老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

ややこしい日本語 その(67)  博打(ばくち)と賭博(とばく)

2024年09月15日 19時18分36秒 | その他
 賭けごと或いはギャンブルという言葉もありますが、「賭博」或いは「博打」という言葉もあり、その違いは何なのか気になっていました。

 (A)
賭博:お金などを掛けて勝負をすること
博打:賭博の範疇に入るもので、方法がさいころや トランプカード、花札などに限定されたもの。

(B)
賭博:賭事(とじ)」と「博戯」という言葉の「賭」と「博」を合わせたものが発祥と考えられています。「賭事」と「博戯」はともに「ギャンブル」ですが、「賭事」は参加者自らがゲームの勝敗に直接に参加もしくは関与できずに、その結果に従うものを表し、「博戯」はゲームの勝敗に参加者自体が関与するものであり、前者「賭事」の例として「競馬」「競輪」「野球賭博」など、後者「博戯」の例としてお金を賭ける「麻雀」や「ゴルフ」などがあげられます。
博打:賭博とほとんど同じ意味ですが、「博打」はサイコロや花札を使う「賭博」の一種。

  とかいうような説明はありましたが、何れもスコンと腑に落ちるものではなく、結局両者の違いを調べることは断念しました

 この違いを知りたいと思ったのは、今でこそ仲間が居らず全く遠ざかっていますが、私自身サラリーマン時代は麻雀に明け暮れた時期がありましたし、パチンコや競馬などにはまりこんだ生活を送っている知人がいますので、賭博と博打のことをもう少し知りたいと思った次第なのです。

 もう一つ言えば、日頃から何気なくしているジャンケン阿弥陀くじ、更に宝くじなどがどのような位置づけになるかも知っておきたかったのです。


 賭博も博打も、ある程度は偶然の勝敗により財物や財産上の利益の得喪を争う行為で、当たれば何倍かのお金が手許に入り、外れれば賭けたお金は失いますので高リスク高リターンの典型的なもので、原則的には禁止されてはいますが、何かを賭けて自分の運を占うとか、一獲千金を目論むというのはどうやら人類にはよほど魅力的な行為らしく、どうしてもなくなりません。
  
 となると、政府や自治体にとってこのように大金が動く賭博・博打は大きな財源の魅力なので、利益金の一部を社会福祉に回すということを言い訳にして公営というシステムで競馬・競輪・競艇・オートレース・宝くじ・サッカーくじなどを運営していますし、更には私が住む大阪のIR事業のように自治体が主体になって新しい賭博行為を運営しようというような動きもあります。

 更にパチンコのように、実態は博打行為であり、多くの中毒的な犠牲者を出しながらもその事業が長年にわたり堂々と認められているものもあり、「博打」「賭博」の社会的な位置づけも改めて明確にしておくべき時期ではないかと思っています。(まさ)

※この項は<imidas><LEGALUS>などを参考にさせていただきました。



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