、原発誘致並びに稼動に積極的です。
原発立地場所の多くは、従来は過疎地に分類される地域で、原発建設と稼動に伴う莫大な助成金、更に建設/稼働に伴う、地域経済への目先の潤いを考えれば仕方ないことでしょう。
悪い言い方をすれば、国の政策が過疎地の自治体を“シャブ漬け”状態にしているのです。こういう構造が定着しているからこそ、某大臣のように“要は、金目でしょう!!”という住民や自治体を侮辱した発言に結び付くのでしょう。
・そこで作られる電力は大都会や産業界など地元にはほとんど関係ない所で消費され、万一事故が起これば地元が負うという構造になるわけです。
個人的には、過疎地への対策はもっと別な方法で考えるべきだと思いますし、どうしても原発稼働が必要ということなら、その電力の恩恵を最も享受する大都会や大工場が密集する所に設置し、危険性も負担すべきと思います。正にリスクは受益者が負うべきでしょう。
この点は、ある意味で沖縄に集中する米軍基地問題や、都会地でのゴミ焼却場の建設反対運動と同じ根だと思います。
・如何に過疎地とはいえ、国民が住んでいるのですし、生命の重さは都会の密集地に住んでいる人と、何ら変わらないはずです。
これに関して思い出すことは、福島の原発事故後に福島県富岡町の関係者にお会いした時に、その方がぽつりと自嘲的にもらされた言葉です。“富岡町は今回の事故の発生場所ではなかったが、福島第2原発があり、その各種助成金に大きく依存していた。このような環境を考えると第1原発の事故で全町が避難を余儀なくされても、大きな声で不満も言えない…”
⑥原発事故の場合の対策は国が全責任を負うべき
・先日の大津地裁の高浜原発稼働差し止め仮処分決定で、重視されたのはこの点でした。
現在では、原発立地予定地の自治体の賛同があれば、原発建設が出来る様ですが、福島原発の事故で経験したように、万一の場合は立地自治体だけでなく、広範囲な影響が起こり、住民の避難や環境への配慮は十二分に考慮されるべきでしょう。
この点からいえば、仮に原発を推進しようとすれば、避難経路の確保や、除染や健康への配慮は、地元自治体や営利企業である電力会社だけで対応できることではなく、国が責任を持って事前に設定し対応すべきものでしょう。
・万一、規制委員会が想定している以上の規模の地震や津波が起こった場合は、誰が責任を負うのか。
福島であれだけの経験をし、まだ何も解決されていない状態の中で、再稼動する以上、原発稼働については、電力会社や基準を制定した人だけでなく、国が全面的な責任を負うことは避けられないでしょう。
更に、原発再開に伴う関係者(規制基準の制定を含めて建設を承認した人/政策として原発を推進した国や自治体関係者/運転従事者/原発による電力を要求した事業所や人など)も充分にこの責任を負う覚悟が必要でしょう。
・また、司法独立の立場から考えれば、住民の訴えを退けて稼動を承認した司法も、当然ながら責任を問われるでしょう。
民間会社の場合は、万一不足の事態/事故が起きて会社倒産に至るような場合も、その事業を立案し、携わった会社/社員が全責任を負いますし、これに協力した回りの企業も大きな影響を受けるのが当然で、一つの事業推進決定には物凄く大きな責任がかかるのです。
これと比べると、原発推進については、“正に原発ありき”が優先され、廃棄物の処分や事故時の対応など、全てのリスクの所在がウヤムヤのままのような気がしてなりません。(まさ)